第32話 惑う俺、待つお前

 一月。新年の到来を祝うと同時に、憂鬱な新学期が始まる時でもある。特に今年の憂鬱さは例年を遥かに凌駕している。言うまでもない、生徒会選挙、応援演説だ。言うまでもないのに言っちゃった。

 今日は始業式と図書委員会の定例会がある。定例会は各クラス一名が出席することになっており、事前の話し合いで俺が出ることになった。


「日野くん……。いってらっしゃい! 生きて帰ってきてね!」

「いや、戦場かよ」


 月宮の渾身のボケ……、いや本気か? を受け、いざ出陣。図書室への道を行く。

 図書室への廊下で一人の男と出会った。金田だ。機嫌良く歩いているが、パリピは常に嬉しそうなので特に理由はなさそうだ。


「よう。日野も委員会か?」

「ああ」

「俺も風紀委員だよ」


 金田はいつものように明るい顔をして俺に話しかける。話しかけなくていいのに。


「月宮とは順調か?」

「余計なことを……」

「気になるじゃんか。俺だって月宮のこと知りたいわけだし」

「俺には関係ない」


 俺が話すのを渋っていると、金田はため息をついて俺を見た。


「お前的にはどうなんだ? 月宮のこと。好きなのか?」

「またそれかよ。そもそも好きじゃない」

「じゃあ、どんな女の子ならいいんだよ? 月宮は可愛いし、男子はだいたい好きだろ」


 金田の言葉に俺は何も返さない。返せないのかもしれない。好きとはどういうことか、俺には分からない。恋愛的な意味での好きって、何?


「まあ、そういうのは人それぞれだからな。でも俺が見る限り、月宮と一番仲良いのはお前だと思うぞ」


 金田はその金髪をいじりながら言う。痛い一手だった。確かに俺は毎日月宮と会って話す。それを仲がいいと言わず何を仲がいいと言うのか。


「仲良くなんかない」


 俺が否定すると、金田はため息をついた。


「そろそろ認めるしかないんじゃねーか? 可愛い女の子が自分を好きかもしれないって状況でこのままでいられるのか?」

「……勘違いだろ。月宮は俺のことなんて何とも思ってないんじゃないか、どうせ」

「なんでそう思うんだよ」

「だって……」


 答えられない。金田の主張に根拠はないが、それは俺も同じだった。その意見は苦し紛れでしかなかったということに今気付く。


「日野が月宮と仲良くしてほしいっていう気持ちもあるけど、やっぱり負けたくない。俺も月宮のことが好きだからな。絶対負けない」

「そうか……」


 ライバル宣言をされても困る。俺はその土俵に上がることすらしたくないが、いつの間にか登らざるを得なくなっていたのかもしれない。そう考えるとなんだか気に食わない。


「おっと、委員会の時間だった。じゃあな」


 金田は小さく手を振ってから、反対方向に歩いて行った。その背中を見送る俺は少し気が重かった。


 ☆


 図書室に到着すると既に何人かいた。一番奥にはいつものように水野委員長の姿もある。


「日野くん。ごきげんよう」


 俺の姿に気付いた水野委員長は穏やかな笑みを浮かべて軽く会釈した。俺もそれに答えるように軽く頭を下げる。


「私、冬休みに北海道に行ってきましたわ。スキーができてとてもいい場所でしたわよ」

「そうですか」


 俺は適当に相槌を打つ。金持ちはなぜ自慢ばかりするのか。庶民と金持ちの間にはどうやっても埋まらない差がある。くそー、悔しい。机の下で拳を握るが、高校生の俺に金稼ぎはできない。少なくともバイトごときではこの差を埋めることはできそうにないので諦める。


「はあ……」

「どうしたんですの? 何か悩みごとでも?」

「いや、金持ちが羨ましくて」

「私は普通ですわ。どうということのない女子高生ですもの。冬休みに旅行なんて普通ですわよね?」


 普通とは何か。哲学的な疑問が浮かんでしまった。水野委員長は裕福な家庭で育ち、そのありがたみを知らずに育ったのだ。そりゃあ、お嬢様口調にもなるわ。


「それより、生徒会選挙の準備はいかかですの? 私は生徒会長候補として日々選挙活動をしていますわ」

「選挙活動って、賄賂とか?」

「そんな非合法なことはしませんわ! 私を何だと思っているのですの!?」

「世間知らずの金持ち」

「失礼ですわ!」


 水野委員長が胸の前で手をブンブンと振って抗議する。初めて彼女の弱い面を見た。金持ちに一矢報いることができた嬉しさで、心の中でサンバを踊った。


「選挙活動と言えば、ポスターですわ。こちらにいらっしゃってくださいませ」


 水野委員長は俺を図書室の外の廊下に呼ぶ。そういえば、選挙ポスターが張り出されているんだったな。月宮のものは俺でも土屋でもない他の友達に書いてもらったらしい。そして水野委員長はというと、本物よりかなり美化されたイラストが描かれていた。うえー、自己顕示欲の塊だ。


「どうです!? 私の美しさを最大限表現できていますわ!」

「そうですねー。そろそろ定例会始まるんで戻りましょー」


 俺は死んだ魚の目をして図書室に戻った。


「ちょっと待って! 私の美しさを見てくださいませー!」


 ☆


 今日の定例会もどうということなく終わった。水野委員長に話しかけられる前にすたこらさっさと図書室から逃げる。廊下を通り、校門の前まで来たところでショートヘアの女子生徒を見かけた。


「あっ、日野くん! 一緒に帰ろー!」

「お前、ずっと外で待ってて寒くないのか?」

「ううん、今出てきたところだよ。優子ちゃんを待ってたの」


 その月宮の言葉通り、土屋もすぐに玄関から出てきた。


「日野くん、光ちゃん、委員会お疲れ様」

「私は行ってないけどねー」


 月宮は頭に手を当てて舌を出す。それを見た土屋が「光ちゃん、可愛い」と呟いた。俺が思うに、月宮は本物の天然だ。人気を取るためにあえて可愛い行動を取るほど賢くないと思う。


「日野くん、生徒会選挙頑張ろうね!」


 ガッツポーズを見せる月宮。俺もそれに応える。


「ああ」

「私も応援してるからね」


 土屋も微笑んで言った。俺たちは期待されている。そんなことが今までの人生であっただろうか。必要とされることは必ずしも嬉しいことではないが、たまには本気を出してみるのもいいかもしれない。冬の冷たい風が俺たちに吹き下ろしていた。

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