特高警察の夏・革命家の乙女の無情な闘い

外道

第1話 許嫁

戦火も色濃い昭和初期の夏。

大東亜共栄圏を死守するとの名目のもと満州へと侵攻をはじめ、国を挙げての戦意高揚が色濃くなったちょうどそのころ…。

18歳の旧制高等生、マルクスに傾倒していた石橋一道は仲間とともに都内の某所に潜伏し、反戦を謳うパンフレットを刷り込んでいた。

「石橋、お前このところ一睡もしておらんだろ…少し休め」

額に汗を浮かべガリ版をする美青年に中年に差し掛かった男が声をかける。

「いえ、大丈夫です。我が党の主張を通すため働いている同志のことを思えば…」

一道は書面に記された『軍人たちに問ふ』と記した文字に目を落としながら、はっきりした口調で言う。

その時、地下室の古びた鉄扉が開き、一道と同じ年ころの若い青年が入ってきた。


彼の顔は青ざめている。

「どうした、波多野?」

波多野と呼ばれた青年は震える唇を開く。

「小田島さんが、小田島さんが…特高に…パクられた」

室内に静寂が走り、重苦しい空気が流れる。

当時共産主義者や党員に対する取り締まりの厳しさは、尋常ではなかった。

反体制的な思想を持つと匂わすだけで、治安維持法を理由に逮捕された者は数多い。

一道が所属していたオルグでもここ数か月で数人の逮捕者を出している。

小田島はここでは若きリーダー帝な存在であり、一道にとっても敬愛すべき先輩活動家だった。

「特高の連中の動きも活発化している…身辺には十分な注意を払え」

中年の男は皆の動揺を押し殺すように、淡々と述べる。

だが、ふと一道を見やると、表情を沈ませ訊ねた。


「石橋…お前、朋子さんは大丈夫だろうな?」

一道青年はハッとした様に表情を変える。

若き活動家から慕う女性を慮る甘さを残した青年の貌に…。

朋子とは彼の恋人だ。

幼少から互いをよく知る幼馴染でもあった。

彼女は帝都女子大の学生で、共産主義に傾倒した活動家でもあった。


特に端麗な容姿は、ジャンヌダルクを髣髴させ、学生間でも人気が高い。

ここひと月の間は、その美しい顔も見てはいない。

知性を秘めた端正な朋子の顔を思い出すだけで、闘いを投げ出したいという甘えが生じるのを必死にこらえる一道だ。

「大丈夫です。自分はまだ警察に追われるほどの大物じゃありません。それに朋子は女です。特高に睨まれる理由はありません」

白い歯を見せて気丈に言い放った一道だが、不吉な予感は拭い去れずその予感は的中する事となる。

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