第18話 重なる世界(6)
ぽつぽつと降り出した雨は、やがてしとしととその勢いを強め、オルラトルの町の石畳を黒く染めていく。
「――それで、結局その息子さんは見つかったんですか?」
図書館の事務室、飲み干した紅茶のカップを置きながらエメリックが尋ねる。
「はい。病気の治療のために外国に行っていたそうです。特効薬がたまたま見つかったからだって」
トワもカップを置くと答える。
そして治療は成功し、帰国した彼は今も家族でキクヲの店を手伝っているという。
「……たまたま、ね」
エメリックはそのハッピーエンドに引っかかりを感じながら呟く。
柳葉キクヲについては知っていた。以前ケイが話しているのを聞いたことがあり、クオン、アリスと一緒に写った写真を見せてもらったこともあった。
まさか全てケイが仕込んだこととは思いたくないが、だがありえないとも言い切れなかった。神の目録が自分の思うものであるならきっとそれは可能だ。
「その時も日記帳にコードがあったらしくて、イツカくんはケイさんが神の目録を目指していたことを思い出したみたい」
「そしてコードを集め出したと――」
エメリックは話を聞いてますますケイへの疑念を募らせる。まるで自分達は彼女の思い通りに行動させられているのではないかと。
「ともあれ、それで君達は晴れて魔法司書となったわけだ」
「はい。……あの、エメリックさん」
トワはエメリックの問いに答えた後、一瞬目を瞑り考え込む仕草を見せ、そして目を開き、立ち上がった。
「やっぱり、わたし、行きます」
トワは静かに、だが力強く言い放った。その瞳が赤く煌めく。それはエメリックが今まで見てきた燃えるような色ではなく、小さな、だが強い決意を感じさせる瞬きであった。
「……そうですね。館長一人に任せるのはやはり心配だ。先生である私が行かねばならないでしょう」
エメリックも覚悟を決め、立ち上がった。
これも全てケイの思い通りなのかもしれない。だがそんな思惑をぶち壊す強さをこのまだ幼い少女から確かに感じ取ったのだ。
外はまだ雨が降り続いていた。
図書館を一人出たアリスは、広場の時計塔を目指して坂を下っていた。
雨がぽつぽつと降り出していたが傘など持ってきてはいない。
「いやな感じだね」
まだ朝早いこともあったが、町には誰もいなく、静かであった。
わずかに出ている霧が道の先を見えにくくする。
「!」
不意に立ち止まり、辺りを見回す。
人の気配はない。だがそうではない多数の何かの視線を感じ取った。
それは街灯や電線、家々の屋根の上からアリスを見下ろしていた。
そして一斉に飛びかかってくる。
「ちっ」
アリスは咄嗟に左手に抱えたタブレット端末に手を当てる。すると端末は一瞬青白く光り、そして空いた右手でその飛びかかってきた何かを薙ぎ払う。
それはばさばさと音を立てて羽根を撒き散らすようにエーテルに分解され、そして元の紙片の姿に戻り、アリスの手の中に綺麗に積み重なっていく。
「こいつは……」
追い討ちをかけるようにさらに飛びかかってくるその青い鳩型のエーテルキャットを右手でいなし、元の紙片に戻しながら、アリスはその紙の束に見覚えがあることに気付いた。
アリスがおこなっているエーテライズはトワやエメリックが先日リサの店で応酬したものとは本質的に異なっている。
エーテライズの過程は「分解」と「再結合」であり、それを正確におこなうのにエーテルキャットからもたらされる「書誌情報」が必要となる。
エメリックが自ら組んだ書誌情報を元に作り出した鳥やライオンのエーテルキャットを、トワは咄嗟に霧散させてみせたが、それはエーテライズにおける分解までであり、分解されたエーテルはそのまま揮発して消えてしまう。
だが今アリスがしているのは、鳩型のエーテルキャットを分解し、さらに元の紙の姿まで再結合している。初見のエーテル体の書誌情報をその場で把握し、元の物体にまで再結合することは並の魔法司書には不可能なことであった。
それができるのも彼女がエーテルキャットのデータベースの設立に深く関わっていたからで、初期の書誌情報の多くは彼女の手によって作成されている。
結果、魔法司書の中では類稀なる速さのエーテライズ能力を獲得するに至ったのである。
「出来の悪いエーテライズだ」
エーテルキャットを模した粗悪な生物――いや生きてはいない。所詮『もの』なのだ。それを元の姿に戻すことには何の躊躇もなかった。
こうした生物の姿をしたエーテルキャットに悪事を働かせる魔法司書が少なからずいることが、アリスが動物型のエーテルキャットを好きになれない理由の一つでもあった。
アリスは際限なく付きまとう鳩を振り切るために坂を駆け下りると、広場に出る。
広場には誰もいなかった。
時計塔の入口に立ち塞がる一人の少女を除いて。
「……お前は、呼んでない」
エメラルド色の髪に白衣姿のアカーシャは、物憂げな表情でアリスを見つめる。
その肩には黒い鳩、ラジエルが乗っている。
広場の至る所に先ほどの鳩が無数に控え、アリスを見下ろしている。
「なるほど、あんたが犯人ってわけだ」
アリスはアカーシャを見つめ返し、その姿に驚いた。
確かに自分の知っているシューニャとよく似ている。だが――
「馬鹿げたことはやめるんだね。イツカも返してもらう」
時計塔を見上げると、塔の隙間から青白い光が漏れていることがわかった。既に儀式は始まっていた。
「……これも、姉さんが望んだこと、なら……しかたない」
アカーシャは独り言のように呟くと、右手を突き出しアリスに飛びかかる。
「!」
アリスは咄嗟に横っ跳びに避けると、硬い石畳の上を転がりながら離れ、片肘をついて起き上がる。
「あんた! 今何をしようとしたのかわかってるの!」
そして怒りと困惑の混じった声で叫ぶ。
「……」
アカーシャは右手を突き出した姿勢のまま、アリスをじろりと振り返る。その目には感情を全く感じさせなかった。
「とんでもない子だね……」
アリスはその視線に心底恐怖を感じた。
彼女は今、人間をエーテライズ、ただ分解しようとしたのだ。
そんなことをすれば人は死んでしまう。存在の抹消だ。再結合できるのならそれこそ神の御業だ。
「……どうせ、消えればみんな忘れる……」
アカーシャは興味なさげに呟くと、右腕を振り上げる。
すると広場の鳩達が一斉にアリスに向かって降下する。
「ちぃっ!」
それをアリスは右手一本で次々とエーテライズし、元の紙片へと戻していく。
しかし一瞬の隙を突いて、ラジエルが左手に抱えるタブレット端末に鋭い爪を引っ掛ける。
「しまっ……」
アリスの手元から吹き飛んだ端末は、石畳の上を回転して滑りながらアカーシャの足元で止まる。
「……これじゃ使えない」
アカーシャはそれを拾い上げると、群がる鳩に為す術もなく両腕で頭を覆いうずくまるアリスを一瞥し、端末を一瞬でエーテライズして消し去った。
そして再び右腕を振り上げると、鳩らは再び一斉に飛び上がり、広場の至る所に散り散りになった。
「……くそっ、あたしの弱点まで知ってるとはね」
アリスはボロボロになったスーツの腕を下げながら悪態をつく。
彼女のエーテルキャットはデューイやラジエルのようにエーテル体で構成されたものではなく、機械式のタブレット端末である。
故にこの端末がなくなってしまえば、エーテライズ自体を全くおこなうことができないのである。
「……おわり」
アカーシャは右手を前に突き出しながら、ゆっくりとアリスに向かって歩み寄る。
「でもこれではっきりしたよ」
「……?」
アリスは片膝をつきながらアカーシャをじっと見上げて言い放つ。
「あんた、シューニャだろ?」
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