終章・それは、消された物語

1

 アパートの階段を駆け上がり、すぐの部屋の扉の前で立ち止まる。広がる夏の夜空が、僕を見下ろしている。

 インターホンを押すと、中から返事があった。


「鍵は開いてるよ。入ってくれ」


「失礼します」


 先生の声を聞き、扉を開ける。

 その瞬間、パンッと破裂音に包まれた。カラフルなテープが、僕の頭に降りかかる。


「小鳩くん、退院おめでとう!」


 ノースリーブの白いブラウスに、黒のスキニーパンツ。下ろした長い黒髪。クラッカーを持った麗華先生が、僕を笑顔で迎えた。

 金のテープがぱらぱらと、僕の頭から落ちる。


「退院って。先生より一日長く検査入院してただけですけど」


「検査入院だろうと一日二日だろうと、退院は退院だ。おめでたいじゃないか。ふたりの退院を祝して、今夜は宴だ」


 要はなにかと託けてお酒を飲みたいのである。先生は無邪気に、奥の部屋へと僕をいざなう。


「ムクちゃんも仕事が終わり次第来る。さあ、待っていられないし、先に始めよう」


 旧シバチクから脱出した、あのあと。

 横転している先生の車と僕らは、通りがかりのトラックの運転手に発見された。僕らは救急搬送され、それぞれ入院となった。

 先生は切り傷と打撲と火傷、僕は左腕を骨折し、治療を受けた。お互い命に別状はなく、先生は一泊、僕は二泊で退院している。そして今日、退院祝いとして、僕は先生に呼ばれた。


 先生がローテーブルにお酒の缶を並べ、僕は僕で、買ってきたおつまみを広げる。これまでの日常が戻ってきたのだと、ふと意識する。

 先生がお酒を顔の高さに掲げた。


「カメラや取材ノートが入った鞄、スマホはまだ戻ってこないし多分無事じゃないし、車は廃車。でも、私たちは生きてる!」


 僕も、盃を手に取り、持ち上げた。


「生きて帰ってきた。それだけで充分奇跡です」


 そしてお互い、その缶をぶつける。


「乾杯!」


 カンッと小気味のいい音が、部屋の空気を震わせる。僕らは同時に、お酒を口に流した。

 先生の言うとおり、手荷物は村に置いてきてしまった。あのとき僕らは、風呂上がりの浴衣姿のまま、裸足で、車の鍵だけ持ってあの村を飛び出したのだ。


 バイト先には、突然のシフトに穴を開けて迷惑をかけてしまったが、事情が事情なので許してもらえた。それどころか心配をかけてしまっている。

 病院に着いてすぐ、椋田さんがお見舞いに駆けつけてくれた。連絡を受けて即行来てくれて、なにかと世話を焼いてくれた。

 妹からも電話があった。見舞いに来ると言い出したが、すぐに退院するからと断った。


 お酒をひと口飲むと、強いアルコールがガツンと脳に直撃した。くらっとする頭を押さえ、僕はひとつ、息をつく。


「入院してても、検査と警察が代わる代わる来て、あんまりのんびりできませんでしたね」


「そうだなあ。おまわりさんたち、今頃あの山の中で捜査だろうか。財布とスマホと免許証くらいは、帰ってきてほしいよな」


 救急搬送された僕らのところへ、当然、警察が来た。危険運転のお叱りから始まったが、事情を話すと彼らの顔色は変わった。

 僕らが搬送されたのと同刻頃、付近の町の消防に山火事の通報があった。僕らはその火事から逃げ出してきたという話と、そして村で行われていた奇妙な事業を、警察に全て打ち明けたのだった。


「私のカメラは見つかったらしい。写真が証拠になるって、警察に持ってかれちゃった。カメラが壊れていなければいいが」


 先生が早くも缶をひとつ開けた。

 信仰やら呪いやら云々以前に、あの村で行われていたことは立派な犯罪だ。ここからは警察の仕事である。


「あの村、不法占拠だったみたいですね。よく今まで見つからなかったな」


 僕が言うと、先生はそうだねと頷いた。


「観光事業に力を入れている、と言いながら大々的に広告を打っていなかったのも納得だよ。見つかりたくなかったんだ。ウツワ様は数年にひとりで事足りるんだから、客をたくさん呼び込む必要はないわけだしね」


 村の建物や畑は、村人たちがコツコツ作り上げてきたもの……というのは聞いていたが、水は山の水源から引っぱってきて、電気は近くの林業家の小屋から盗んでいたらしい。そうまでして村を造り上げていた執念が恐ろしい。

 先生がサラミをつまむ。


「これからもしばらくは、聴取に付き合わされるだろうね。証拠は殆ど焼けちゃっただろうから、私たちの証言が重要になるんだろうし」


「そうですよね。殆ど……焼けちゃった」


 先生の言葉を繰り返し、僕は手の中の缶に目を落とした。

 異様な執念で造り上げられたあの村は、ひと晩で松明の火に呑まれた。不法占拠で勝手に造られていたあの村は、消火設備が整っていないし、建物に耐火性能なんか当然ない。火事を想定されていない構造だった。

 それなのに儀式のために松明なんか焚いたのかとツッコミたくなるが、そもそもあんな村を築くような人たちに、真っ当な思考回路は期待してはいけない。


 僕は火の手が回った宴会場の光景を思い出しては、頭が痛くなった。パニックを起こして叫ぶ人、煙を吸って咳き込む人……倒れて動かない人。あれがフラッシュバックすると、僕もあの瞬間のように、全身が硬直する。

 火に包まれた村には、人が残されていた。逃げ切った人も多少はいただろうが、助からなかった人もいる。ウツワ様と共に、燃えていった人がいる。

 暗い顔で俯く僕の前で、先生はふたつめの缶を開けた。


「細かいことは気にするな。さっきも言ったが『私たちは生きてる』。それが事実だ」


 先生は僕とは違って、上手に切り替えている。僕もなんとか呑み込もうとする。彼らは、僕らを殺そうとしていた人たちだ。それに火事を起こしたのは僕でも先生でもない。僕らが殺したわけではない。

 そう自分に言い聞かせても、僕は当分は寝付きが悪いだろう。缶を握る指に力を込め、僕は胸の中で献杯した。

 先生が追加のお酒を口に傾ける。


「そういえば昨日も、君が一日長く入院している間に、私のところへ別件のおまわりさんも来たよ。竹人形の中から出てきた目玉を調査してた人」


「それもありましたね」


「DNA鑑定の結果、十年くらい前に行方不明になっていた、都内の若い女性だったそうだ。夏にシバチク周辺の地域に旅行に行って、そこでナンパされて男に連れ去られ、その後、足取りを追えていなかった子」


 先生の話を聞きながら、僕は眉を顰めた。あの村は、新しいウツワ様を探すときには村の外から手頃な人材を拾ってくるのだと話していた。あの話が観光客向けのパフォーマンスではないと判明している今なら分かる。この行方不明の女性は、かつてのウツワ様だったのだろう。

 そしてやはり先生の想像どおり、任期を終えたウツワ様、すなわち人の剥製は、竹筒に入れて呪いの小道具として村の外へ散らされる。目玉の持ち主の体はばらばらになって、今もどこかで、竹筒に入れられて人の手から手へ移り続けているのだ。

 僕はどうしようもなく、やるせない気持ちになった。


「その人も、やっぱりあのお酒を飲まされたんでしょうね」


 病院で受けた血液検査で、先生からだけ、毒の成分が検出された。同じ検査を受けた僕からは出なかったそれは、村で振る舞われた酒に仕込まれたものだった。

 警察から聞いた話では、村に燃え残っていた酒蔵に、あの土地で採れる毒性の植物が保管されていたそうだ。強いアルコール分と同時に接種すれば、神経を麻痺させるものだという。


「そんなの飲んで、なんで先生は平気だったんですか」


「平気じゃなかっただろう。ちゃんと痺れも目眩もあった。ただ、私は酒に耐性があるから反応が弱かっただけ。あー、普段から酒浴びてて良かった」


 先生は笑いながら話すが、僕は青ざめて絶句した。思えば先生は、客室でごろ寝していたときから、あまり体を動かそうとしなかった。あの時点ですでに痺れが始まっていたのだろう。

 あの村の人たちは、村の外の人間を捕まえては毒入りの酒を飲ませ、ウツワ様にしていた。ウツワ様候補から外れる人間は、村に取り込むか、拒否すれば外へ事情が漏れないように殺される。

 なんて悍ましい所業だろう。犠牲になった人々を悼む気持ちとは別のところで、やはり彼らを許せない気持ちもある。

 先生は機嫌良さげに、無毒のおいしいお酒を口に傾ける。


「あれを飲んだのが私だけで幸いだったな! 小鳩くんが飲んでたら、その場で倒れてあっという間にウツワ様だったぞ」


「さすがは文学界の酔拳使い」


 椋田さんの表現を借りて、僕はため息をついた。先生のアル中は褒められたことではないが、この件に関しては、先生の日頃の飲酒量に救われてしまった。


「先生は強いですし、先生のおかげで助かった……というのは、事実ですが」


 僕はぐいっとお酒を飲み干し、回る目で先生を睨んだ。


「さすがに今回は堪えましたよ。先生の好奇心に巻き込まれて、貞操と命を奪われかけましたよ?」


「ごめんごめんー。でもほら、ちゃんとギリギリのラインで儀式を中断させたじゃないか」


 先生はかなり軽やかに謝って済ませてきた。僕はまだ不服だったが、先生は危険を察知して逃げる算段は立てていたし、火事は誤算だった。

 そもそもあの村はテーマパークを装っていたわけで、先生もわざと僕を怖がらせようとしたのではなく、文字どおり取材に行っただけなのだ。それがたまたま、「本物」だっただけだ。

 先生は機嫌良さげに、酔いが回った赤い頬で微笑んだ。


「おかげさまで傑作が生まれそうだ。ゲラ読み、楽しみにしていてくれ」


 それを言われてしまうと、どんなに理不尽な目に遭おうと全部許してしまう。結局僕は、月日星麗華の大ファンなのだ。


 ただひとつ、まだ気にかかっていることがある。

 世に出る前に消されてしまった、先生のあの作品。


「――初音ちゃん」


 口の前で缶を止め、僕はその名前を呟いた。先生は、缶を口に傾けたまま、ぴたっと止まった。

 僕は言おうか迷いつつ、お酒の勢いで続けた。


「あのお話も、消さなくても良かったのに。きっとあれも傑作になりましたよ」


「あれはだめだ。世間に出せるような作品じゃない」


 先生は自分で描いておいて、辛辣に評した。


『死ぬわけにはいかない。私が死んだら、あいつは二回死ぬ』


 炎に巻かれて叫んだ先生の声が、今でもはっきり、脳裏に焼き付いている。


『あんたを殺すわけにはいかない。初音!』


 いじめを受けていた、中学生の女の子の名前だ。……先生の描いた、物語の中で。


「もしかして、先生の幼馴染の名前って……」


 僕は途中まで言いかけて、さすがにやめた。お酒の勢いを借りすぎだ。折角の快気祝いなのだから、先生の内側に土足で踏み込むような真似はできない。

 先生はしばし僕を見つめ、やがて缶を置いた。


「消したあの作品だがな。その主人公の、友人視点の物語が頭の中にある」


「初音ちゃんの友人視点……ですか」


「どうせあの作品は世には出さないが、君だけは盗み見ているからね。あの物語のスピンオフだと思って、構想を聞いてくれないか」

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