2-2)相談


 居酒屋を利用するのは、基本的に人付き合いからだ。自分から誘うのは初めてだな、などと思いながら、村山は目の前に座った鬼塚を見上げる。

「すみません、突然」

「いえ」

 鬼塚はするりと視線をメニューに移した。簡単に、と注文を確認して、互いに酒ではなくウーロン茶を頼む。酒や食事を楽しみたくて来たわけではなく、目的は会話する場所を得るためだった。完璧な防音ではないが、個室はある程度の会話を許容する。

 注文が運ばれたところで、村山は改めて口を開いた。

「……百田さんって、ピアス、されてますか」

「していません。本人の気が変わった可能性も十分ありますが、ピアスに興味ないと学生時代話していたのも覚えています」

 互いに、自然と声音がひそめられていた。ただの可能性の話ではあるが、鬼塚も同じような意識があったのを確認して村山は息を吐いた。

 百田の誤解もあったしなにかあったら申し訳ないとしながら時間を頂戴した理由ははっきりしている。。とはいえそれがピアスだとかなんらかの怪我だとかうっかりペン先で汚してしまった可能性だってある。それでもつい、村山はひっかかった。そして、恐らく鬼塚も。

「ちょっと踏み込むのも、って思ったんですが、もっとぐいぐいいけばよかったかもしれませんね。すみません。……大きさが違ったんですけど、似た位置だったので気になっちゃって」

 村山が思い出しているのは、先日見た遺体だ。状態としてはシロ。ただ、おそらく結果オカルトだ、と判断されたもの。

「寝不足、でしたよね」

「はい。夢見が悪かったという話も、被害者周辺から聞いています。……よくある話ですが」

 村山の問いに、鬼塚は頷いた。よくある話はその通りだが、それでも鬼塚としては友人を案じる気持ちがあるのだろう。ぎゅっと寄せられた眉間の皺に、村山も考えるように視線を手元に落とす。

「あの事件はあの事件のみとなっていますが、事件が連続することは十分あり得ます。鬼塚さんは百田さんと少し話して頂いて……そうですね、もしご迷惑でなければ私の連絡先を聞いた、ってことにしましょうか。私は困らないので」

 やけに連絡先を強調していたのを思い出し、村山は携帯端末を取り出した。村山にとっては、話の種になるなら儲けものくらいの感覚だ。しかし、対する鬼塚の表情はこわばった。

「……大丈夫ですか」

「私は大丈夫です。とはいえ鬼塚さんがこちらに教える必要はないので、口裏だけでも」

 ふー、と、静かな呼気に村山は端末から顔を上げた。鬼塚の真剣な表情は、ともすれば剣呑と見える。とはいえそれが鬼塚の真面目さだと判断している村山は、ただその顔をきょとりと見上げた。

「……お嫌でなければ、私ともお願いします。デート、と彼が言っていたように、あれは彼なりの親切だろうものなので」

 じわ、と鬼塚の目じりに赤みが差す。なるほど、と頷いて、村山は携帯端末を差し出した。

「じゃあここで交換しちゃいましょうか。とはいえこう、私の方にはそんなに気を遣わなくていいですからね。なんか便乗みたいになっちゃってすみません」

「どちらかというと、村山さんが気にされたほうがいいのでは……ご迷惑ありましたら教えてください」

「いえいえ。私だけでなく鬼塚さんもですよ。男女関係なく、こういうのは中々難しいでしょ」

 軽い調子でやりとりをしつつ、連絡先を交換する。試しにとアプリでメッセージを送り合えば、とりあえずの形はできるので簡単だ。あまりそういうやりとりをしない方なので、村山はつい安堵の息を吐いた。

 そうしてようやく、もとの話に移る。

「幻聴自体は実際ありえることです。とはいえ、そんなこといったら幻覚、幻触。オカルトと言われるものはだいたいありえることになってしまって、その判断が難しいから特視研うちがあるんですけど」

「声が呼んでいる」

 ぽつり、と鬼塚が言葉を落とした。村山が頷く。

「よくある話ですが、問題はその後です。呼ばれた、呼んでいる。そちらに行かなければ。耳の聞こえが悪くなった、どうしても聞き取れないものが増えた。名前を聞き取れない。そういう状態から精神的に不安定になり、耳をずっと押さえるようになる。ピアスをしていないのに穴が開いていた、ピアスにしては大きな穴が開いていた。発疹が耳珠じじゅに出来るようになって、受診した。

 被害者が状態を把握するため家族に写真を撮ってもらっていたので記録が残っているのは不幸中の幸いでしたね。百田さんのアレは、その初期症状に似て見えて」

 耳珠に出来た発疹は、木苺のように丸くそこにできてしまっていた。解剖の際、まるで熟した果実のように転がったのが鮮明で、村山は息を吐く。

 熟した果実、という印象は、自身の下瞼を痙攣させるものがあった。

「目的が読み切れないんですよね」

 ぽつり、と村山が言葉を落とした。鬼塚が問うように視線をやると、村山は瞼を閉じてかぶりを振る。

「いえ、もう特捜室のものだとはわかっているんです。わかっているんですが、儀式に違和感があって。検案書を書いているのに、一歩、見えない。目的の、捧げ先が見えない」

 うすら寒い。それは素直な感情だ。

 終わっているのに半端に残っているのは、埋めきれなかった空欄のせいだろうか。けれどもそれは、これまでだってあったことだ。今回は特別ではない。

 なにもかもわかると思うことは危険だ。だから村山はいつも、ご遺体に丁寧に頭を下げる。その体が何に使われてしまったのか、何を受けてしまったのか、残る残滓がないか。監察医とは別の形で向き合うのが村山の仕事だ。

 そうしてそれらは基本的に現場と遺族を守るためで、謎を解くためのものではない。十分承知している事実で、間違えてはいけないことだ。

 しかしそれでも、どうしても。これまでとずれた違和感は、そこにあり続けている。

「あの粒の中に声がある。声を詰めた、とするなら、誰があの症状を起こしたのかという問題もあります。災害のように、ただ通っただけというような場所の共通点・ものの共通点があるかどうか。なければ意図があり、どうしても後者に感じてしまうんです。そこに、まだ答えはないのに」

 犯人が誰かなんてわからない。わかっていればもっと捜査は進んでいる。そしてそれは研究所職員の仕事ではない。

 それでも、先日見た男の姿と緑の祠が村山の中でひっかかっていた。押された瞼が、ぴくりと痙攣する。

 眼球が捧げられたのはなぜなのか。幸福の芽が関わっているのなら、あの眼球は何かを見ることが出来たのか。あの男はなぜ幸福の芽に関わっていたのか。

 幸福の芽の事件は、繰り出された眼球のものでしかない。そして先日の生えた目は明確に違い、しかしあの場にいたのは神崎だった。

 ならば、あの眼球と同じく、あの耳珠を飾った発疹はなにかを渡すのか。

 村山は先日見た光景を脳内でなぞった。眼球のときとは違い現場には向かっていないので、解剖される姿くらいしか村山に情報はない。

 発芽した目はオブジェのようでもあった。そして発芽する者は自覚がなかった。では耳は?

 本人が死ぬ前に異常を自覚させている。普通に考えれば眼球を生やしたときのように、周囲が気づくことなく終わってしまえば楽だ。それを可能にしたのがあの事件で、しかし普通、そうはならない。今回は単純に普通、なのか。くるり、くるりと思考が巡る。

「気のせいならいいんですけど」

 はあ、と村山は嘆息した。これでもう自分の業務は終わった。そう考えることが出来る状態で仕事を終わらせるのが村山の挟持で、耳の件はすべて終えてある。村山の仕事はそこで終わりで、犯人探しは警察官である鬼塚たちの仕事だ。わかっている。それに、もっと言うなら、きっとこのどうしようもないものを抱えることが多い。

 だから村山は瞬きを二度するだけで、それ以上は言わなかった。鬼塚が村山の様子を見て、静かに息を吐く。

「……とにかく朗には話してみます。有難うございます」

「こちらこそ有難うございます、頼もしいです」

 鬼塚の言葉に、村山は笑って頷いた。

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