鈍感なエマ

 奉仕活動を終え、孤児院を去る際に、エマはパトリックと話す時間があった。

「パトリック様はやはり、女の子達に大人気でございましたね」

 エマは思い出してふふっと笑う。

「まあ確かに、読み書きや算術を教えるのはなぜか女の子達が多かったね」

 パトリックは苦笑した。

「きっとパトリック様の教え方がお上手なだけでなく、容姿端麗だからという理由もあるのでしょうね」

「容姿端麗……か。他の女性にそう言われても何も響かないけれど、エマ嬢にそう言われたら何だか嬉しいな」

 パトリックの口元が綻んだ。アメジストの目も優しげだ。

「私の姉と兄、それから弟も、教えるのが上手で容姿端麗なので、きっと子供達を虜にしてしまいますわ」

 エマはふふっと微笑む。

「エマ嬢のご兄弟、確か上からリーゼロッテ嬢、ディートリヒ卿、そしてエマ嬢にヨハネス卿だったかな?」

「あら、姉と兄のことはともかく、なぜまだ社交界デビューをしていないヨハネスのこともご存知でございますか?」

 意外そうな表情になるエマ。するとパトリックは一瞬しまったと言うかのような表情になったが、すぐに爽やかな笑みになる。後ろでは従僕のロルフが苦笑していた。

「僕も時々は社交界に顔を出すからね。その時に、どこの家は何人兄弟だとか、名前を耳にするんだ。まあ普段は滅多に社交界には顔を出さないのだけれど」

「左様でございましたか。確かに、家族構成のお話はお聞きすることがございますわ」

 エマは納得したように微笑んだ。

「パトリック様は、ご兄弟はいらっしゃるのですか?」

 エマは背の高いパトリックを見上げ、そう聞いた。

「ああ。7つ年の離れた弟がいるよ。今年11歳になる」

「あら、かなり年の差がございますわね」

「本当は僕と弟の間に妹が1人いたのだけれど、体が弱くて僕が10歳の時に亡くなったんだ」

 パトリックは昔を思い出すかのような表情だ。

「それは……お可哀想でしたわね」

 エマは表情を曇らせ、目を伏せる。

「エマ嬢、そう気に病まないで欲しい。君は笑顔が1番似合うから。エマ嬢の笑顔は……とても魅力的だ」

「パトリック様はご冗談がお上手ですこと」

 エマはふふっと柔らかに笑う。パトリックの妹のことを聞き、少し暗くなった気持ちが軽くなった。

「冗談ではないよ」

 パトリックは優しく甘い笑みでエマを見つめる。アメジストの目からは真剣さが窺える。

 エマは思わずパトリックを見つめてしまっていた。心臓が、トクンと高鳴る。

「……ありがとうございます。そう仰っていただけて、嬉しいです」

 エマは少し照れながら微笑んだ。そのまま話を続ける。

「姉のリーゼロッテは社交界の白百合、兄のディートリヒは琥珀の貴公子という二つ名がございます。母に似て、それくらい容姿端麗でございますので。弟のヨハネスは母方の祖母に似て、女性に間違われるほどの可愛らしさをしておりますから、社交界デビューしたらどのような二つ名が付くか。……私は3人とは違い、父に似ました。ですので、先に社交界デビューしている姉や兄と容姿を比較されることが多いのでございます。私を見て明らかに落胆なさる方もおりましたわ」

「何て失礼な奴なんだ。エマ嬢、そいつの名前を覚えているかい? 僕が制裁を与えよう」

 パトリックは冷たい表情になった。アメジストの目は絶対零度よりも冷たい。今にもエマに失礼なことを言った輩を殺しに行きかねない勢いだ。

「あの、パトリック様、落ち着いてください。私はそれほど気にしていませんから」

 エマは慌ててパトリックを宥める。パトリックの後ろでは、ロルフがやれやれと言うかのような表情をしている。

「私は父に似たことを誇りに思っています。それに、私まで母に似てしまったら、父が寂しがりますわ」

 エマは茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべた。

 パトリックは面食らう。そして面白そうに笑い出す。

「確かにエマ嬢の言う通り、リートベルク伯爵閣下が寂しがるかもしれないね。父親思いのいいご令嬢だ。それに、エマ嬢と話していると、とても楽しい」

「そう仰っていただけて光栄でございますわ」

 エマは嬉しそうに、太陽のようなキラキラとした笑みを浮かべた。アンバーの目は生き生きと輝いている。

 エマの笑顔を見たパトリックは、嬉しそうにアメジストの目を細める。頬は赤く染まっているように見えた。

「エマ嬢、今日は君に出会えて本当によかった。本当にありがとう」

「こちらこそ、お会い出来て光栄でございます。それに、子供達全員に読み書きや算術を教えるのは、1人だと限界がありますわ。パトリック様のお陰でとても助かりました。ありがとうございます」

 エマはまた屈託のない太陽のような笑みを浮かべた。パトリックはフッと微笑み、今にも消えてしまいそうな小さな声で呟く。

「その笑顔は僕だけに見せて欲しいな……」

 当然、エマには聞こえていなかった。






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 パトリックと別れ、リートベルク家の馬車に乗って王都の屋敷タウンハウスに戻る途中のこと。

「前回の奉仕活動も、子供達の明るい表情を見ることが出来て楽しかったけれど、今回の方がより楽しいと感じたわ。きっとパトリック様がご一緒だったからだわ。奉仕活動は、誰かと一緒ならばより楽しいのね」

 エマは今日のことを振り返り、ふふっと楽しそうに微笑んだ。

「リーゼロッテお姉様やディートリヒお兄様や社交界デビュー後のヨハネスと一緒に孤児院に訪問するのもいいかもしれないわね。ユリアーナ様もお誘いしたら一緒に来てくださるかしら?」

 エマはウキウキとした様子だ。

「きっとケーニヒスマルク嬢もいらしてくださるでしょう」

 エマの正面に座る護衛のマルクは優しげに微笑んだ。

「ところで、エマお嬢様はランツベルク卿にはどのような印象をお持ちになりましたか?」

 エマの隣に座る侍女のフリーダが聞いてきた。

「パトリック様への印象? そうね……。学才のあるお方だと思ったわ。子供達への読み書きや算術の教え方がとてもお上手だったもの。人に教えるには、まず自分が理解していないと教えられないわ。恐らく学問に関してはすぐに理解できてしまうお方なのではないかしら」

 エマは孤児院でのパトリックの様子を思い出していた。

「他にはございますか?」

「後は……会話の際に、色々と気遣ってくださるお優しいお方だと感じたわね。パトリック様の妹君のお話になった時、私は思わず暗い表情になってしまったわ。だけどパトリック様は空気を明るくしてくださったの。それから、やはり見目麗しかったわ。パトリック様の笑顔はきっと誰でも虜になってしまうわね。もちろん、リーゼロッテお姉様、ディートリヒお兄様、ヨハネスも負けてはいないわ」

 エマは最後ふふっと悪戯っぽく笑った。

「……左様でございますか」

 フリーダは意味ありげに微笑んだ。

(ランツベルク卿、エマお嬢様は結構鈍感ですよ)

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