第22話 拒絶とすれ違いの夜

 *


 ――チさん


 ――イチさん


 ――起きて、ユウイチさん


「――はッ!?」


 目覚める。朝だ。ベランダから朝日が差している。


「もう、早く起きないと遅刻ですよ」


「あ、ああ……おはようミアさん」


 じっとりと背中が冷たい。

 どうやら夢見が悪かったらしい。


「どうしたんですか、顔が真っ青ですよ」


「うーん……よく覚えていないけど、悪い夢を見ていたみたいだ」


「あら、そうなんですか。一体どんな夢を?」


「笑わないで聞いてよ、ミアさんがね、妊娠してるっていうんだ」


「あらあらまあまあ。それはおかしいですね」


「本当だよね。ははは」


「だってもう子どもはひとり産んでますもの」


「え」


「もしかしたらふたりめがお腹にできてるかもしれませんけど」


「え」


「父親はユウイチさんも知ってるあの――」



 *



「うわあああああああああッ!」


「キャッ!?」


 跳ね起きる。あえぐように「はあはあ」と息をつく。

 なんだいまの夢は、妙にリアルだった。すごく焦った。


「こ、ここは……?」


 あたりを見渡す。硬いベッドの上だった。

 いや、これは診察台?


 でも、なにか温かいものに直前まで頭が包まれていたような……。


「あの、ユウイチさん」


「――ッ、ミアさん……」


 診察台の上にはミアさんも一緒にいた。

 脚を崩した姿勢でオレを見つめている。


 その表情はいつもニコニコしていた彼女からは程遠い、苦しそうなものだった。


「あ――ッ!?」


 一瞬で思い出した。

 オレはミアさんの跡を尾行して、たどり着いたクリニックで妊娠って聞いて……。


「ユウイチさん、あの、わたし――」


「聞きたくありません」


「――ッ、そ、そうです、よね……」


 ミアさんが泣きそうな顔になる。

 でも、そんなことを言ったら泣きたいのはオレのほうだった。


 まさかミアさんが、知らない男と……。

 くそ、くそくそくそ……!

 オレは無言で診察台を降り、扉を開けて玄関へと向かう。


「あ、ユウイチさ――」


 ミアさんを置き去りにしたまま、振り返りもせず、その場を立ち去った。


「…………」


 外はすっかり暗くなっていた。

 昼間の暑さの残滓が漂い、肌にベタベタとまとわりついてきて気持ちが悪い。

 まるでいまのオレの気分そのものだった。


 ……妊娠。ミアさんが妊娠。

 その事実がズシンと両肩にのしかかる。

 足取りが重い。重りをつけて水のなかを歩いているようだ。


 そりゃあミアさんはキレイだし、大人だし、いくらでも男が寄ってくるだろう。

 でもそんな、オレが知らないところでそんな、赤ちゃんができるような行為をしていたなんて……。


 とても飲み込めない。その事実を飲み込めやしない。

 わずか二十分の家路を、たっぷり一時間以上かけて帰った。


「ただいま……」


 結局オレはここに帰るしかない。

 狭い六帖一間で、またミアさんと顔を合わせるのかと思うと気が重い。

 だが――


「おまえ、どこ行ってたんだよ、ミアさんも帰ってきてないし、適当に出前とって食ってるぞ?」


 デリバリーピザをモシャモシャと口に入れながら、ビールをかっ食らう親父の姿をみて、オレのなかの何かがキレた。


「てめえがッ――!」


「ぶッ!?」


 靴も脱がずにあがりこみ、思いっきり親父の顔面を殴りつけた。

 初めてだった。ヒトを殴ったのも、肉親を殴ったのも。

 胃の底がザラザラとしている。拳も痛い。最悪の気分だった。


「な、なにすんだこの――」


 一瞬怒りの目を向ける親父だったが、すぐ怪訝な顔になる。

 オレはボロボロと泣いていた。我慢していたものがすべて壊れたらしい。


「……何があった?」


「ミアさんが――ッ、妊娠、してた」


「あー……やっぱりか」


「やっぱりって――、てめえがやったんだろうッ!?」


 オレは親父の胸ぐらをつかみ上げた。


 相手はこの男しかいない。

 夫と妻という関係に漬け込んで、ミアさんを無理やりしたにちがいない。

 ミアさんがこの家に来るまえに、オレの知らないところでミアさんを――


「バカタレ、落ち着け。オレがミアさんに初めて会ったのは一週間まえだぞ」


「は?」


「秋月っていう変なデッカイサングラスかけた役人の女がな、どうしてもって言うからな。まあオレは結婚四回もしてるし、それが五回になってもぜんぜん痛む世間体もないしな。税金優遇してくれるっていうなら、まあオッケーしたんだよ。でもまさかあんな美人が嫁に来るとは思ってなかったけど」


 親父は「やっぱ訳ありだったかあ。そうだよなあ」と言いながら、腫れた頬に結露がついたビール缶を当てている。


「ほ、本当に、親父が相手じゃないのか……?」


「あのなあ、オレはヒトの女には興味ないんだよ。そもそもおまえももういい年なんだから、保健体育で習わなかったか?」


 親父は女性の妊娠について解説する。

 妊娠初期が1〜4ヶ月くらい。中期が5〜7ヶ月、8ヶ月以上を後期というと。


「個人差はあるが、つわりが始まるのは一ヶ月半くらいからだ。そうなると月の生理がちょっと遅れてるなあ、どうしちゃったのかなあ、などと思っていたところで「うっ!」とくるわけだ」


 そして、親父がこの部屋に滞在するようになってからも昼間、ミアさんはつわりの兆候があったらしい。


 本人は誤魔化していたが、親父はなんとなく察していたそうだ。


「おまえのほうは思い当たるフシないか?」


「そ、そういえば……」


 夏休み明けのテストの結果が発表された日、ミアさんが気分が悪いとトイレに駆け込んだことがあった。あれはもう三週間ほどまえか。


 そこから逆算すると、原因はミアさんは地球に来るまえということに……?


「第七特殊地域、特別振興納税制度、だっけ。異世界人は美形ばっかだからコロっと騙されるけどな、結構スネに傷持ってるヒトが、第二の人生を歩むために地球に来るっていうパターンもあるらしいぞ?」


「――ッ!?」


 それじゃあ、異世界でなにかつらい目にあって、それでミアさんは地球に救いを求めてやってきたってことなのか?


「だって、そんなの、言ってくれなきゃ」


 ――聞きたくありません。


「ああ……」


 頭を抱えた。オレは、なんてことを。


「オレ、ミアさん迎えに行ってくる!」


「おう、さっさと行ってこい馬鹿者が」


 玄関で靴を履こうとして、履いたままだったことを知る。

 そのまま部屋を飛び出した。


「ミアさんっ!」


 どこだ? まだあのクリニックにいるのか!?

 オレは二十分の道のりを十分で駆け抜ける。


 民家を改造したクリニックは、完全に消灯していて、オレは何度もインターホンを押し、扉をガチャガチャする。


 ダメだ、施錠されてる。

 じゃあミアさんは一体どこに!?


「くそっ、まだそう遠くには――」


 行っていないはず。

 そもそもミアさんが地球で行けるところなど限られている。


「ごめん、ミアさん、オレちゃんと聞くから。受け止めるから」


 思い出されるのは直前に見たミアさんの表情。

 いまにも泣き出しそうな、そんな顔だった。


 いつも優しい笑みを絶やさなかった彼女に、あんな顔をさせてしまった。

 オレはなんてバカなんだ。もっと彼女の話を聞くべきだった。


 悔やんでも悔やみきれない。ドン、とクリニックの扉を思い切りたたく。

 その途端――


「こらっ! ヒトんちになにしてるの!」


 唐突に扉が開いて、思い切り怒鳴られた。


 金髪――いや、ひよこみたいな黄色い髪に、大きなカチューシャ――ではない。

 これは垂れ下がった犬の耳か。


 負けん気の強そうな、白衣をまとった、犬耳の女医さんが現れた。


「す、すみません、こちらにミアさんは――」


「ああ、キミか。うちに不法侵入したあげく盗み聞きまでして、診察台を占領したかと思えば、介抱したお礼も言わずぬ立ち去った薄情者は」


 グサっ、とことばのナイフが刺さる。ものすごく辛辣だけど事実だから仕方ない。


 オレは腰を九十度に曲げて頭をさげた。


「先ほどは大変失礼をしました、自分は里見ユウイチと言います。あの、こちらにミアさんは――」


 女性はジロっとオレを睨んだあと、あごをしゃくりながら「入りなさい」と言った。


「お、お邪魔します、あ、あの――」


「ここに彼女はいないわ」


「あ、そうですか」


「待ちなさいっ」


 踵を返そうとするオレを、女医さんは鋭く引き止めた。


「知りたいんでしょ、彼女のこと。それとも、なんにも知らないまま、またすれ違ってもいいの?」


 ゴクリと、オレは先ほどの失敗を思い出し、青ざめる。

 この女医さんはどこからどう見ても異世界人だ。

 ならミアさんの事情も知っているのか。


「わかりました」


「そう、じゃあ、そこに座って少し待ってなさい」


「え、ミアさんのこと、教えてくれるんじゃ?」


「詳しい事情はわからないわ。わたしだって今日、初めて彼女を診察したんだから」


「初めて!?」


 じゃあ、ミアさんが妊娠した経緯とかは、まったくわからないということなのか。


「わたしがわかるのは、彼女がたしかに身ごもっていること。妊娠期間はだいたい二ヶ月目くらいといったところかしら」


 二ヶ月。つまりミアさんは二ヶ月まえには……。


「とにかく、いま全部事情知ってるヒト呼んでるから、そこで待機してなさい」


 女医さんはプリプリとしながら奥へと引っ込んでいった。


 オレはリビングを改造した待合室のソファに座り、焦る気持ちと戦いながら、時間が過ぎるのを待った。


 そして――


「どうも〜、初めましてえ、あなたが里見ユウイチさんですか?」


「ど、どうも、そうです……」


 やってきたのは、顔の半分が隠れるほど巨大なサングラスをつけた、年配の女性だった。

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