聖獣の側室 ~不倫夫も不倫女(×2)も転生しているようだけど今世は関わり合わない人生を送りたい……と思っていたらモフモフ(×2)と同僚に溺愛される人生でした~

夕藤さわな

第1話 サレ妻、思い出す。

「結婚式の準備はそっちに任せるよ。それでさ、この二人を側室として迎えようと思ってるから。上手いことよろしく、正室さん」


 ひと月半後には夫となる予定のトンプソン男爵家子息レオ・トンプソンが言い放った一言と〝この二人〟と言って差し出した絵姿を見た瞬間――。

 バデル公爵家令嬢ハナ・バデルは強烈なめまいを覚えて額を押さえた。


 王家の遠縁で血筋だけは良いけれど貧乏なバデル公爵家現当主の末の娘。

 一代で成り上がり金で爵位を買ったトンプソン男爵家現当主の嫡男。

 そんな二人の結婚。


 どう取りつくろっても政略結婚だけれど、それでも穏やかな家庭を築きたい。築けたらいい。淡い期待を胸に臨んだ顔合わせだったが二人きりになるなりこれだ。


怜央・・は……今世でもそうなんだね」


 思わず口をついて出た言葉にハナはハッとした。かと思うと、ガツンと頭を殴られたような衝撃。頭を抱え、唇を噛んで、ハナはうずくまった。


 思い出したのだ。

 前世の記憶を。

 望月 花奈だった頃の記憶を――すべて。


 ***


 有名私立小学校に通う戸籍上は・・・・花奈の息子娘である双子を迎えに行く途中、睡眠不足やら過労やらが祟ってめまいを起こし、駅の階段を転げ落ちて死んだ。

 享年三十一歳。


 望月 花奈は医師一族の落ちこぼれとして育った。祖父母も両親も親戚も医師。兄も妹も後に医師になっている。

 しかし、花奈は幼稚園受験にインフルエンザによる高熱で失敗。以来、試験や受験当日には必ず緊張で体調を崩すようになり、実力の半分も出せないまま小中高校と周囲が滑り止めの滑り止めと考える学校にも合格できなかった。

 高校受験が終わるのと同時に両親は花奈を見限った。


「お金は出してあげるから後は好きなように生きなさい。私たち家族に恥と迷惑を掛けないように、どこか遠くでひっそりと」


 こうして中学を卒業した花奈は一人暮らしを始めた。

 実家を出て以降、帰省しろと言われることは一度もなかった。元気にやっているのか、という連絡もない。祖父母の葬式にも兄の結婚式にも呼ばれることはなかった。


『お姉ちゃんだけ知らないなんてかわいそうだから』


 すべてが終わったあとにそう言って妹の玲奈が知らせてくるだけ。

 それでも花奈は仕方がないと思っていた。家族の期待に応えられなかった自分が悪いのだと、そう思っていた。


 中学を卒業したばかりの、それまで勉強しかして来なかった少女がいきなり一人暮らしなんて上手くいくわけがない。見兼ねて助けてくれたのが大家さん夫妻。学校やバイトで落ち込むたびに頬をぺろりとなめて元気づけてくれたのがノエルだった。

 花奈が引っ越してきた当時、ノエルはまだ子犬だった。六十才で仕事をリタイアした大家さん夫妻が念願叶ってお迎えした真っ白な大型犬。花奈が動物看護部がある大学を選んだのも、動物病院に就職したのもノエルが理由だった。


 花奈が動物病院に就職してすぐに大家さん夫妻が交通事故に遭った。

 旦那さんは他界。奥さんも車椅子での生活となり老人ホームに入ることになった。大家さん夫妻に子供はおらず、妹夫婦と姪はいるけれどノエルを引き取ることはできないと言う。


「それにね、ノエルのことをよく知ってる花奈ちゃんにお願いする方が安心だもの。だから、ね、お願い」


 花奈は一も二もなく承諾した。

 ノエルのためにと渡されたお金の額にはぎょっとしたけれどありがたく受け取った。働き始めたばかりの花奈の給料だけでは大型犬のノエルと暮らせる環境を維持するのは難しかったから。


 動物病院で働き、家に帰ればノエルに出迎えられ、週末にはノエルとともに実の家族よりなんでも話せる存在になっていた大家の奥さんに会いに行く。

 

 そんなささやかだけど穏やかで幸せな時間を壊したのがレオ・トンプソンの前世――小比類巻こひるいまき 怜央だった。


「子猫を拾ってしまったんですが」


 怜央と出会ったのは勤めている榎本動物病院でだった。子猫の引取先はすぐに見つかったけど、それがきっかけで食事に行くようになり、付き合うようになり、半年後にはプロポーズされた。

 本当の母親のように慕っていた大家の奥さんが亡くなり、ノエルに抱きついて泣きじゃくっていた花奈の元にやってきて怜央は言ったのだ。


「俺と結婚してほしい」


 と――。

 怜央とならきっと、幼い頃に願って叶わなかった穏やかで温かい家庭が築ける。だって怜央はこんなにも優しいのだから。

 そう信じて花奈はプロポーズを受けた。


 一応は、と両親にも結婚の報告をした。


『そう。おめでとう』


 返ってきたメッセージはそれだけ。

 ただ、妹の玲奈からは次々と質問が送られてきた。妹から――家族から届くメッセージが嬉しくて花奈はすべての質問に答えた。


 結婚相手の名前は? 何才? 職業は? どこに住んでるの? 


 玲奈のやけに踏み入った質問にも律儀に、すべて答えた。


 結婚は二人の問題だからと怜央が言うから両家への挨拶はしなかった。

 写真を撮っただけで結婚式もしなかった。

 新婚旅行にも行かなかった。


「なかなか帰れなくてごめんね。仕事が忙しくて職場の近くで寝泊まりしてるんだ」


 花奈とノエルで暮らしていた部屋でいっしょに暮らす予定だった怜央だけど、申し訳なさそうな顔でそう言われたら〝無理しないでね〟と笑顔で言うしかない。

 そんな〝穏やかで温かい家庭〟からは程遠い、実態のない結婚生活が一年ほど続いた頃――。


『今週末はそっちに行くよ。話があるから予定空けておいて』


 怜央からメッセージが届いた。

 週末、言われたとおりに部屋で待っていると怜央といっしょに妹の玲奈と、花崎 加恋と名乗る女性がやってきた。見覚えのある顔。だけど、どこで会ったのか花奈はすぐに思い出すことができなかった。


「加恋と玲奈ちゃんが産む子供を育ててほしいんだ。産まれてくる子供は俺の血を引いてるし、花奈は子供を産む予定もないし。俺と花奈の子供、双子ってことにして育てるの。花奈なら上手いことやってくれるでしょ?」


 ソファに座るなりニコニコと笑いながら怜央はそう言い放った。


「お姉ちゃんだけ知らないなんてかわいそうだから教えてあげる。お姉ちゃんから結婚の話を聞いてね、アタシ、すぐに怜央さんに会いに行ったんだ。そうしたら意気投合しちゃって。それからずーっと。新婚旅行もお姉ちゃんの代わりにアタシが行っておいてあげたから」


 上目遣いに花奈を見て勝ち誇ったように笑いながら実妹である玲奈が言った。

 状況が理解できずに呆然と立ち尽くす花奈の隣にやってきて、加恋は耳元に顔を寄せて囁いた。


「ちなみに怜央のご両親に結婚の挨拶をしたのも、結婚式で怜央の隣にいたのも私です。藤川の伯母様に擦り寄ってあなたが手に入れたお金を取り戻すために怜央には書類上、あなたと結婚してもらっただけ。用は済んだのに離婚しないって言われたときにはびっくりしたけど……納得です」


 一歩下がった加恋は花奈を見下ろして小馬鹿にしたようにくすりと笑った。

 その冷ややかな目でようやく思い出した。大家の奥さんのお通夜で親族席から花奈を値踏みするように、にらむように見つめていた女性。

 それが加恋だった。


「私、会社を経営しているんです。仕事が軌道に乗っている今、子育てなんてしている暇はない。でも、怜央との子供は欲しかった。だから、花奈さんにお飾り妻をやってもらえると本当に助かるんですよ」


 加恋を見つめ、玲奈を見つめ、怜央を見つめ。ぐるりとその場にいる全員の顔を見まわした花奈は口を開きかけて――。


「受験に失敗して、結婚にまで失敗するなんてみっともない真似はやめてちょうだいってお母さんからの伝言」


「花奈のご両親も協力してくれるって言ってるんだ。ここはお言葉に甘えて穏便に済ませようよ」


 玲奈と怜央の言葉に結局、口を閉ざした。

 玲奈と加恋が産んだ子供を花奈が産んだことにするなんてできるわけがない。そう思っていたけれど医師であり、病院の経営者でもある両親が協力するならどうとでもできる。


 玲奈が姉の夫と不倫していたことも。学生で、未婚の身で妊娠したことも。

 花奈が離婚することも。


 両親は等しく〝失敗〟で、家族の〝恥〟と考えた。だから、〝失敗〟も〝恥〟もなかったことにするために怜央と玲奈、ついでに加恋に協力することを決めたのだろう。

 花奈は全身の力が抜けるのを感じた。愛した人に最初から裏切られていたのだと知って抵抗することも考えることもやめた。


 そこからは怜央と玲奈、加恋――〝家族〟たちの言いなりだった。


「アタシと怜央さんの子供はアタシと同じ幼稚園に入園させるから。お受験失敗してお姉ちゃんみたいになったら可哀想でしょ?」


「幼稚園受験って親も重要だって言うもんな。俺と玲奈ちゃんの子供が可哀想じゃない人生を歩めるようにしっかり勉強よろしく、オカーサン」


 玲奈と怜央にそう言われて勉強に習い事にと明け暮れる日々が始まった。花奈は双子を妊娠していることにもなっている。仕事も辞めさせられた。


「毛が舞ったり舐められたりしたら不衛生でしょ? 私と怜央の子供があのクソ犬に噛まれたりしたらどうするんですか。この子が退院するまでにどこかに捨ててきてください」


「大切な家族って、たかが犬でしょ? 〝可愛い双子のママ〟になったんだからワガママ言わないでしっかりやってよ、オカーサン」


 加恋と怜央にそう言われても拒絶していた花奈だったけど、留守のあいだに怜央がノエルを車に乗せてどこかに連れて行ってしまった。そのときはノエルが自力で戻ってきてくれたけど――。


 もし、交通事故に遭っていたら。

 もし、保健所に連れて行かれて処分されてしまったら。


 そう考えると怖くて花奈は結局、元職場である榎本動物病院に連絡した。

 院長の息子が――若先生がその日のうちに引き取りに来てくれた。ノエルのためにと大家の奥さんから受け取っていたお金はすべて若先生に渡すつもりだった。でも、怜央と加恋によってすべて引き出されていて一円も残っていなかった。

 だから、代わりに花奈の貯金すべてをノエルのためにと渡した。自由にできるお金がなくなって花奈はさらに身動きが取れなくなった。


「ノエルの写真を送ります。困ったことがあったら連絡してください。困ったことがなくても連絡してください。これ、僕の連絡先ですから」


 そう言って若先生はメッセージアプリのIDが書かれた紙を置いていったけど連絡する前に怜央に見つかって破り捨てられてしまった。


 玲奈と加恋は同じ月に子供を産み、口は出すけど手は一切出さない家族たちに囲まれての子育てが始まった。子供たちは家族の期待に応えて有名私立幼稚園に合格し、付属小学校に通うようになった。

 そして、花奈は二人を迎えに行く途中に睡眠不足やら過労やらが祟ってめまいを起こして死に――。


「前世も今世もはあなたにとって都合の良いお飾り妻、ということね」


 ハナ・バデルとしてこの世界に転生したのだ。

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