幕間 恭子の憂悶1

 教室には黒板に書きつけるチョークの音と教師の声、それとこっそり喋る生徒の話し声が入り混じっていた。

 大半の生徒が意識を雑談か授業に向ける中、恭子だけは教室の隅にポツリと置かれた空席を眺めていた。


「輝樹」


 恭子は誰にも聞き取れないぐらいの小声で、空席に本来座っているべき男子生徒の名前を呟いた。

 彼女と男子生徒の関係は特別深いものではない、だが決して浅いものでもない。 

 単なる幼馴染で昔から仲の良い同級生なのだ。


 いつになったら、輝樹はこの教室に来られるのかな?


 幼馴染の輝樹は家族旅行に出掛けたまま学校に戻ってこない。

 恭子自身、輝樹と彼の妹の誘いで家族旅行に同行した。


 ゲームコーナー、ボウリング、夕食も三人で食べたな。


 そこまで楽しい記憶を思い出したが、その後の事は思い出すのをやめた。

 この先はとても辛い記憶だ。

 自ら掘り返すことはない。

 輝樹の事を考えていたら避けては通れない嫌な記憶。

 恭子はこれ以上輝樹のことに意識を割くのはやめて、授業に集中しようと手元のノートと黒板を見比べた。


「しまった」


 つい声が漏れた。

 周囲の生徒が突然の声を出した恭子に視線を注ぐ。

 人目に恥ずかしいことをしたわけではないから、と恭子は周りの視線は気にせず慌ててシャープペンをノートに走らせる。

 手元のノートと黒板では、黒板の方が歴然と書いてある内容が多かった。

 授業の残り時間が気になって壁掛けの時計を見ると、授業終了まではわずか五分しかなかった。


 書き切れなくなっちゃう!


 否が応でも輝樹のことを考える余裕はなくなった。

 恭子は無理やり意識を授業に戻して板書を再開した。

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