第6話 天河人狼

 朝方に小切谷村を出て気づけばもうとっくに昼を過ぎ、川に沿って山を降っていった。

 小切村の長老であるツバキさんからいただいた小切の勾玉は故郷の狛村で手に入れた勾玉とはどこか違う。

 狛村の勾玉はどこか暖かい感じだけど小切谷村の勾玉からは何も感じない。

 キバラキから出てきた赤色の勾玉と比べると何かが足りない気がする。

  

 天河村はこの山を超えて安雲平原に出てから一日ほど。小切村で一日無駄にしたから急がないと。


 私は体を伸ばして袋の中に巻いて保管している地図を取り出すと拡げた。


  「えーと今いるのは豊肥(とよひ)川の側だからこれに沿って降れば早く着くか。よし、先を急ごう」

 私は地図を袋に片付けて先に進んだ。

 それからしばらくこの鬱蒼とした山を走り続け、先に見える光明に導かれるがまま進むとついに広大な平野に出た。

 秋風の煤じく美味しい風を浴び少し晴れやかな気持ちになる。

 その北側を見ると大きな集落がある。一回地図を見て確認しよう。

 地図を広げじっくり見る。


 「えーとあれは……天河安雲都。あぁ、税を納めに行っている場所か。そしてあの都を抜けた先の山に天河村がある」


 私は地図を袋に片付ける。

 すると背後から何かが背中に乗った。無理やり引き剥がして振り返るとそこには赤い髪が見える。


 「え、えーとあなたは……」


 そしてじっくり見ると私が以前森の中であった少女、ツムグさんだった。

 ツムグさんは今にでも大笑いしそうな顔で腹を抱えると私に指をさす。


 「はい正解だよ! 補足するとあそこは日向神の子供である草鎌洲彦(クサカマノスヒコ)とその末裔が安雲を統べるためにある都さ。けど、ふふっ——あんなに驚くなんて君って面白いね!」


 ツムグさんは限界だったのか腹を抱えて笑い出した。

 私は少し大きく息を吸った後、力を振り絞って勢いよく足を踏み込むとツムグさんの脇腹を肘で殴った。


 「痛いっ!」


 ツムグさんは脇腹を抑えると地面に倒れて足をバタバタ動かす。

 ……あ、つい本気出しちゃった。

 私は足を屈むとツムグさんの脇腹を撫でた。


 「えっと……ごめんなさい。強すぎました?」


 するとツムグさんはケロッと何も無かったかのように動きを止めるとすぐに起き上がり私を見下ろして笑顔になった。


 「ううん。痛く無かったよ」


 ツムグさんの赤毛が風で揺れる。

 まぁ、なら良いのかな。

 私は思い腰を上げるとツムグさんに視線を合わせた。


 「ところでツムグさん。何してるの?」


 「言ったでしょ。神の導きでボクは動くのさ。剣を君に届けた後に君を導きなさいって突然言われて助けに行ってたんだよ? そんで会おうとしたらここで待機ってさ! あ、そうそう勾玉手に入れられた?」


 ツムグさんは目を輝かせながら私にくっつくとニマニマと口角を上げながら上目遣いで見てきた。

 ……しつこいな。けど、ここは我慢。


 「はい。一応手に入れられました。だけど何かが足りない気がするんです。何というか力がこもって無いというか……」


 私はとりあえずツムグさんにお礼を伝え、勾玉について話す。

 すると唐突にツムグさんは大きな笑い声を漏らし始めた。


 「プププ! ごめん、それ偽物だよ君騙されてるよ! あははは!」


 「——」


 笑い出したツムグの首元に剣先を向けた。

 ツムグさんは現状をすぐに把握して笑うのをやめると一歩後ろに下がった。


 「ごめんなさい」


 ツムグさんはすぐにというか全力で何度も頭を下げた。だとしたら最初からするな。

 ていうか最初に出会った頃のお淑やかなツムグさんがこんなバカみたいな煽りをするだろうか? いや、すると思うけど導くと言うのなら何か情報があるのかもしれない。

 とりあえず剣を鞘に戻す。


 「で、情報を伝えに来たの?」


 「そうだよ! よく気づいたね!」


 「早く話して。あなたと立ち止まって喋るのは正直時間の無駄。日も下がりそうだし」


 「じゃ歩きながら話す?」


 ツムグは悲しそうな顔で語りかけてきた。これだと私が悪者みたい……。まぁ、しょうがないか。


 「——なら良いけど」


 一応承諾した。ツムグの顔を見てみると元気が戻っている。


 「君、実はいい子だよね……」


 私はツムグの許可が降りたところで歩き、ツムグはその私の隣を歩いた。その間ツムグさんが色々と話してくれた。

 

 

 「——で、その話というには天河村に行くのなら人狼の人を連れたほうがいいってこと。あ、人狼ってわかる?」


 「知ってる。耳が狼なんでしょ? そして狼の如く尻尾を持つ。昔に妖怪呼ばわりされた恨みを持っているだったかな?」


 「大正解! で、天河村というのはね。まず前提として神代に日向神(ヒムカノカミ)が安雲平定の時、天河神(アマカワノカミ)が国を譲り、その際アマカワノ神の子供たちが住み着いた場所が天河で、奥さんが人狼だったからその子供たちも人狼。これがいわゆる天河を氏とする天河人狼の始まりだよ」


 「なるほどね。だけど人狼の人は本当に必要? ただ聞いただけだといらないよね?」


 「うん。前まではね。今はなぜか部外者に対してかなり酷い扱いをしてね、近づいたら矢を放ってくるんだ。けど交易の品や貢物は丁寧に都に持っては来るんだよね」


 「——それは少しおかしい」


 「そうだよ〜。神様が話すには前に一度村に盗賊が出没してね。それが原因かなとボクは見ているんだ」


 ツムグさんはいつにまして真剣な顔でそう言った。

 それからトヨヒ川を沿ってに歩いて天河安雲都を通り過ぎ、山道が見えたところで再び山の中に入り奥に進んだ。

 休憩は何度か取ったものの、周りはすでに薄暗い口なった為、立ち寄った小さな漁村に泊まり早朝にお礼を言った後出発する。


 それからしばらくして昼前、世yかく前に小さな家が乱立している集落が見えた。ツムグさんは足を止め、それに釣られて私も足を止めた。

 そしてツムグさんに無理やり腕を引っ張られると近くの林の中に身を隠れさせられた。

 林の影から見ると四つ足の見たこともない獣に男が弓を持ちながら乗っていた。それも十数人。

 集落の周りには先が建てられて物見櫓もある。

 ツムグさんは私の肩を叩くと集落に向けて指を差した。

 

 「さっき話した盗賊の集落だよ。あそこに天河人狼の女子供がいるんだ。ボクは弱いから難しいんだよね。それに馬にも乗っているなんて異族の類かな?」


 「馬? あぁ、あれが馬って獣。初めて見た」


 「ふ〜ん。知っているんだ」


 ツムグさんは露骨に拗ねた顔になる。

 馬は名前だけはイナメさんから聞いていた。貴人と武人が飼育している獣としか聞いてなかったけど。


 「——もしかして私だけで助けろってこと?」


  ツムグさんはニマニマしながら私の着物を掴む。

  私はその顔を見て大体察して力を抜いた。多分「やれ」と言いたいんだろう。


 「そう! 君が助けるんだよぉ!」


 私はツムグに投げ飛ばされて林から転がり出された。次の瞬間他ものすごい轟音が辺りに鳴り響いた。そして草履の草をかき分ける音が近づいてくる。

 


 「——あーもうっ!」


 つい大声を出してしまった。前を見ると複数人の古い甲冑を身に包んだ傷だらけの盗賊たちが私を取り囲んでいった。


 「襲撃! 襲撃だ!」


 「女だ! 武器を持った女だ!」


 集落から男の声が聞こえ、次の瞬間獣の背に乗った男達が弓を構えながら迫ってきた。私が弓で攻撃しようとした間に獣は私を取り囲み、男達は一瞬で私を囲んだ。

 それに続いて見慣れない剣を持った傘を被った若い男が私を囲むと徐々に近づく。


 「い、いつの間に?」

 

  おそらく盗賊であろう男たちの来ている服はどれも見た事がない。剣も着物の紋様もどれも初めてだ。

 

 私は呼吸を整えてゆっくり剣を抜く。

 すると盗賊の中でも大柄の男、多分頭領と思われる男が私に剣先を向けた。


 「おい女。今すぐここから立ち去れ。無駄な争いはしたくない」


 いや、無駄な争いを作ったのはそっちなのによくそんなことを。

  

 「それは出来ない。もし帰って欲しいのならあなたたちが攫った人たちを返して貰うわ!」


 私は何かおかしいことを言ったのか盗賊たちはポカーンと呆気を取られた顔になる。頭領は首を一度勢いよく振ると肩で息をしながら私を見た。

 

 「——えっとなんの話だ?」


 頭領は首を傾げる。

 よし、私だって穏便に済ませたい。人なんて斬ったことないから当然だ。

 私は剣を鞘に収めると頭領に少し近づく。


 「——これは聞いた話なんですが天河人狼の方が攫われたみたいです。私は彼らを解放しに来たのです」


 私がそういうと頭領はしばらく考える。 

 すると頭領の後ろから髪が薄く、体が細い優しそうな人が頭領に変わって前に出て喋った。


 「えっと、すまないが俺たちもその盗賊を討伐を終えて天河殿の民を我が集落に泊めているだけだが……」


 「あーはい……」

 

 なるほど。

 顔は嘘をついている様には見えない。けど彼らが何者かは知っておかないと。私から見て危険でもあちらでは普通なのかもしれないし。


 「では、その証拠を見せてください」


 「——そうか。分かった」


 奥から聞こえる頭領の声からこの緊迫した場に合わないため息が聞こえた。

 すると頭領は細い男の肩に手を置き、私を見て薄ら笑いをした。


 「娘御。ここがどういう場所か聞いたことあるか?」


 「いえ、聞いたことないです」


 頭領は私の言葉を聞いて一瞬ポカーンとした顔を浮かべた後、ゲラゲラ笑い始め、周りにいる盗賊達も笑い始めた。

 何か変なこと言った?

 そして頭領は私を見て大きく息を吸った。


 「娘御! 我々は天河人狼に従う東の果ての民で、ここはその我らの集落だ。我々の持つ弓、そして蕨手刀(ワラビテトウ)は天河殿の為にある! 一族を救ってくれた者に武器を向ける大馬鹿ものがおるか!」


 頭領はそう告げると蕨手刀(ワラビテトウ)と言うらしい刃が曲線を描いている剣を高く掲げ、周りの盗賊達も同じく手に持っている武器を掲げた。


 あ、もしかして人違い?

 後ろを振り向くと林の影にいるはずのツムグさんがいなかった。

 前を向くと頭領は私に何か言い残す言葉はとでも言いたげに鼻から息を吐く。よし、小切谷村の一件で学んだ。これ以上やらかす前に謝罪しよう。


 「あ、えっと。すみません人間違いでした」


 「うむ。謝ることは良いことだ。次からは気をつけよ!」


 頭領は陽気なことに大笑いをし始め周りの仲間も釣られて笑い始めた。

 なんだろう、これはどうすれば良いのかわからない。


 頭領は満足したのか私の肩に手を置く。


 「まぁ良いとんだ勘違いか。間違いは若い時にするものだ。間違いを知らぬまま大人になれば取り返しの付かない愚か者に成り下がる」


 頭領は先程の苛立った顔ではなく、どこか優しい顔をした。

 そして私の後ろの山に指を差した。


 「時期に天河の方々が参られる。それまで我が郷にいなさい」

 

 「あの、先の無礼を許すのですか?」


 「許すと言っただろう!」


 そして頭領は私に近づき、体をマジマジと見てきた。


 「銀色の髪に赤い眼。それに安雲の者とは異なる盾。娘御。妖怪か?」


 「私は狛村の源マカです。この髪と眼は……生まれつきです」


 「——源、安雲。ふむ」


 すると頭領は急に剣を鞘から引き抜くと私目掛けて振り下ろしてきた。

 まずいっ!

 私は咄嗟にに後ろに下がると剣を鞘から引き抜く。


 頭領の剣は私の前髪に少しだけかする。

 しかし、頭領の動きは私が思っていた以上に早く、何度も斬りかかし、一つ一つの攻撃が重く、なんと盾で防いでいる。盾を握る手の感覚がなくなりそうだ。


 そして頭領が私の首を狙って鋭い剣先で貫こうとしてきた。

 よし、今だ!

 

 私はそれを剣で防ぐと受け流そうとするが次の瞬間頭領に足を掛けられその場に倒れると手を踏まれ首筋に剣を当てられた。


 「ぐっ!」


 少し状況が理解できない。やっぱり彼らは盗賊!?

 その時、頭領は私を抑えるのをやめた。

 ゆっくり立ち上がり頭領に視線を合わせると彼は剣を鞘に戻した。


 「——我が名は音代(オトシロ)。そして我が一族の名は大音部(オオネブ)である!」


 そして頭領は嬉しそうな顔で私に腕に巻いていた布を渡してきた。


 「突然のことですまなかったな。源氏とは一度戦ってみたいと思っていたのだ」


 私は戸惑いながらも地面に落ちた剣を鞘に入れた手を肩にかけるとその布を受け取った。

 その布には彼らがきているのと同じ紋様が描かれていた。


 「あ、はい」


 オトシロは後ろに立っている細い男を見た。


 「ネバベ。お前は天河の方々をお出迎えしてくれ。俺はマカ殿をヒルコ様の元にお連れする」


 「御意」


 ネバべと言われた細い男はそう言うと後ろに下がり出入り口の前に数人の仲間とたった。


 「ではマカ殿であったな。案内する」


 「あ、ありがとうございます」


 私はオトシロに連れられて歩き始めた。

 その道中オトシロは色々と教えてくれた。それはまず私を外見であやかしと判断したらしい。


 私は別に嫌な反応はしなかったけど、小切谷のツバキさんたちもそう勘違いしていたから割と間違えられやすいらしい。

 オトシロは陽気な性格なのか笑っていた。


 「まぁ、何しろ俺は夢が叶って幸せだ! で、マカ殿は一人で来たのか?」


 「いいえ、仲間が一人いたんですよ。髪が赤くて背が低いの女の子ですけど。オトシロさん達がきた瞬間に逃げたみたいで」


 「なるほど。あの感じその子に盗賊の巣くつと言われた感じかな?」


 「まぁ、そう言う感じです」


 オトシロは先ほどよりも大きな声で笑う。

 本当にツムグさんどこに逃げたんだ。


 「まぁ、取り敢えず。その子は後で我々が探そう。もしかしたら近くに潜んでいる可能性もあるからな」


 「それは助かります」


 それから屋敷に着くまでの間オトシロさんと話した。

 どうやらオトシロさんは見た目と打って変わって少しお父さんのような気風のせいか、話していて嫌ではなかった。

 お父さんを知らない私でもこんなに落ち着くのなら、一族の方々も私のと比べてかなり信頼しているんだろう。


 やがて屋敷に着いた。屋敷は一回り大きな高床の屋敷で「とりあえず中でくつろいでくれ」とオトシロさんから言われた。

 中に入るととても広く、見た目からして人狼の女子供が囲炉裏を囲うように輪になって談笑していた。

 さて、どうやって声をかけよう。


 その時、手前に座っていた高貴そうな女の人狼が振り返り私を見ると少し驚いた顔をした。


 「あら? お客様ですか?」


 「あ、えーと私は……」


 私が言い悩んでいる間にその女の人の周りにいた人狼たちは振り返り私を見た。彼らは私を見るとコソコソ話す。

 とりあえず自己紹介ぐらいしよう。


 「私は狛村の源マカと言います。あなた達は盗賊達に捕らえられていたという天河人狼の方々でお間違い無いですか?」

 

 私が聞くと彼らは全員頷き、女の人が私が無害だと気づいてくれたのか優しく教えてくれた。

 

 「あぁ、もしかして私たちの噂を聞いてきたのですか? それなら大丈夫です。ここ遠く東の民——蝦夷の方々が盗賊の住処に来て助けてくださったのです。それで私たちはこの里で天河村からの迎えを待っているところなのです」


 「そうなんですか。なら良かったです——え、蝦夷?」


 「あら? ご存知ないのですか?」


 私が首を縦に動かすと女の人が面白そうに教えてくれた。


 「ここは東の民、蝦夷たちの集落です。東の国での戦いで私どもに恩返ししたいと言って安雲に移り住んだんです」


 「あ、あー」


 そういえばオトシロさん言っていたの思い出した。

 なるほど、東の民は蝦夷って言うんだ。知らなかった。


 「けど、あなたが来たのはまた別の理由では?」


 女の人は見透かしたかのように聞いてきた。

 人狼は人と異なって見る目がかなり良いと聞くから、隠し事は無駄だろう。

 私は屋敷に上がり、荷物を下ろすとその場に座った。


 「はい。天河村にある秘宝を少しばかりお借りしたく伺おうとしていたのですが、盗賊に襲撃されてから入れないと聞いて皆様をお助けすれば入れるのかと思ったのです」


 「そういう事ですか。でしたら私がいれば大丈夫でしょう」


 女の人は腰まである長い茶色の髪を撫でると大きく息を吸った。


 「私は天河人狼族長の従兄弟。天河千穂比子(アマカワノチホヒルコ)と申します」


 「ヒルコ——様」


 そういえばオトシロさんはヒルコさんの元にお連れするって言っていたよね。

 するとヒルコ様の隣に座っていた年季の入った女の人が私を少し睨むと呆れたように声を出した。


 「全く。ヒルコ様。この無礼者を族長様に合わせる気ですか? 族長様が作法にうるさいのはご存知ですよね?」


 「えぇ、けど良いでしょう? マカ様からは悪い心が出ていないので。あとあの子は私には頭が上がらないので問題ないでしょう」


 「いーえ! 駄目です! まずこの娘はヒルコ様の許しなく頭を上げております。我々天河一族の長の血族に対してなんたる無礼か!」


 あ、確か貴人には平伏するのが作法ってイナメさんが話していたの忘れてた。

 私が冷や汗を流している間でもヒルコ様と女の人は言い争いを続ける。すると話の中にいた一人の三歳ぐらいの男の子が私に近づいてきた。


 男の子は私の前に立つと首を傾げた。

 そして私の耳を触ると何故か嬉しそうに笑った。


 「変な耳! 僕と違う!」


 そういうと男の子はキャッキャッと口に出してその場で嬉しそうに飛び跳ねると私の前に座り込んだ。


 「あ、コラ!」


 ヒルコ様と言い争っていた女の人が気づくと男の子に手を伸ばす。すると男の子は私にしがみついた。


 「あ、ちょっと!」と私が口に出すと男の子は女の人の手を振り払おうと尻尾を振り回した。


 「やーだ! 退屈!」


 「退屈じゃありません!」


 そして男の子は私から離れて「やだー!」その場を走り回り、それを女の人が走って追うという少し和やかな空気に変わってしまった。

 ヒルコさんはそんな二人を見て微笑むと私を見た。


 「あの子、両親を失ったあと私の乳母の芹(セリ)が面倒を見ているのですよ」


 「あの人乳母さんだったんですか?」


 「はい。とても厳しいんですよ?」


 気づけば私はヒルコ様に釣られて笑ってしまった。今少し周りを見るとその他の人たちも賑やかに談笑をしている。

 多分さっきの空気は部外者の私が入ってきて警戒していたからだろう。

 そしてヒルコさんは手招きして「少しきてください」と言ってきた。

 近づくとヒルコさんは私の耳に口を近づけた。


 「あと、私には様付けはいりませんので普通にヒルコとお呼びくださいマカ様」


 「えっと、それはちょっと。出来てヒルコさんぐらいです」


 「ふふっ。ではそれでお願いします」


 「もうっ! 走り回らない!」


 「きゃーっ!」


 ようやくセリさんは男の子を捕まえたのか、大きな声を出して男の子は楽しそうな甲高い声をあげた。

 それから程なくして屋敷に誰かが近づいてきた。それも複数人。

 入り口から頭領達とその仲間に加え、大柄の人狼と同じく人狼の兵士たちが歩いてきていた。

 

 大柄な男は中年ほどであるがその威風から相当の武人だろう。

 その人は屋敷内にいる人狼達を見るとたちまち嬉しそうな顔になり「皆様無事でございましたか!」と嬉しい声を出した。


 その後ヒルコさんは男の人を屋敷内に入れた後何があったのかを説明した。

 私は部屋の隅でセリさんの隣からそれを静かに見ていた。

 男の子はと言うと私の後ろ髪を弄って遊んでいる。


 すると男の人は私に体を向ける。


 「なるほど。娘御、源マカ殿は我が村に行きたいのですな?」


 「はい。あの、駄目でしょうか?」


 すると男の人は自身の胸を叩き堂々とした佇まいで「問題ございませんぞ!」と声を上げた。


 「この私、天河宗介が責任持ってマカ殿をご案内致しましょう!」


 あ、宗介さんて言うんだこの人。

 するとセリさんは私の肩を軽く突く。


 「とりあえず貴女が無害だと判断したからです。村の中で変なことをすれば——ね?」


 そう小声で言った。

 なるほど、変な真似したら出禁と言う感じか。

 そして宗介さんは入り口に立っている頭領を見る。


 「よし、音代(オトシロ)殿。我々は明日に出発致す。この度盗賊討伐誠にありがとうございまする!」


 すると頭領——オトシロとその仲間はその場で平伏した。


 「いえ、我々は天河一族に救われた身。天河殿に大事あれば駆けつけるのが我らの役目でございます」

 

 オトシロはそう告げた後、振り返って仲間達を見るとぞろぞろと屋敷の中に膳を持った女達が入ってきた。

 空を見ればとっくに夕焼けに染まっていた。


 それから蝦夷の女達はヒルコさんとセリさんの他に、他の天河人狼の方々や私にも美味しそうな食べ物をご馳走してくれた。

 それからは天河人狼の方々と蝦夷の方々は自身の前に食器を並べて、お祭りのように屋敷の中で楽しそうに騒ぐ。宗介さんは酒を飲むと陽気になるのか、この里の方と二人仲良く踊ってヒルコさんたちは笑いながら手を叩いていた。

 そういえば狛村もそろそろ五穀の神への祈りの時期か。

 カグヤも祭事の手伝いでもしているのかな?


 すると盃を持ったオトシロが顔を赤くして私に近づき前に座った。

 

 「おや? 口に合わなかったか?」


 「いえ、逆です。あと、私なんかがこんな豪勢なものをと言う思いで」


 「気にしておらん」


 オトシロはそう告げると私に指をさした。


 「ふむ。まぁ良い。とりあえずお前の剣筋だが。誰から教わったんだ?」


 「——蛙人からです」


 なんだろう、少し嫌な感じの会話になりそうだ。

 ご飯がまずくなる前に食べてしまおう。


 私は食器に並べられたおかずとご飯を平らげる。

 すると意外なことにオトシロは優しい顔で話し始めた。


 「蛙人か。彼らの剣術は身軽な者に適している。確かにマカ殿は身軽で一つ一つの動きが早い。だが、無駄がところどころある」


 「無駄ですか?」


 「あぁ。お前、俺が剣を振り下ろす時わざわざ避けて抜こうとしたが、焦って足がふらついていただろ? 避けて間合いを取ってくれる者なんて滅多にいない。避けても何度も斬りつけてくる」


 そしてオトシロは箸を一本持つと剣に見立てて動きながら教えてくれた。


 「それに蛙人は槍だ。それゆえ彼らは鞘なんか使わない。だからどうすればいいのかと言うとな、相手の腕を掴んで投げるんだ」


 「相手をですか?」


 「あぁ。その時に下がってようやく剣を引き抜くんだ」


 オトシロさんはそれからも詳しく教えてくれた。

 その際私に箸を持たせてゆっくりだが動きなどを丁寧に伝える。

 気づけば宴会は静かになっており、みんなこの屋敷で眠ってしまっていた。私とオトシロさんも盛り上がってしまったせいもあるが、みんな寝ていることに気づいてお互い顔を見合わせて笑うと水を飲みにすでに暗闇と化した土間に行った。


 そんな時、水甕(ミズガメ)の影に誰かがいた。

 オトシロは私の前に出るとゆっくりその影に近づく。影は私に気づいたのか堂々とオトシロさんの前に現れた。

 ぼんやりと月明かりで見える赤い髪に子供のような顔。そう、私を見捨てた裏切り者ツムグさんだった。


 「君! 助けに来たよ! この盗賊! 僕が倒す!」


 ツムグさんは興奮気味に得意げな顔で私を見てきた。

 反対にオトシロさんは冷静に私を見るとツムグさんに指を差した。


 「マカ殿。こいつ知り合いか?」


 「はい。こいつが私を見捨てた非情な人です」


 私がそういうとツムグは「心外な!」と言いたそうな驚愕の顔を見せたけど、正直自業自得だ。


 「えーい! なら汚名返上!」


 ツムグさんは斬りかかったが、オトシロに敵わず牢獄に入れられた。

 私は捕まったところまで見たけど途中疲れてみんなが寝ている今に行き、その場で眠った。


 翌日、差し込んでくる朝日で目を開けるとヒルコさんが私の顔を覗き込んで見ていた。


 「あ、ヒルコさん。おはようございます」


 「えぇ、おはようさま。そろそろ準備して出るので早く」


 「は、はい!」


 私のヒルコさんの言葉に荷物をまとめる。屋敷の中には私しかいなかった。

 まずい、寝坊だ!

 私はヒルコさんとともに出ると外には私以外の全員が集合していた。


 「も、申し訳ございません!」私が謝ると宗介さんは笑いながら「いや、大音部(オオネブ)の里からは近いので問題ございませんぞ!」と言ってくれた。

 本当に申し訳ない。

 私は列の後ろに向かうとそこにはオトシロさん達と同じ蝦夷の服を着ていたツムグさんがいた。

 ツムグさんはどこか気恥ずかしそうな顔でオトシロさんをチラチラと見ていた。


 「ねぇ、何があったの?」


 「ちょっと、今は話しかけないで」


 「あ、うん」


 それから程なくして宗介さんの「では、帰りますぞ!」と言う声とともに、天河村に向かって歩き始めた。

 私は後ろを振り向き、オトシロさんに向かって手を振った。

 不思議と父と呼びたくなってしまう心優しい蝦夷に。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る