第43話 エロ触手 VS 普通の触手(3)

 船首の先には、海中から頭を突き出して、さながら仁王立ちするかのようなクラーケン。


 女船長はサーベルを構えて、船首像の女神に片足をかけながら身を乗り出している。


 ボクは船長室を飛び出してから、船首まで駆け抜けて来た。船体にへばり付くクラーケンの触手を片っ端からエロ触手で剝がしたり、危機に陥っている乗組員を助けたりと、まるで渦潮のように目まぐるしかった。


 勇者パーティーとして旅立って以降、フィールドワークが増えてそれなりに鍛えられたものの、ボクはインドア志向の人間である。組織で云うならば、二番手ポジションで眼鏡をキラーンと光らせながら権謀術数を巡らせるような……うーん、いや、残念だけど、頭が特別に良いわけでもないよね。せいぜいがビン底眼鏡を傾かせて「ヤ、ヤバいですぜ、アニキ〜」みたいに慌てふためく下っ端ポジションだろうか。


 何はともあれ、相変わらず体力には自信がない。


 咄嗟に声を掛けようとするも、ゼーゼーと息を切らすばかりだ。


 目の前に広がる光景は、絶望的。


 ああ、まったく……無茶だって嘆きたくなる。


 この奴隷船を丸ごと飲み込まんばかりの超巨大な魔物の姿は、それはもう圧倒的だった。生物としての格が違うと一目で思い知らされる。船がグラグラと揺れ続けているのは、巨大触手の動きで大きな波が起きるのも一因だろうが、それよりも何よりも、局所的に呼び起こされた嵐のせいだろう。


 クラーケンは嵐を呼ぶ。あるいは、嵐を生み出しているのか。論理的に原理を考えることに意味は無く、それはとにかく魔物としての特性だと理解しておけば良い。正しく、クラーケンとは船を沈めることを宿命としているかのような魔物なのだ。


 数刻前は晴天だったのが、もはや嘘のようだ。


 雨は降っていないが、ずっしりと重たい雲に覆われて、蒸して暑い。


 曇天で暗く、時折、ゴロゴロと雷鳴の音。


 人間、たった一人で挑むなんて、無茶が過ぎる。


 ネズミがゾウに抗うようなものだ。


 一目でわかる、これは無理。


 ただし――。


 生物としては、あまりのサイズ感の違いに、本能的な恐怖に支配されそうになってしまうけれど、ギリギリで踏みとどまる。人間には、心を支える武器があるのだから。……サーベル? それとも、船に積まれている旧式の大砲? いやいや、違うよ。知恵と知識が生み出したそれらも人間だけの武器であることは間違いないけれど、神様からのギフトはそれ以上に唯一無二のものだ。


 スキルという常識を捻じ曲げる能力――嵐を呼ぶのがクラーケンの特性ならば、スキルこそ人間の特性だろう。


 女船長のスキル『海越え』。


 単身でクラーケンに挑むのは無茶であるけれど、クラーケンに生身で向き合えるのは、この船で女船長だけと云うのも確かだ。


 女船長の持つそれは、レアスキルの一種である。名前が示す通り、船長や水兵という職種に適合したスキルであるけれど、それこそ単純に航海術を支援するスキル『船乗り』などとは勝手が違う。スキル『海越え』は、自らの所有する船(あるいは、海を越えるための乗機に類するもの)を強化する。より具体的に云えば、スキル『船乗り』はあくまで己自身の生身――船乗りとして必要なスタミナや平衡感覚が強化されたり、ロープや操舵の技術が向上したりするのに対し、木造船が大砲を弾き返すようになったりするのがスキル『海越え』である。


 年季の入ったオンボロ奴隷船が、クラーケンに補足されても一瞬で沈められることなく耐えられているのは、たったひとつのシンプルな理由であり、女船長が健在であるからに他ならない。女船長のスキル『海越え』が効果を発揮している間は、そうそう船は沈められないわけだ。


 クラーケンの巨大触手が天高く伸びた。


 一本だけでなく、二本、三本、四本……。


 おー。


 たくさん。


 うーん、もしかして、ボクのせい?


 いや、選択が間違っていたとは思わないけれど。


 船体のあちこちに絡み付いていたクラーケンの触手を引き剥がして来たから、その分だけ、奴隷船が継続的に受けるダメージは減ったはずだ。


 ただ代わりに、引き剥がした巨大触手は全部、この船首に大集結のようである。


 さてさて、まとめて一網打尽にできるチャンスだって、なるべく前向きに考えたい所だけど……そんなに都合よくやれるかしら?


 悩めるボクをよそに、巨大触手が連続して振り下ろされる。


 船首や甲板をあちこち、ドラムみたいに殴打する。


 揺れる揺れる。


 それでも、船は沈まない。


 でも、さすがに限度がある。


「船長!」


 ようやく息が整い、ボクは叫んだ。


「……まったく! なんで大人しく待ってられないんだい?」


 チラッと横目で振り返って、悪戯小僧を叱るみたいに吐き捨てた女船長。


 だが、わずかに笑ったのは見逃さなかった。


 クラーケンと一騎打ち。


 字面だけならば格好良いけれど、この瞬間、女船長はこの船に乗っている人間すべての命を預かっている。文字通り、彼女が敗北すれば、スキル『海越え』の効果を失った奴隷船はすぐに木っ端みじんにされるだろう。海に放り出された乗組員や奴隷たちは、おやつみたいにクラーケンにパクパク食べられて全員終了である。


 サーベルが小刻みに揺れているのは、単純な武者震いではないと思う。


 粗野な言動とは裏腹に、真面目な性根の人である。


 ボクが駆け付けたことで、背中を押すぐらいの効果があったならば、それだけで意味はあっただろう。


 気休めになったならば、重畳。


「安全な航海はあたしの責任さ。黙って見てな」


「いえいえ、奴隷でも手伝いぐらいしますよ」


 揺れる船首をへっぴり腰でヨロヨロ進み、そのまま女船長の後ろに立った。


 間近で見ても、気力は充実しているようだ。


「本当に、やれますか?」


「くだらない質問よりも、気の利いた一言でも無いのかい?」


 スキル『海越え』は十全に効果を発揮しているらしい。


 ライダー系統のスキルの一般的な特徴であるけれど、スキル『海越え』は船を強化するだけでなく、スキル所有者の生身の方にも影響を与える。フィードバックと一言で云えば、わかりやすいだろうか。船体の頑強さや速度、収容人数などのパラメータが、人の肉体の方にも反映される。例えば、ライダー系統で代表的なスキル『騎馬』であれば、より良い駿馬に巡り合えば、それだけ馬上での人間の能力も向上するというわけだ。


「こんな船でも、ジイさんの形見なんでね」


 船首像から、さらに身を乗り出して、女船長はサーベルを振り上げて行く。


 その背中に向けて、ボクは気の利いた応援のつもりで叫んだ。


「クラーケンの触手を一発でも喰らったら終わりですよ! ギリギリで避けられるように……どうか、これまで毎晩ベッドで相手にして来たエロ触手の動きをじっくり思い出してください!」


 ボクの声援を背に受けて、ここぞというタイミングでズルッと転びかける女船長。


 ……うん、ごめんなさい。


 どうやら余計な一言だったらしい。

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