第2話 呪われた令嬢と仕事人間

 婚約破棄を言い渡された数時間後、ララは仕事に励んでいた。王城内にある王立開発局、その共同スペースで。ここは唯一、ララが自分の立場を忘れて過ごせる場所である。

 ララを含む局員たちは白衣に身を包み、アンティーク調のゴーグルをかけて作業中だ。


 そんな中、一人だけ黒基調の制服を着た他局の男がいれば、それなりに目立つというもので……。


「――つまり君は、突然の婚約破棄に腹を立て、婚約者の顔面を五発ほどぶん殴った後に仕事に来た、と」

「グラント卿、人の記憶を勝手に捏造ねつぞうしないでください……」


 ララは修理した魔道具を木箱に戻しながら、しおれた花のようにうな垂れる。殴られる可能性があったのはカルマンではなく自分の方だ、という言葉はギリギリのところで飲み込んだ。


「なんだ、殴ってないのか?」


 正面の席で書類にペンを走らせていた男、――テオドール・グラントが大げさに驚いてみせる。ララはゴーグル越しに、美形と評される彼の顔を観察した。


 長いまつ毛に縁取られたテオドールの瞳は、不思議なほどに澄んだ色だ。光の当たり方によって印象が変わり、全てを受け入れる広い海のようにも、爽やかな快晴の空のようにも見える。

 薄い唇と彫刻を思わせる高い鼻。意志の強い目と整った眉が黄金比で配置された顔は、確かに美しい。……だからと言って、意地の悪さは隠しきれていないのだが。


「私に殴れるわけないじゃないですか……。グラント卿は捜査局の方なのに、平気で物騒なことをおっしゃいますね。『縁を結びたい紳士』として大丈夫なのですか?」

「待て、その称号は誰情報だ」

「ジャスパーです」

「あいつはまた余計なことを」

「良いではありませんか。嘘ではないのでしょうし」


 テオドールが紳士淑女から放っておかれない存在だというのは、おそらく事実だ。

 女性が苦手だと言っていた頃の彼であれば同情するが、克服した今は問題ないはず。


「医学の名門グラント公爵家のご長男で、犯罪捜査局の局長。国への貢献度などを踏まえると、好かれない方がおかしいのかもしれませんが」

「好かれたい相手に好かれないと意味がないだろ。むしろ面倒なことの方が多い」

「人から好かれすぎて困る、ですか。一度で良いから言ってみたいものです。なんて羨ましい悩みなんでしょう」


 かつてないほどにひねくれた発言がこぼれ、ララは後悔した。

 自分が嫌われているのとテオドールは無関係。これでは完全に八つ当たりだ。


「……申し訳ございません。今の発言は撤回します」

「気にするな。ひがんだところで君が婚約破棄された事実は変わらないからな」

「あ、あなたまさか、優しさというものをグラント公爵夫人のお腹の中に忘れてきたのですか⁉︎」

「あははっ、よく言われる」


 テオドールの色気漂う黒髪が、彼の動きに合わせて憎たらしく揺れた。

 ひどい人だ。人の傷口を容赦ようしゃなく突き、その上で絵に残したくなるほどの極上の笑みを浮かべている。


 こんな性格なのに世間からの信頼が厚いテオドールは、三年と少し前からララのお得意様である。彼が率いる王立犯罪捜査局で使用する道具は、ララが開発と修理を担当しているのだ。


「そういえば、婚約破棄のことは家族に報告したのか?」

「まだです。カルマン卿が我が家に手紙を出したとおっしゃっていたので、両親にも事情は伝わってると思いますが」

「ふーん。でも報告は、自分の口から早めにした方が良いぞ」

「ふふっ、仕事人間からの助言ですか?」


 テオドールは自他共に認める仕事人間だ。今日だって非番なはずなのに自ら魔道具の修理を頼みにきたし、先ほどから待ち時間を使って事務作業をこなしている。

 根が真面目だから人から好かれるのだろうな、口の悪さはさて置き、とララは分析している。


「仕事人間なのは君も同じだろ」

「グラント卿と比べたらまだまだです」

「研究室に住み着いて仕事してること、知らないとでも思ってるのか?」

「か、監視の目が厳しいですね」

「君が仕事ばかりして婚約破棄の報告を両親にしないような不良娘でないことを願っているだけだ」

「……明日になれば両親が領地から王都こっちに出てくるはずなので、ちゃんと家に帰って報告します」


 安心してください、と言ってはみたが、正直、両親への報告が最も気が重い。二人を困らせるのは、もう嫌だ。


 今朝カルマンの話を聞いた限り、婚約破棄の理由は、彼が営んでいる貿易業が軌道に乗ったからだろう。本来は契約違反だが、隣国の造船所と取引をしてオルティス家との縁を切った。そうまでしてでも、結婚前にララとの縁を切りたかったのだ。

 だが彼は、両親に真実を伝えないだろう。上手く誤魔化すに違いない。今までだって、ずっとそうだったのだから。


「今家に帰っても余計なことを考えてしまうだけなので、仕事してる方が楽なんです。それにグラント卿がしょっちゅう依頼をしにきてくださいますから、溜め込むと後が大変なんですよ……と。はい、これで今日の分は全部です。確認をお願いします」


 修理を終えたララは、木箱に収めた魔道具と修理報告書をテオドールに渡す。


「言っておくが、俺が全部壊してるわけじゃないからな」

「存じ上げておりますとも。捜査局にはやんちゃな方が多いみたいですね。よく名前があがるロックフェラー卿は、開発局うちでは破壊神と呼ばれています」

「あいつに関しては否定できないのが痛い」


 テオドールは苦笑いを浮かべながら魔道具を手に取り、状態を確認していく。

 その間にララは、小さなカードにメッセージを書き始めた。内容は『今日もお仕事頑張ってください』という簡単なものである。

 捜査局からの修理・開発依頼が多いのは、彼らが国のために激務をこなしている証拠。ほんの少しでも、感謝の気持ちが伝われば嬉しい。


 ララは書き終わったカードを修理済み魔道具が入った木箱に忍び込ませる。そして自分の仕事道具を革製のトランクに収納し、立ち上がった。


(……あ、そうだ)

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