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 さぞかしこの管理官の指示にはここにいる捜査員の誰もが驚き、大変な騒ぎになるかと思いきや、まったくそんな雰囲気にはならず会議室は平静を保っていた。皆、事の成り行きを冷静に見守っているという感じだ。浮き足立っているのは私だけだった。


「署長から保安係の女性が路上売春をしている若い女性との面談を数多くこなしていると聞きました。彼女たちから有益な情報を引き出すのに草間さんのその経験が活きると思っての指示です。それに同じ女性の方が彼女たちも話しやすいでしょう」


 皆川管理官は命令の意図を丁寧に説明してくれた。なるほどと思ったが、それでも殺人事件の捜査などまったく経験のない私に務まるとは到底思えなかった。

 私はその事を率直に皆川管理官に話した。

「大丈夫です。一緒に行動してもらう常田君がきちんとサポートしてくれると思いますので安心してください。草間さん、やってくれますね?」

 皆川管理官の柔和な口調がその時だけは、淡々としつつも強い圧を感じさせる物へと変わった。拒否する事は出来そうにもなかった。

「分かりました。頑張ります」

「よろしくお願いします」

 重荷が肩にのしかかる音が聞こえた気がした。

「凄いじゃないですか草間さん!」

 隣の山根が肘で私をつつきながら小声でそう言った。私はただ適当に相槌を打つしか出来なかった。


 それから十五分ほどして会議は終わった。

「よしそれじゃあ早速みんな頼む」

 皆川管理官のその言葉に反応して捜査員たちは次々に席を立ち、それぞれの役割の遂行へと向かっていった。

 そんな中、どうすればいいのかと所在なく立ち尽くす私の所に一人の刑事が近づいてきた。

「草間さんはじめまして。今回はよろしくお願いします」

 聞き込み捜査を共にする事になった常田だった。

 短い髪を真ん中で分け両側を刈り上げた、今風の爽やかな印象の男だった。細身だがスーツ越しにとても引き締まった体をしているのが見て取れるし、喋り方の雰囲気で知的である事も分かる。

「こちらこそよろしくお願いします」

 私は挨拶を返しながら、頼りになりそうな刑事で良かったと少し安穏した。


「さっそくなんですが、まずは被害者の勤めていたホストクラブに行きましょう。容疑者の言動などをもう少し詳しく調べられたらと思ってます。店には事前にアポを取っていて、容疑者とよく関わっていたと思われる従業員を集めてもらってます」

 右も左も分からないから、はっきりとした言葉でリードしてくれるのはありがたい。

「分かりました。行きましょう」

 常田が颯爽と会議室から出ていく。私は少し遅れて後を追った。還暦間際の私には少々しんどい歩きのスピードだが頑張るしかない。

 入り口で立っていた山根がすれ違いざまに間抜けな顔をしながら私に向かってファイティングポーズをした。私は苦笑いするしかなかった。


 駐車場に停めてある黒いセダンに乗り込む。車に詳しくない私は車種が何であるかは分からないが、とにかく黒いセダンである。

 運転席に常田。助手席に私が乗った。青梅街道から靖国通りへと走っていく。

 新宿署からホストクラブ「維新」まで十分弱の道のりだ。

「草間さんは新宿署に来られてどれくらいなんですか?」

 常田の方から雑談を振ってきた。店につくまでにお互いの人となりは分かるだろうか。

「新宿署は五年くらい前からですかね」

「それまではどちらに?」


 私は警視庁に入って最初は浅草警察署に配属され、出産の直前まで勤めていた。

 出産のため退職したのが二十九歳の時だ。

 それからずっと主婦をしていたが、警視庁が人員不足解消のためか、出産などによって退職した元女性警官を再雇用する制度を発足させた。

 十五年前、私はそれに応募して再び警察官になった。

 赤羽警察署の交通課で十年勤めた後、新宿警察署生活安全課に異動となり今に至っている。


「と言う事はもう還暦に近いんですね。まったく見えないです」

 私の経歴を聞いて、私の年齢をすぐに導き出せるとは頭の回転の早さが素晴らしい。これに関してはまったくありがたくはない事だが。

「こんなおばあちゃんと捜査なんて、常田さん貧乏くじ引いちゃいましたね」

「貧乏くじなんてとんでもない。歌舞伎町の事や路上売春の女性に関しては草間さんの方がお詳しいと思うので、お力添えをよろしくお願いします」

 常田の社交辞令を聞き流しながら新宿の景色を眺める。平日だと言うのに相変わらず人が多い。

 容疑者の女は小さく華奢な女だそうだ。こんな人混みに紛れてしまえばその姿など簡単に見失ってしまうだろう。捕まえるのは簡単そうで簡単ではないかもしれない。

 そんな事を考えているうちに、ホストクラブ「クラブ維新」に到着した。

 


 

 

 

 

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