第40話 七星アヌビス(6)

「それでトワちゃんは今回は何に悩んでんだ?」

 キクヲはようやく本題とばかりに尋ねてくる。

「最近魔法司書が増えてるじゃないですか。それでこれから世界はどうなっていくのかなっていうか、その……」

 トワはまだ考えがまとまらず、しどろもどろに答える。

「……ああ、ウララのことか? 本当はもっと早くトワちゃんに教えとくべきだったんだが、本人が直接お礼がしたいってな」

「あっ、はい。それはだいじょうぶです。一緒に図書委員をやってます」

「らしいな。聞いてる。俺もずっと一緒にいたわけじゃねえから、あの子がどんな子供時代を過ごしたのかは詳しくは知らねえが、まあ結構大変だったらしいな。お前が気にしてるのもそれか?」

 キクヲがイツカに視線を落として尋ねる。先のエーテルが見えるかという問いの意図を察した。

『まあな。実際エーテルが見えることで色眼鏡で見られる子は増えてるのかもしれない。けど俺はそんなに問題はないと思ってる』

「ほう」

『これからさらに増え続ければ、珍しいことじゃなくなる。周りも認めざるを得なくなってくさ』

「でも、それは――」

 トワはアヌビスが言った言葉を思い出す。力関係はすぐ逆転すると。

「そうやって時代は変わっていく――か。だが――」

『当然軋轢は出てくるだろうな。争いにもなるかもしれない。けどそれは避けては通れない道なんじゃないのか?』

「だから世界自体を変えることができれば……」

 トワはイツカの言葉もわかった。だがもしもっと争いを避けることができる道があり、それを自分達になら示すことができるというのなら、それはやるべきではないのか。

「お前さん達がいつも言ってる神の目録ってやつか?」

『ああ。この世界をエーテルを誰もが使える世界に書き換えられるってさ』

「はっ、そんな世界になったら科学も様変わりしてるだろうし、それがいいかどうかなんて誰にもわかんなくなるだろうぜ。何ならエーテル爆弾で戦争してるかもよ」

 キクヲはイツカの言葉を聞いて鼻で笑う。

「うーん……」

 トワはますますわからなくなり唸り声を上げる。

「いいかトワちゃん。人に言われてよくわからないまま何かやって上手くいくことなんかまずねえ。自分に何ができて、それが何をもたらすのか、そしてその結果全てに責任を持てると、自信を持って言える時だけやれ」

『言ってくれるぜ』

「三年前、あいつの日記帳を直した時だってそうだったろ? 俺が頼んだかどうかは関係ねえ。お前らの中で譲れないものがあったからやった。それは何だ?」


「くやしいから!」

『くやしいからだ!』


 キクヲは二人の言葉を聞いて満足げに頷く。

「それでいいんだよ。そうやって意地張って自分達のためにやったから未来が見えたはずだ。気に入らない奴の言葉に従う義理はねえ」

『決まったな。どうせ何か悪巧みしてるに決まってる。無視しよう』

「でも……あのエーテルキャットすごく強そう」

『もし戦うことになったら、それこそ神の目録を使うさ。本気の俺達に勝てる奴なんてこの世にいない』

「それもそっか」

 何やら不穏なことを口走る二人に、焚きつけたキクヲは少し軽率だったのではないか不安になりつつ苦笑する。


「あら、トワさん?」

 そこへウララが店先のトワ達に気が付いて声をかける。

「おう、おかえり、会合はどうだった?」

「えっ? ああ……うん、まあ、いつも通り」

 キクヲの問いに若干言葉を濁しつつ返事をするウララ。

「神社の集まりだったんですか?」

 確かハルがそのようなことを言っていたことをトワは思い出す。

「ええ、まあ町内会みたいなものかな。たまに連絡会を開いて、近況報告をするくらい。あの、トワさん、その……」

「?」

 何やら言いにくそうに黙り込むウララを見て、トワは首を傾げる。

『八咫ソウガのことか?』

 察したイツカが問いかける。

「! ええ……会合には神社本局からも人が来るから、話は聞きました。私からも謝らせてください」

「なんでえ、めんどくせえ話か? とりあえず店入ってから聞こうか」

 重い雰囲気になりつつあった一同を見て、キクヲは明るく振る舞う。



「なるほどな、そんなことになってたのか」

 柳葉書店の店の奥、畳の部屋で丸い卓を囲み、ウララとトワ達の話を聞いたキクヲは唸る。既に今日は閉店済みで客はいない。

「八咫ソウガはトワちゃんのお父さんに警察に引き渡された後、釈放されています。厳重注意はされたようですが、また行動を起こす可能性がないとも限りません」

『まじかよ』

「……」

 ウララの言葉にイツカは呆れ、まだあの日の恐怖が拭えないトワは黙り込んだ。

「とんでもない連中に目をつけられてんな」

 キクヲも呆れるが、トワとイツカの力がいよいよもって世界を左右する危険なものだと実感が湧いてきていた。少なくとも魔法司書委員会と神社本局、二つの組織からその力を狙われているということになる。


『それでウララ、お前はどっちの味方なんだ?』

「!」

「イツカくん?」

「おまえっ!」

 イツカの問いに一同は凍りつく。


「…………はあ、さすがです。信じてもらえるかはわかりませんが、私は魔法司書委員会の命で、神社本局の動きを探っています」

「おい、ウララ! どういうことだ!」

 キクヲは孫娘のスパイまがいの告白に声を荒らげる。

『落ち着け。……確かなんだな?』

「はい。ハルから聞いたと思いますが、私達の目的は九重先生に魔法司書の力を取り戻してもらうことです。そのために委員会――七星アヌビスに協力しています」

 興奮するキクヲを尻目にウララは淡々と告げる。その言葉に嘘はないとトワとイツカには思えた。

「もちろんトワさんは委員会で全力で守ります」

『その見返りに神の目録で世界を書き変えてあいつも治せと?』

「それは――」

 イツカの厳しい問いかけにウララは言葉を詰まらせる。

「イツカくん!」

 見かねたトワが卓上のイツカの表紙をぺしりと叩く。

『ごめん、言いすぎたよ。でも大事なとこだ』

「――そういう思惑もなかったとは言いません。でも私達は自分達の力で先生を治したくて魔法司書になりたくてこれまでやってきたんです。それだけは信じて」

 ウララはそう言うと、正座から深々とイツカに頭を下げる。キクヲはそれを渋面で見つめる。


『わーったよ。ごめん、わるかった! 俺がおとなげなかった。しんじる!』

 イツカは慌てて弁明する。

「好きなんだもんね。仕方ないよ……」

 トワは同情の眼差しを向ける。

「うん? 何のことです?」

 顔を上げたウララはトワのその目を見て、きょとんとした顔で小首を傾げる。

「えっ? その……ウララさんは、九重先生のことが……」

「なんだと!」

 恥ずかしそうに答えるトワの言葉を、間髪入れずにキクヲの激昂が遮る。

「あんな不良教師のどこがいいんだ!」

「ちょ、ちょっとまって! 何の話よ!」

『……ハルが言ってたぞ。初めてエーテライズしてるとこ見て惚れたって』

 恥ずかしさで赤面するトワと、怒りで赤面するキクヲを見て、イツカは自分でも驚くほど冷静になっていた。

「はあ? 全然違うわよ! あの時私が見てたのは――」

 ウララは言いかけてはっとなり、慌てて両手で口を塞ぐ。

「?」

 一同が怪訝な表情を浮かべるのを見て、今度はウララが顔を真っ赤にした。


「この話はもう終わり!」

 ウララの後悔と恥辱に塗れた叫びが、暮れ行く町の喧騒の中にこだました。

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