第7話 早朝のお仕事(2)

「ただ今より、安眠の間を展開する前の最終確認を行います。門番の役目を果たされるのは、グラント公爵夫人でよろしいですか?」

「ええ、間違いありません」

「それではこの中から、お好きな装飾品を一つお選びください。安眠の間の効力が切れるまで、門番に所持していただく鍵穴です」


 ララは持ってきたトランクを開け、夫人に見せる。髪留めやネックレス、イヤーカフなど、様々な装飾品が並んでいる。どれも普通の装飾品ではなく、術式を組み込んだ魔道具だ。

 夫人はトランクの中をざっと見た後、指輪を選んだ。中央に輝くアクアマリンが目を引くデザインだ。


「これにします」

「かしこまりました、一度お預かりいたします。……モルガンから事前に説明があったと思いますが、安眠の間は本来、広範囲での展開は想定されておりません。ですので、結界の有効期間は二ヶ月ほどとなります」

「はい、構いません」

「隣接している医療棟は適用外ですが、そちらにもご了承いただけますか?」


 グラント公爵家の屋敷は、ララの家とは随分ずいぶんと異なる。敷地内に医療棟が入っているのだ。

 そもそもグラント公爵家とは、医学の分野で国と民に尽くした功績がたたえられ、公爵の地位を得た名門貴族である。


 以前テオドールから聞いた話だと、家の中にも治療を行える設備が整っているそうだが、基本的には医療棟を利用するらしい。マーキングの際に見た医療棟は、多くの騎士が守りを固めていた。


 医療棟を含めると範囲が広くなり、安眠の間が展開できない。そのため今回は適用外だ。後で問題が起きぬよう、念のため再度夫人に確認を取る。

 すると夫人は、やや考える素振りを見せ、遠慮がちに尋ねてきた。


「あの、……時間と費用があれば、医療棟まで覆える結界を張ることは可能でしょうか?」

「結界の有効期間はどのくらいをご希望でしょうか?」


 ララの質問に、夫人は数秒黙り込む。


「……半年はほしいです」

「なるほど」


 即座に有効期間と範囲、そして開発局が抱えている仕事量を計算する。


「費用は今回の倍、完成までには三ヶ月ほどお時間をいただくことになりますが、可能です」


 答えると、今度は迷いなく夫人が頷いた。


「製作を依頼します」

うけたまわりました。後ほどモルガンから詳しい内容をご説明いたします。……確認事項は以上ですが、気になる点はございますか?」

「いえ、ありません」

「それでは安眠の間を展開しますので、右手をお貸しください」


 差し出された夫人の右手の下に、自分の左手を添える。そして右手で持った指輪を夫人の中指にはめながら、小さく呟いた。


「安眠の間、――開錠かいじょう


 ララの声に合わせて、まだ赤みの残る夫人の目が見開かれた。無理もない。一瞬にして屋敷の周りを、黄金色の光のカーテンが覆ったのだから。

 空を見上げる夫人の前で、ララは白衣のポケットから鍵を取り出した。その持ち手部分に刻まれた時計で時刻を確認し、『眠りの契約』を唱える。


「ただ今より六十日後、……八月十六日の午前四時まで、この地は光に守られる。門番の許可なく立ち入ることは、何人なんぴとたりとも許されない」


 ララは夫人がはめた指輪に鍵をゆっくりと近付ける。すると指輪の中央で輝くアクアマリンに鍵穴が現れ、鍵がぴったりと差し込まれた。


「この地が望む安らかな眠りを、決してさまたげることのないように――」


 鍵を回すと、どこからともなく音が響く。


 ――ガチャリ。


 鍵と光のカーテンが消えたのと同時に、ララの任務は完了した。







 早朝の仕事を終えて自分の研究室に帰ってきたララは、机に突っ伏して何度も同じことを考えていた。


「どうして夫人は泣いていたのかしら……」


 疑問を口に出してみても、室内の蒸留機がコポコポと音を立てるだけで、返事はない。

 目をつぶるとまぶたの裏に浮かぶのは、泣き腫らしたような夫人の顔。首を突っ込んではいけないと分かっていても、気になるものは気になる。


 安眠の間を依頼された理由も、結局分からぬままだ。なぜ結界を張る必要があったのだろう。


(理由を知ったところで、私には何もできないんだけど……)


 人の涙を見るのは、苦手だ。


 しばらくの間考え込んでいたが、胸の辺りがざわつくだけで答えは見つからなかった。それなら仕事でもして、誰かのためになる物を作った方が良いだろう。

 作業を始めようと目を開けた時だった。部屋の外から声が聞こえた。


「――いるか、ララ」


(……グラント卿?)


 ララは体を起こし、扉の方を見た。今のはテオドールの声だった気がする。だがこの研究室は開発局の中でもかなり奥にあり、基本的に他局の人間は入れない。

 ノックもなかったし、聞き間違いだろう。そう思ったのだが、一応小さめの声で返事をしてみた。


「います、よ……」

「テオドールだ。俺の声、……聞こえるんだな?」


 聞き間違いではなかったらしい。


「ん? はい。ここの扉は遮音効果を付与してないので。それよりグラント卿、どうやってここまで入ったんですか?」


 叔父が共同スペースにいたはずなのに、よく捕まらなかったものだ。


「事情は後で説明する。頼みがあるんだ、中で話がしたい」

「中って、……ここですか? 来客用ではないので、話ならいつもの共同スペースで――」

「いや、ダメだ」


 ゆずる気のなさそうなテオドールの声を不思議に思い、ララは扉に向かう。彼は夫人の涙について、何か知っているのだろうか。考えながらゴーグルをかけようとして、首元が軽いことに気付いた。


(あ、さっき机に置いたんだった)


「ちょっと待ってくださいね、すぐ開けますから」


 そう言いながら小走りで机に戻り、ひったくるようにゴーグルを手に取る。再び扉に向かおうとしたララに、テオドールは意味の分からない返事をした。


「開けなくて良い。入るぞ」


 その声の直後、ララの手から滑り落ちたゴーグルが、鈍い落下音を響かせた。ララはただ息を呑んで、テオドールを見つめる。

 研究室の扉をテオドールを。


 彼は室内を見渡しながら、いつもの調子で話しかけてきた。世間話でもするように、くだけた態度で。 


「どうやら俺は、――死んだらしい」

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