地下アイドル南雲メル

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『ばっきゅんばっきゅん少女の犯行。ばっきゅんばっきゅん狙いを定め。ばっきゅんばっきゅん少女の抵抗。泣いたままじゃ終わらせない』


「最後にお聴き頂いたのは鬱鬱少女で<ばっきゅん!少女の抵抗>でした。それではまた来週お会いしましょう。お相手は鬱鬱少女の南雲メルでした」

 番組が終わりヘッドホンを外すとブースの中にディレクターの藤本さんが入ってきた。ジーンズにパーカー姿でおしゃれなパーマをかけた男性だ。私の冠番組を企画し実現させてくれた恩人だ。

「メルちゃん今週もお疲れ様。この後の反省会よろしくね。今日はちょっと長くなるかもしれないけど」

 藤本さんはいつもくだらない冗談を言うお調子者といった感じの人だ。ちゃらいが憎めない人でもある。でも今日は神妙な面持ちだ。

 今日の反省会はあの事件のことについて話すことになるのだろうという事は分かっていた。

 その事件とは、このところ世間を騒がせている、歌舞伎町のホストがラブホテルで刺殺された事件だ。犯人はその後もさらに一人の男を刺殺して逃亡中だが、それに関連して、私のいつぞやの放送での発言が犯人の殺人行為を煽ったのではないかとしてSNSを中心に炎上している。

 さらに先週の電話コーナーに出演したリスナー「呪いのくまちゃん」が犯人の女なのではないかという憶測までも流布してしまっている。

 私の発言が殺人を肯定したり煽ったりする意図はまったく無かったことは、よく聞いてもらえれば分かるはずだ。ネットニュースの悪意ある編集と見出しで勘違いされている。私はただホストを刺す女性の心理を自分なりに分析しただけだ。

 とはいえ今回の炎上は、起きた事件が重大なだけに今までの炎上騒動での対応とは違って、とても慎重な対応をしていかなくてはいけないのも事実である。やっと掴んだ冠ラジオ番組だ。なんとしても続けたい。今回のことで番組が打ち切りになるのだけはどうしても避けたかった。


 会議室に入ると、プロレス選手のような体格をしているスーツ姿の男性の姿があった。いつもは反省会には出席しない番組プロデューサーの橋田さんだ。橋田さんとは滅多に顔を合わせる機会はない。だからそれだけで今回の件の重大さが分かった。

 反省会は私と私のマネージャーの吉川さん、橋田さん、藤本さん、構成作家の古館さんの五人で行うことになった。

 私のマネージャー吉川さんが、橋田さんに「この度はお騒がせしてすいませんでしたと」と、ぺこぺこ頭を下げて平謝りしている。

 吉川さんは五十代のベテラン男性マネージャーだ。鬱鬱少女のマネージャーはまた別にいる。吉川さんはテレビのバラエティ番組やラジオ番組に出演するとき専門のマネージャーさんだ。大手芸能事務所から私が所属している弱小事務所へとなぜか移ってきた。放送業界では顔が利く。私がテレビに出始めたときの仕事はだいたい吉川さんのコネクションの力で実現したといっていい。この人も恩人だ。

 毒舌キャラでいこうと提案してくれたのも吉川さんだ。鬱鬱少女のライブMCの時のメンバーとのやりとりを聞いて行けると思ったらしい。鬱鬱少女では私がメンバーの天然発言などに突っ込むことで笑いが起きることが多いのだ。


「それでは反省会始めさせてもらいますね。反省会というよりは今回は会議みたいになると思いますがよろしくお願いします」

 藤本さんの改まった挨拶で反省会は始まった。構成作家の古館さんはパソコンに向かって原稿を書いている。古館さんは細身で眼鏡をかけた男性で、元々はお笑い芸人だった人だ。この人が呪いのくまちゃんを電話コーナーに出そうと決めた。それなのに随分他人事みたいな態度だなと私は思った。

 橋田さんが真っ先にしゃべり始めた。

「先ほど吉川さんに頭を下げられたけど、私としては今回の件、南雲さんにはまったく責任はないと思ってます。例の発言を聞いたけど別に煽ったりはしてないしね。ただ上は少し気にしてるみたい」

 橋田さんがきちんと私の発言を理解してくれているのは心強い。でも上が気にしているというのは不安材料だ。橋田さんよりさらに偉い人が問題にしていて番組を終わらせたいと言ったら橋田さんでも逆らえないだろう。

「上の方はなんとおしゃってるんでしょうか?」

 吉川さんがすかさず聞いた。

「事件のなりゆきによっては打ち切りも視野に入ってるって感じで言ってました。もし犯人が逮捕された後に番組に影響を受けたと証言したら、被害者遺族への配慮を当然しなくちゃいけないという事です」

 吉川さんが腕組みをして「うーん」と唸った。藤本さんはテーブルに肘を置いて右手の握りこぶしを左手で掴みながら黙って神妙な顔をしている。

 私は自分は悪くないのにという憤りの感情と、やっぱり番組が終わるのは仕方ないかという諦めの感情がせめぎあっていた。それと私がどう思おうと、私のような実績の乏しい若い女性タレントは何かを決められる権限などないのだからどうしようもないという虚無感も同時に感じていた。私たちは大人の人が決めたことに粛々と従うことしかできないのだ。


「それより問題なのは電話コーナーだね。本当に犯人が出演してたとなれば、他のマスコミの格好の餌食だ。番組にたいしてあることないこと書かれたり報道されたりするだろう。今まで通りの感じで放送するのは難しくなる。それにイメージもある。番組だけに留まらない。うちの放送局全体が影響を受けることになる」

 橋田さんの語気が強まった。さらに会議室に流れる空気が重たくなった。私は橋田さんの話しを聞いてごもっともだなと思うしかなかった。

「俺は逆にチャンスだと思うなぁ。伝説になる。ここでやめたら普通の番組っすよ。あえて続けるって線はないのかぁ。うちも保守的だなぁ」

 藤本さんは手を頭の後ろで組んで、椅子の背もたれに思い切り体重をかけながら不満そうにそう言った。

「藤本おまえまだそんな若手みたいな事言ってんのか。もうそんな立場じゃないだろう」

 橋田さんが藤本さんをそうたしなめた。

「挑戦する気持ちを忘れるなって教えてくれたのは橋田さんじゃないっすかぁ」

 藤本さんは遠慮なく橋田さんに盾突く。二人は同じ番組をずっと作り続けた、気心しれた先輩後輩という感じだ。この関係性は微笑ましい。

「まぁとりあえず事件のなりゆきを見守るしかないね」

 橋田さんは溜息交じりにそう言った。

「とりあえず、来週釈明というか、謝罪というか、誤解を招くような発言をしてすいませんでした。くらいの感じでいいので、そういうことを放送の冒頭で言ってもらおうかなって考えてます。メルちゃん大丈夫だよね?」

 藤本さんが私に向かってそう言った。私は大丈夫ですとだけ言った。私には決定権はないのだ。そう言うしかない。

 橋田さんはうんうんと無言でうなずくと、

「南雲さんあんまり気にしないでね。藤本、それじゃあ来週頼むぞ」

 と言って会議室を出て行った。私と吉川さんは慌てて立ち上がって橋田さんに頭を下げた。


「ということなんで、古館さん。来週のオープニングトークは謝罪をするって感じでよろしくお願いします」

 古館さんはパソコンのキーボードを叩く手を止めずに、横目で藤本さんをちらっと見ながら「はい了解です」とだけ言った。

「謝罪の文言はこっちで考えるんで、メルちゃんは自分なりのトーンで、でもしっかり真剣なトーンで話してください。細かいニュアンスとかは変えてもいいです。そこらへんはメルちゃん信頼してるんで。大丈夫だよね?」

 藤本さんはいつになく私に気を使ってくれている。声のトーンがいつもより優しい。私はそれが少し悔しかった。腫れ物に触るみたいじゃないか。そんな気持ちを抑え込みながら私は、「大丈夫です。ありがとうございます」そう言って頭を下げた。


「でも本当に呪いのくまちゃんが犯人なのかな?確かに放送事故すれすれの子だったけど」

 呪いのくまちゃんが犯人の女ではないかと噂されているのは、警察が行方を追っているとされる女が、怪談師の男と熊のぬいぐるみをめぐってトラブルになっている映像が繰り返しニュースや情報番組で放送され始めたのがきっかけだった。

 犯人とされる女が奪った熊のぬいぐるみと、呪いのくまちゃんというラジオネームがまずは紐付けられ、犯人は呪いのくまちゃんなのではないかという憶測がSNSで広まった。その後、呪いのくまちゃんの言動の不可解さ、「やり遂げるから」という言葉が、いかにも殺人を犯しそうだという考察がなされて、憶測が強化された。

 信じたくはなかった。でもだんだんと、私も犯人は呪いのくまちゃんなのではないかという思いに傾いてしまっていた。私は殺人犯と会話したのだろうか。


「事前に呪いのくまちゃんと電話してるよね?どんな感じだったの?」

 藤本さんが古館さんに訪ねた。

「事前に電話で話したときは別に普通でしたね。ラジオネームもホラー映画とか好きなのかなって思って問題なしって判断でした。電話コーナーに応募してくる若い女の子って珍しいからいいかなって思ったんですけどね」

 古館さんは反省会が始まってから初めてパソコンから目を離して、藤本さんを見ながらそう言った。

「ねぇ先週の電話コーナーここで一緒にみんなで聞いて確認してみない?」

 藤本さんがそう提案した。何が目的なのかは分からないが、私は何となく同意した。吉川さんと古館も「いいですよ」と同意した。 


 



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