拗らせマイケルの小事
#73
第1話:マイケル
グローバルな男に育って欲しいからと、海外で親しまれやすい名前を父さんがつけた。
冗談みたいな俺の名前は
そんな俺は今、40代に差し掛かろうとしている、
ちょうど小学校の頃に設立され、その勢いに乗った友達は軒並みサッカーを始めた。
男子のなりたい職業、第一位がサッカー選手の時代だ、俺も例に漏れずサッカーがしたかった。
だが「マイケル、ジョーダン言うな!お前はバスケだろ!」とクラスで一番のお調子者に笑いのネタにされ、その日から事あるごとにそのネタで
俺は一生忘れはしない。俺の執念の深さはラモスの彫りよりも深い。
人気少年誌で連載中だった漫画の勢いで、バスケ部も人気上昇中だったが、そもそもバスケはハードルが高い。まず背が高い奴が優遇される。小柄な選手もいたが、身体能力の高さが必要だ。
俺は普通だ。体育はいつも5段階評価の3だし、背の順は前から5〜10番を前後していて、高校1年で170にギリギリ到達した程度。そんな俺が、マイケルなどとレジェンドの名前だけ引っ提げて、初心者丸出しでバスケを頑張る姿は
結局俺は目立たず、ヤンチャな男子がいない「音楽クラブ」に小中は在籍する事になる。ここでも悲劇は起きたが、それはまた別の話。
高校に進学する頃は人気でモテる部活の2大巨頭にサッカーとバスケが常にいた。
俺は猛勉強し、文武両道を掲げる地元でも有名な付属高校に進学した。同じ中学からの進学者は3人、殆どが中学から繰り上がるか、スポーツ推薦の学校だ。ここで俺は一花咲かせる気持ちでいっぱいだった、いわゆる高校デビューだ。
もう部活動はしない、だが、策はある。
この高校の制服を着て外を歩いていると、外から見れば俺も「スポーツ名門校」の生徒でステータスは同じ。イコールかっこいいからモテる方程式が成り立つ算段だ。通学途中のラブイベントが発生場合、かなり優位にもなる。
中学校と共に父さんと同じ散髪屋でされる角刈りからも卒業した。さらさらヘアのセンター分けにし、自分が想像するスポーツ少年感を出した。
友達にも苗字である「新山」と呼んでくれ!と言ったがみんなやっぱり「マイケル」だった。
呼びやすさも親しみやすさ、と前向きに捉えたが、当時はハーフやクォーターの人が少なく、日本語じゃない名前だけでみんなの「もしかして?」の的になる。
帰国子女やハーフと間違われるのは悪くはないが、俺は見紛うこと無き日本人で「もしかしてハーフ?」ではなく「まさかとは思うけどハーフ?」と聞かれる。これはサスペンスの容疑者みたいで気持ちは良くない。
「俺はハーフじゃない」が「俺はやってない!」のお決まりのセリフみたいで自然と無い罪が積もる。期待に応えれずなんかすいません感も勝手に蓄積され、その罪悪感は「
隣のクラスのスポーツ推薦枠の
ここで一つ、先に言い訳しておく。
「拓実」なんて親しげに呼び捨てているが、実際は皆んながそう呼んでいるのを真似しているだけだ。入学後すぐに交流の為に行われた合同体育で、たまたま俺の隣に立っていた拓実と天気の話をしたのが最初で最後だ。俺達は友達と呼べる程も親しくは無いし、互いの下の名前を名前を呼び合ったことも無い。だが、拓実のモットーが「一度話したら友達」だったら、友達とカテゴライズされるだろう。
だが、俺からはきっと一生をかけても拓実を「友達」と呼べない。
拓実は俺に「孤独」の恐ろしさを教えた人だからだ。
我が校の名物はバスケ部の昼練ダッシュ。それは餌を撒かれた鯉くらいの早さで昼飯を済ませて体育館へダッシュするバスケ部の恒例行事。学祭などの大きな学校行事がある時のみ免除される。
拓実は学校内でも有名で、昼練ダッシュをする拓実を一目見る為に、弁当を後回しにしてダッシュをする女子の群れが出来たくらいだ。
そんな拓実が学食にいるのはちょっとしたイベントで、入学して初めての学祭の昼は温泉に浸かる猿を見にくる観光客みたいに、そのテーブルを中心に席が埋まった。
拓実がきつねうどんを食べ終え、お盆を持って立ち上がっただけで「かっこいい」と学年問わず女子の囁きが漏れる。男子の
女子の視線のおこぼれを狙って、近くの席でオシャレにちょっと高い学祭限定のペペロンチーノを食べてた俺は、この時初めて「孤独」と言うものの怖さを体感した。
驚く程に誰も、俺を見ない。
絶望で目の前がブラックアウトし、俺はその時のショックで、そう遠くは無い記憶の断片が走馬灯の様に蘇った。
いつもは早起きして洗面台を占領する俺が、寝癖を気にして遅刻しかけたあの日。
「自分が思ってる以上に人ってただの人のことなんか見てないから大丈夫」と母さんが言い放ち、俺を家から追いやった。思春期の俺は納得がいかず、既に遅刻が確定した人通りの無い道路からの精一杯の反抗で、玄関の扉に向かって舌打ちをした。
青春を遠い昔に置いて来た母さんは忘れている。登校中のラブハプニングほど突然なものはない。その時がいつ俺を襲っても全力が出せる俺じゃないと駄目なんだよ!と
スパゲッティを食べる手が、力なくテーブルに落ちる。母さん、ごめん。俺が間違ってた。
ステータスのある人間は、確かに人に見られるが、ただの俺など誰も見ない。
ごった返す食堂の中で、こんなにも沢山の人が視線を
体を抱いて身震いした、怖かった。
これは一人ぼっちの怖さじゃない。自分一人だけが取り残される、天涯孤独の怖さだ。それが「無視」と名前を変えて、思春期の俺の自尊心をえぐり、ついに「孤独」となった。
拓実も俺も同じ猿だ。と、安心し切って温泉に浸かる事を怠った俺に、観光客は背を向けた。
サッカー部に入りたくて晒し者にされていたあの日の方がずっとましだ。皆んなは笑いながらでも俺を見ていたもの。
俺は結局高校時代の3年間は登校と帰宅に専念した。単純に無理して入学したツケが回り、授業に追いつくのに必死だったのもある。
そんな俺が床に就く時に決まって楽しむ妄想があった。
高校在学中にサッカー部に所属し、何者でもなかった俺にサッカーの神が降臨、スーパープレーを連続し有無を言わさぬレギュラー入り。ギャルっぽいマネージャーにガンガン押しの強い恋心を抱かれながら、最終的にボブヘアで元気なドジっ子と付き合う。実際、サッカー部にそんな女子マネの先輩がいた。
ともみ先輩だ。
彼女は俺の青春の、いや全男子の青春の象徴と言っても過言ではない。サッカー部を全国に導いたのは彼女がいたからだ!と全校生徒が思っている。
ある日、事件が起きた。
バスケ部のギャルっぽいマネージャーが拓実を狙っている噂は
2人は仲も良く、冗談を言い合う姿や、見た目に反して献身的なギャルの仕事ぶりに「今年のクリスマス何かが起きる!」と校内は色めき立っていた。一部過激な反対派もいたが、俺は賛成派だ。拓実に彼女が出来れば、女子達の目線も少しは周りに向くだろう。
だが、冬休みが明け、新学期。部活終わりの拓実と手を繋いで門を抜けたのは、みんな大好きともみ先輩だった。
158㎝と小柄なともみ先輩が、当時185㎝に到達した拓実と歩く姿は少女漫画の様で、身長差で聞こえ辛いのか、たまに顔を寄せ合う姿に女子は憧れ、男子は嫉妬し、そして俺は失望した。
俺の自尊心を傷つけ、妄想までも奪うなんて。サッカーに俺は固執していたが、恨むべき敵はバスケットボールだったのか?!俺の中の「卑屈」が心の中で吼えた。
全くもって拗ねた青春だ。
「27㎝も離れたら会話がしづらいだろ!首も痛くなるし、優しくないよな!」
「今日はバスケにやっかむ日か?先週も「バスケは身長でモテるのズルい」ってやっかんでたよな」
隣でやれやれと肩を竦めた幼馴染みの
「拓実の身長が俺と同じならあんなに女子の心は奪われない!」
「拓実がマイケルの身長でもかっこいいだろ、バスケが上手い事に変わりはない」
「じゃあ、拓実の名前がマイケルで、身長170だったら?!」
「それはそれでカッコいいだろ。マイケルあのな。俺たちはまず、スポーツ推薦の言葉にひれ伏してるんだよ。名前がマイケルで、体格に恵まれてないけどバスケで推薦とってりゃ、それはかっこいいし、親の名前のセンスも将来を見越したネーミングって騒がれるだろう」
チマチマと小さなみかんを剥きながら、みかポンは確実に俺の心の核を突いてくる。
「なんで俺、普通に受験したんだろう」
「この学校に普通に入学するだけでも世間ではそれなりなのに、ここにいたら普通。皆んなそうやって入ってるからな。だからこそ、スポーツ推薦組が生きてくる。自分達に無いものだ。
受験には勝ったが、ここのステータスに負けたのさ。試合に勝って、勝負に負けたんだ俺達は」
「いや、これはきっと小学校の時にサッカー部に入れてもらえなかったせいだ!」
またか。とみかポンは鼻から盛大なため息をついた。もう俺の拗らせは幼稚園から一緒のみかポンにとって、ルーティンワークだ。
「そんなのお前が勝手に入れば良かっただけじゃん?」
「周りに言われ過ぎて、マイケルなのにサッカーは確かに何かな?って俺も思ったんだよ。同調圧力だ!」
「全てを名前のせいにしているお前の自意識の問題だろうが。それに、サッカー部に入っていても、推薦取れる程だったかはわかんねぇ」
「それこそ未知数だろ、もしかしたら、全てをプレーで黙らせるすごい選手になれたかもしれない」
「ないな。その根性があったら、マイケルはサッカー部かバスケ部にいたよ」
「それな?」
みかポンは良い奴だ。俺を否定するけど、絶対馬鹿にはしない。そんな親友を持てたのは俺の数少ない恵まれた部分だ。
ポケットの中であったまった小さなみかん。少しつぶれたそれは、皮に包まれどこにでもある顔をした、値段そこそこの国民的おやつフルーツ。俺そのもの。
だが、ちょっとあったかいから、俺は少し甘さで恵まれている。
拓実とともみ先輩はそのまま繰り上がったが、俺は違う大学に進学した。その後、結婚したとかしてないとか、プロになったとかなってないとか、同窓会の度に聞いたが、興味のないふりをし続けた。
就職して10年目に職場の近くのアリーナ付近でスポーツウェアを着た拓実らしき長身の男性とすれ違った。
俺は少しピリッと心に痛みが走ったが、来世はもっと早い段階からこうやってすれ違いたいと思い直した。
———
俺はマイケルだが、一度も海外に行った事がない。
修学旅行も国内の年代だし、大学の卒業旅行も温泉が好きだから国内を選んだ。英語はからっきしだし、そもそも文化の違いで不便を
と、表向きは硬派な事を言いながら、25歳でボブヘアの元気なドジっ子と結婚してハワイにハネムーンに行く夢だけは、40を過ぎた今も捨て切れずに生きていて、それを証拠に就職した年に胸を膨らませてとったパスポートの更新だけは怠っていない。
だが、免許証と一緒で写真が年をとっていくだけで、中は真っ白のまま。そもそも、パスポートのこの「
実家で印鑑を探している時にたまたま見つけた母子手帳のように、己の外国に慣れていく成長過程を記録するのか?夏休みの絵日記も8月29日に纏めて書いていた俺に、そんな律儀さは微塵もないから困る。
その記憶につられて思い出したが、母さんは俺と違って真面目な性格だった。その時にチラッと中を見た母子手帳には、まだ記憶も無い頃の俺の成長記録が、少し右肩上がりの几帳面な文字でびっしりと書き付けられていた。
思い返せば、学生時代の弁当も、全て手作りで冷凍食品は一つも入っていなかったし、10歳上の兄貴が東京に就職した時も、毎月欠かさず上京して冷凍庫いっぱいにご飯のストックを作り置きしていた。
毎日しっかり家計簿と日記を欠かさずつけてから就寝する、本当に俺の母さんだったのか疑問になる程に几帳面な人だった。
そんな母さんは6年前他界して、その1年後に父さんも後を追うようにこの世を去った。母さんの死に目に会えなかった俺は、自分を恥じた。
俺は実家のある
だが、母が去り、父だけになるまで一度も帰省はしなかったのだ。
兄は東京でそのまま就職し、早々に結婚もして家庭を築いていた。子供の受験やなんやも重なって殆ど顔は出せなかったが、盆と正月は必ず帰省していた。
俺は「いつでも帰れるから」と言い訳し、実家を避け続けた。
本当は家庭を築いた兄と比較されたくなかっただけの取るに足りない小さな見栄だ。そんな小さな見栄を誰も気にしない事は分かっているけどやめられない、金曜日の深酒と一緒だ。
30代の終わりの2020年。世の中は新型ウイルスの渦中で、自国開催の東京オリンピックは翻弄されていた。
この年、母の介護から解放された父さんはバッタリと倒れ、癌が見つかった。だが、元々運の良い父さんは手術後の経過もよく、抗がん剤治療を終えてあっさり退院した。
母さんの介護をしながら家事を覚えた父は、身の回りの事を殆ど自分でこなし、週に2日だけホームヘルパーさんに来て貰っていた。そのヘルパーさんは父さんに「ビデオ通話」を教え、認知症の予防の為に、毎週日曜日の夜は父さんとビデオ通話をしながら晩飯を食うことになった。
母さんの時の後悔を思い、俺はそれを快く承諾した。日曜日の夕方は自炊して簡単なつまみを用意すると、ビールを1本画面越しの父さんと飲んだ。俺は特に予定もない仕事だけの独り者、さして話す事も無い。父さんも似たようなもんだろうと
そうだった、忘れてはいけない。この人は息子に「マイケル」などとぶっ飛んだ名前を付ける男だ。
まぁ、よく喋る。ラジオのDJくらい1人で喋る。
趣味で畑を始めたら中国人の友達が出来た話、看護師さんの息子が大学受験をしている話、入院中に窓から見ていた近くで飼われていたヤギが、今もまだ元気な話と、父さんの話題は泉の様に尽きない。
正直、俺の5億倍充実している。認知症の心配は俺なんじゃないかとハラハラする程、毎週ホットな話題を俺に提供してくれた。
そんな父さんの一番の楽しみは、やはり大好きなバスケの日本代表が、オリンピックに出場する事だった。
今は昔程もスポーツ中継はなく、世界陸上やワールドカップ、アジアカップのメジャー競技が殆どで、マイナー競技のバスケが地上波で目に触れる事は殆ど無かった。それ以前に俺はスポーツとは訣別している、取引先との話題の為にナイターを見る程度の俺は、オリンピックもまともに見た事がなかった。
実は、社会人になって拓実とすれ違ったあの日。俺はなぜかYouTubeでバスケの試合を検索した。
当時の日本のバスケは少し野暮ったく見えた。外国人に比べると体も小さいし遅い、とてもじゃないが日本人には向いていない気がして「無理すんなよ」と、記憶の中の拓実の背中を憐れんだ。
当時の俺の考え方は、オリンピックは世界の勝ち組の溜まり場。水泳や陸上の個人種目以外でメダルは来ない。特にバスケなどすでに体格で負けてる日本が、負ける覚悟で参加するのは恥ずかしいとさえ思い込んでいた。
普段のリーグ戦は外国人も多く参加していて、高さも派手さも迫力もあるが、日本代表には日本国籍を所有していないとなれない。日本に
更にスポーツに対する
出来もしないのに、今なら穴を掘ってでも下げれる限り土下座して謝りたい。
「バスケは、何年も自力で出てないんだろ?自国開催だからオマケで出場。カッコ悪い」
俺の嫌味に父さんは笑った。この頃は急激に体力が落ちて、フッと息を吐いただけの灯火みたいな笑いだった。
「何だっていいんだ、チャンスがあればなりふり構わず掴んで、それで勝ったら人生優勝だ」
「プライドだってあるだろ」
「あるさ、何を言われても選手であるプライドが。人目気にして大きなチャンス逃す奴が、日本の代表の方がカッコ悪い」
父さんの言葉が人生で初めて俺に刺さった。薪割りの斧みたいに大きく振りかぶって、その重さで俺を頭から真っ二つにした。目から鱗なんてもんじゃない、脳天から薪割りだ。
全てを名前のせいにして、一つもチャレンジせずに生きてきたただの俺に、オリンピックを語る資格も、バスケを蔑む権利も、華やかな青春を
うだうだと言い訳ばかり並べて、ハリボテみたいなプライドを守ったただの俺と、やりたい事を素直にやり続け、一つの道を駆け抜ける拓実。身長なんかじゃない。
チャンスを掴みに行く拓実の生き方に皆んなはカッコ良さを感じていたのだ。
大揉めに揉めた東京オリンピックは延期になった。
父さんはがっかりしたが、2021年にあるから頑張れ!とヘルパーさんに鼓舞されながら、開催前に静かに母さんを追った。
俺は、何だか生きるのに、疲れた。
まだまだ人を集められない世の中で、近親者のみで葬式を済ませ、ひと段落すると、一気に気が抜けた。
現実世界がやたらと早く流れている気がして、俺は立ち止まってしまったようだ。
面倒だが、嫌いでもなかった仕事も急に億劫になり、徒歩で通勤できる自宅のマンションで居ることにすら息詰まった。
たまたま地元で就職していたみかポンが、実家で作っているみかんジュースを送り付ける連絡をして来なければ、どうにかなっていたかも知れない。
電話に出ると、すぐに俺の拗らせを感じ取ったみかポンは思い出話もそこそこに、珍しく優しい言葉をかけてくれた。
「帰って来いよマイケル。親父さんの遺品整理もあるだろ?みかんも食べ放題だぞ」
みかポンのちょっとあったかい友情。俺はそこだけは本当に恵まれている。
溜まりまくった有給を1週間だけ使って実家に戻り、のんびり父さんの遺品を整理を始めた。仕事の合間にみかポンも来てくれて昼間はなんとなく気分を保てたが、夜は彼も家庭があって来てはくれない。
静か過ぎる片田舎は落ち着くようで寂しくもある。初めは楽しめた静寂も日が経つにつれ不安に変化してくる。長く都会のネオンを浴びすぎたせいか、明かりと喧騒を探してテレビを付けている時間が長くなった。
この日も冷たいような静けさの中で、張り詰めた空気をどうにかしようと俺はリモコンに指を伸ばす。
1人になれば気持ちを整理できると思ったが、孤独がひたひたと音を忍ばせて近付き、俺の足元から這い上がり背中を冷たく覆う。
テレビから流れる目に眩しいCMが現実で、ここにいる俺は地獄でもない何か、不安を塊にして作った箱の中で永遠に整理しきれない後悔を片付け続ける悲しい存在に思えて、頭を振った。
なんてセンチメンタルだ。センチメンタル過ぎて、センチメンタルの使い方が合っているのかも分からない。
昔リビングにしていた6畳間は、家族が居なくなってからは父さんの書斎になっていた。テレビが座椅子の真正面にあり、その間にあるテーブルの上は綺麗に片されていたが、下には沢山の雑誌や本が積まれてテーブルの足が少し浮いていた。
覗き込んでその一山を引き摺り出した。
100均ショップで俺もまとめ買いしたページの足せない柔らかいファイルに、年代が油性ペンで表紙に直書きされている。よくある警察ドラマの
そろそろと、一番上のファイルを開いてみると、バスケ雑誌の切り抜きが沢山挟まれていた。年代別のスクラップブックだったようだ。なんだよもう、変な汗をかいてしまったじゃないか。
なんて。
馬鹿な妄想だ、父さんは刑事でも無いし、冤罪どころか一度も御用になってなどいないクリーンな男だ。
一緒に置いていた水色の大学ノートには、父さんが考えた日本代表のドリームチームが作られていて、無邪気な内容に目尻が自然と下がった。
数冊抜き出し、中から一番最新で、最期の“2020“を選んだ。半分程書き込まれて持ち主を失ったノートの中は、安いボールペンが作るインク溜まりがポツポツとついていて、触ってしまった父さんの指紋があちこちにスタンプされている。
一番紙がヘタってしまったページには「彼の武器は世界を変える」と書かれていて、1人の選手の切り抜きと、父さんなりのデータが書き込まれていた。赤いボールペンがグルグルと、青年の顔を何周も囲み、大きなハナマルになっている。
「息子にもくれないハナマル、よその子にやるのかよ。ま、ただの俺はハナマル息子にゃなれんかったがな」
東京オリンピックの開会式が始まっていたのだ。
恥ずかしながら、オリンピックをちゃんと見たのは人生で初めてで、俺はポカンと口を開けて次々と入れ替わるショーに時間を忘れた。
選手の入場シーンでは、バスケットボール日本代表の青年が旗手を務めている。彼はNBA選手、当時23歳のその堂々たる風格に俺は
俺の知らない所で、俺の無視した日本の時代が流れている。俺が一番恐れた「無視」を俺は先頭を切ってやり続けていたんだ。そして俺は、それに勝手に疲れているだけにすぎないのかもしれない。
「俺がオリンピックに出場するなら、37年男子シングル日本代表ってか?」
カッコつけたつもりの独り言がやけに沁みた。
でも、独り言も漏れなかった数日を思うと、心は少し前を向いたみたいだ。
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