馬飼隆二著『怪現場探訪録』収録【呪われたぬいぐるみの痕跡を追う】

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 私は先日、怪談師犬神マサヤ氏が主宰した怪談イベント『歌舞伎町怪奇祭』に出演した。

 その会場となった新宿歌舞伎町にあるライブハウス、プラスワンの店長である男性Aさんから、聞いてほしい話があると連絡があった。なんでも歌舞伎町怪奇祭が開催されてからというもの、店内で怪奇現象が起こるようになったというのだ。

 私は編集者との打ち合わせで東京にいった際に新宿に出向き、Aさんから話を聞いた。

 

 店のオープン前、十六時にプラスワンに行くと、Aさんは開店準備をしていた。

 軽く挨拶を交わしたあと、客席の椅子に向かい合って腰を下ろした。

 表情を見るとAさんは少しやつれているように見えた。

 店で起こった怪奇現象とはどんな物ですか?と私が切り出すと、Aさんは訥々と語り始めた。


「先日、とあるイベントの終演後にスタッフ三人と私で会場の片付けをしていたんです。二十三時頃だったと思います。スタッフの中に若い二十代の女性がいたんですが、その子が突然小さい女の子の声が聞こえると騒ぎ始めたんです」


 その女性によれば、その声は「おかあさん!おかあさん!」と叫んでいたという。Aさん含め、他の男性スタッフには何も聞こえなかったそうだ。


「空耳じゃないの?と女性スタッフを冗談ぽくからかって、僕も男性スタッフも真剣には取り合わなかったんですが、当の女性スタッフの方は凄く怯えてしまっていて。その怯え方が尋常じゃないので、私も他の男性スタッフも少し動揺しました」


 Aさんは女性スタッフの様子を見て、帰宅するよう伝えた。仕事になりそうもなかったからだ。それほどまでに怯えていた。

 女性スタッフは「すいません。それではお先に失礼します」と言って、荷物をスタッフルームに取りに行った。

 しばらくするとスタッフルームから女性スタッフの悲鳴が聞こえた。Aさんが様子を見に行くと、女性スタッフは耳を塞ぎながら床にしゃがみこんでいた。Aさんが声を掛けると、また小さな女の子の声が聞こえたと女性スタッフは言った。

 あまりのことにAさんに緊張が走った。どうしたものかと考え込んでいると、スタッフルームを何かが走り回る足音が聞こえた。

 それは女性スタッフだけではなく、Aさんも聞いた。

 小動物が店に進入してきたのか?と辺りを見回す。女性スタッフも辺りを必死にキョロキョロと見回していた。すると女性が部屋の隅を指差しながら再び悲鳴を上げた。

 どうしたの?そうAさんが尋ねると、女性スタッフは「熊のぬいぐるみを持った小さい女の子がそこにいる!」と大声を出したそうだ。


「女性スタッフが指差す方を見ても私には何も見えませんでした。でも、小田ヤスオさんが歌舞伎町怪奇祭でお話しになった、呪いの熊のぬいぐるみの話を思い出してぞっとしました」


 熱心な怪談ファンの読者の方なら、小田ヤスオ氏の名前はご存知であろう。

 古今東西の呪物を集める呪物コレクターとして、ここ最近めきめきと頭角を現してる新進気鋭の怪談師だ。

 小田ヤスオ氏も歌舞伎町怪奇祭に出演していた。その時彼が紹介した呪物というのが、Aさんの言う呪いの熊のぬいぐるみである。

 昭和五十八年に起きた「南利根町幼女誘拐殺人事件」をご存知だろうか。

 小田ヤスオ氏が手に入れた呪いの熊のぬいぐるみは、この忌まわしく凄惨な事件の目撃者なのである。


 南利根町幼女誘拐殺人事件については、インターネットでお調べいただければすぐに詳細が確認できるので参照してもらいたい。

 だがしかしどのサイトにも書いていないことがある。それは、狂った男によって尊い命を奪われた三歳の女の子の無惨な遺体は、母親が作ったハンドメイドの熊のぬいぐるみを抱いていたという事だ。

 これは小田ヤスオ氏の独自の取材によって明らかになったことである。

 さてここまで読んで、よほど勘の鈍い読者でなければお気づきであろう。

 プラスワンの女性スタッフが目撃した「熊のぬいぐるみを持った小さい女の子」がいったい何であるかを……。


 こんな恐ろしい場所では働くことは出来ないと女性スタッフは結局店を辞めてしまったそうだ。

 

 その一件以降も、小さい女の子が公演中にステージを走り回っていたがいつのまにか消えた。という話しを、Aさんはイベントを見にきたお客さんから数回聞かされたという。


「お祓いした方がいいんですかね?」

 Aさんは私に相談してきた。これほど強い怨念はちょっとやそこらでは祓えないかもしれないが、やった方がいいのはあきらかだ。

 私は知り合いである百戦錬磨の凄腕霊媒師をAさんに紹介し、プラスワンを後にした。


 次に私は、ゴールデン街にある怪談好きが集まるバー「百物語」に足を運んだ。

 百物語のマスターは、怪談師であるパンク上野氏だ。

 ここは客同士が怪談を語り合う場でもあり、怖い体験をした人と怪談を蒐集したい人同士の「お見合い」の場でもある。

 私もここで蒐集、取材した怪談を何個か本に書いたことがある。

 

 十八時。店は開いていたが先客はおらず貸し切り状態だった。

 カウンターに座ると上野氏はいつも通りワイルドターキーのロックを私の前に置いた。

 私はそれに一口つけると、プラスワンでAさんから聞いた話しを上野氏にした。

 すると彼は目を見開いて驚き、こう言った。


「いや実はね。店に来たお客さんの中に歌舞伎町の路上で熊のぬいぐるみを抱いた小さい女の子の幽霊を見たっていう人がいたんですよ。夜になんで小さい女の子が一人で歩いてるんだろうと眺めていると、ぱっといきなり消えちゃったっていうんです。それで幽霊だったんだって気づいたと」

 

 でもね驚くのはここからですよ。と言った後、上野氏は続けた。


「その熊のぬいぐるみを抱いた小さい女の子の幽霊を見たっていう同じ話しを後日、違う人からまた聞いたんですよ。それだけでは終わらなくて、さらにもう一回、違う人から同じ話しを聞いたんです。つまり三人それぞれ違う日、違う時間、違う場所で同じ幽霊を見てるんです」


 なんということだろう。もし上野氏が言うことが本当なら、歌舞伎町のいたる所にあの熊のぬいぐるみの怨念が撒き散らされている事になる。

 あのぬいぐるみがほんの少しでもいた場所、通った空間に怨念が残留するということなのか。

 プラスワンは分かる。長い時間ぬいぐるみはあそこに留まったし、実際に呪いが発動した。しかし路上はどうだろう。小田氏が手に持って移動しただけである。それなのにも関わらず、強い怨念を路上に残留させるのである。

 なんという強力な呪物だろう。

 

 私はこの強力な呪物に強く惹かれた。

 もっとこの呪物について知りたくなっていた。

 この呪物が呪物となり、これほどの力を身につけた由縁の中に、まだまだ解き明かされていない隠された何かが潜んでいるのではないか?


 私は南利根町に行く事を決めた。

 あの凄惨な事件の現場周辺に実際に足を運び、取材することによって何か分かるかもしれないと思ったからだ。

 それならば、その取材のパートナーとして小田ヤスオ氏を連れていくべきだろう。


 私は小田ヤスオ氏にコンタクトした。しかし小田ヤスオ氏とは一向に連絡が取れなかった。電話の折り返しはなく、メールに返信もない。SNSのダイレクトメールにも音沙汰なしだ。


 ならば仕方ない。私一人で行くしかない。

 私は京都には戻らず、翌日東京で借りたレンタカーに乗り込み、南利根町に向かった。

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