精霊王の娘は人間を愛したもので。

真堂 美木 (しんどう みき)

第1話 古の森

 木々が鬱蒼と生い茂る深い森。

 その森にひと際目立つ大樹がある。

 悠久の時を連想させる太い幹からは、枝が縦横無尽に伸ばされ視界を遮り、苔むした地面にごつごつと隆起させながら広がる根は、人間の足を掬う。

 荘厳さを醸し出し畏怖の念を抱かせるその大樹は、人間の侵入を拒み、この森が古の森であると暗に語っている。

 そして、この古の森深くには、霧で隠され辿り着くことが出来ない場所があった。


 結界で守られたイマージュ帝国の旧宮殿は、静かで温かい。

 高い空の青が映え陽光が常に降り注いでいる美しい場所。

 静寂の中で聞こえるのは、泉から湧き出る水の微かな音と、澄んだ空を悠々と飛ぶ甲高い鳥の鳴き声が時折響くだけ。

 「静かだわ」ポツリと、呟く声が自身の耳に返ってきた。

 弱音を吐くつもりはない。自分で決めたこと。人間である夫と添い遂げることを決心したあの日からこの様になることは分かっていた。

 だから、後悔なんてしていない…はず。

 ただ、気になるのは、転生を繰り返している愛娘のこと。


 可愛い娘の今世はどのようであろうか。

 泉の水面を見遣ろうとしたとき、霧の壁が微かに揺れる気配がした。

 「エスプリ、寂しいのだろう。また、あの娘を見ているのか」

 背後から聞こえる優しさに溢れたいつもの低い声。

 振り返ると精霊王である父が、長く伸びた白髭を撫でながら立っていた。

 「お父様、お久しぶりです」

 「ああ、本当に久しぶりだな。最近はこちらもいろいろとあってな」と、疲れを滲ませるような深い溜息をついた。

 父の様子に遠い過去が重なり不安が胸をよぎる。

 「森に何か異変でも…」

 「ああ…森を訪れる人間と共にが入り込んできた。まだ数は少ないがな」

 「ええ、は人間のがあると直ぐに増殖してしまいますもの。気がかりですわ」と、足元の薄緑色の下草を見た。その地下深くには、封印された邪気の池がある。

 そこに封印するも増え続けている。このままでは、抑えきれなくなるのも時間の問題である。


 父と共に泉に手をかざすと、愛娘の魂が転生した現在の姿が映った。

 生まれて七日目の赤ん坊のまだとても柔らかい髪は、瞳と同じ黒色をしている。寝かされている木製のベビーベッド脇の壁には結星ゆらと、書かれた白い紙が貼られ若い夫婦が慈しむように「ゆらちゃん」と、幾度も呼んでいる。


 ふいに、赤ん坊が宙を見つめた。

 見えていないはずの視線の先が、泉を通し異なる世界の私たちに繋がった。

 突如、赤ん坊の胸辺りから眩い光が漏れ出し全身を包み込む。

 「テラ、」

 咄嗟に愛しい娘の名を呼んでしまった。

 若い両親は、自分たちの娘が眩い光に包まれ、更には何処からともなく「テラ」と、呼ぶ謎の声が聞こえ、驚嘆の表情を呈した。

 父が、すぐさま右手で泉の水面を切った。

 その刹那、地球という青い星が見え直ぐに繋がりが途切れた。


 「お父様、ごめんなさい」

 つい声を発してしまった自分が情けなくて顔を上げられない。

 「いや、愛しい娘のことだ。仕方がない。だが、繋がったか…」

 「はい。娘の魂を送り出してもうすぐ千年の時が経ちますので、」

 「そうか。そろそろ、その時が来るのだな」と、父が私の目を見た。

 「ええ、この世界にテラを呼び戻す時が来ます。青い星のゆらが二十五歳を迎えたときに」


 精霊である私の欠片を宿した愛しい我が娘。

 その魂をこの世界から異世界へと送り出してもうすぐ千年の時が経つ。千年を超えてしまうと、欠片の力が不安定になる。こちらの世界に戻る前に欠片が魂から離れてしまえば、もう娘の魂をこの世界に引き戻せない。

 そして、娘は永遠に、短い人生の転生を繰り返すループに閉じ込められる。

 もしかすると既に娘の中の欠片は、不安定になりかけているのかもしれない。

 だから、本当は直ぐにでもこの世界に戻したい。

 でも、娘を慈しむ眼差しの若い夫婦から、今すぐに娘の魂を取り上げるのは忍びなく、限界である二十五歳まで待つことにする。

 その時には、必ず娘を連れ戻す。

 邪気の封印を続けるためにも、愛しい娘の魂が私の欠片と共にこの世界へ帰還する必要がある。


 私はなんて自分勝手な母親なのだろうか。

 いつから自分勝手な振舞いをするようになったのだろう。

 たぶん、人間である夫と添い遂げたいと思った時からかもしれない。

 愛しさと寂しさとを持つようになってから…

 

 誰もいない結界の中で小さく声を発した。

 「愛しいテラ…母をゆるして」

 


 

 

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