占術クラブ活動報告(抄)

占部蕺

1-1

 新川の部屋を訪ねたら、落盤事故の現場だった。

 まだ冬の終わらない二月上旬。大学は春休み。住人の半分くらいが帰省しているものだから、普段は活気のある学生街もだいぶ静かだ。

 もっともこの冬は数年ぶりの大雪で、昨年末から出歩くのも一苦労なほどの積雪があり、先学期中から街中の人通りも少なくはあったのだが。

 この地の四季は冬に積もる雪の残留思念だ、みたいなことを巻頭一番述べている文学作品があった気がする。はじめて読んだ時はなんのこっちゃと思ったが、この雪の量を見ると成程とうなずかざるを得ない。去年の春に進学でこちらに来て、この冬がこの街で過ごすはじめての冬である。北国だから冬には勿論多量の雪がおいでになるんだろうと覚悟していた。というか積雪というものに縁の薄い地方の出身なので、むしろ雪を楽しみにしていたところもある。

 が、いざ直面してみて度肝を抜かれた。まさかこれほどのものだとは思わなかった。

 雪が降ると言うよりも、街が雪の中に沈んでいると捉えた方が実態に近い。雪国という言葉の意味を過小評価していた。冬の間のこの街は、天と地はともに凍りついていて、その凍った天地の間には雪しかないのである。雪遊びをしようという気すら起きない。

 まあもっとも先述の通り、この冬は数年ぶりの大雪だそうだが。

 しかしさしもの冬将軍もこう働き詰めではさすがに勢威が衰えると見え、今日は久々の晴天である。市役所が除雪車を走らせたので、道もどうやら歩けそうだ。出掛ける好機である。

 大雪を理由に、といっても新幹線は雪にも負けず動いているので理由にならないようだが、とにかくこの春休みの帰省は見送った。小学一年以来の友人で、大学でも机を並べる仲の新川も、やはり帰省していない。

 春休みに入ってからあの男の部屋からは一週間ほど足が遠のいていたが、久々に出かけられそうな空模様ではあるし、サークルの関係で相談しなければならないこともあるしで、ひとつ奮発してこの幼馴染の部屋を訪ねようと決意したのが今朝の事である。

 で、繰り返しになるが、新川の部屋は落盤事故の現場になっていた。

 散乱したガレキが部屋の畳を覆い隠している。宙に舞った埃が窓から差し込む陽光を反射して、キラキラと輝いている。空気は冷え切っている。部屋の中は無音であり、どこか遠くで歩行者用信号機が間の抜けた電子音を鳴らしているのがかすかに聞こえる。

 何故こんなことになっているんだ。

 本当に驚くと声が出ないものである。ついでに言えば体も動かない。ただ思考だけが回転しだす。しかし実行を伴わない思考はまったく無意味であり、回転しだすと言うよりは空転しだすと言う方がこの場合は実態に即している。

 空転する思考は、まずこのアパートの状況を整理する。整理したからどうなる物でもないのだが、そこが空転の空転たる所以だ。

 食べ物屋が軒を連ねる、この学生街で一番賑やかな大通り。その大通りにつながる、まったく目立たない細い路地の先に、ひどく静かなスペースがある。

 路地の長さはせいぜい二十メートル程度であり、表の殷賑な目抜き通りからはほんの一跨ぎの距離である。にも関わらず、この場所はひどく静かだ。静かすぎて、しばらく佇んでいると耳が痛くなったり、平衡感覚が狂うような錯覚を覚える程である。

 新川の住むアパートは、そんな場所にひっそりと建っている。この一年弱の間に何度も訪れているが、訪れるたびに、山奥の廃寺を連想してしまう。そんなイメージが湧くのは、ここがあまりに静かで人の気配がまったく感じられないからだろうが、もう一点、このアパートがあまりに古びているというのも理由だろうと思う。

 築何十年なのかは分からないが、とにかく古い。「実は明治維新前から建っております」と言われても納得できそうな貫禄を感じる佇まいだ。二階建てである。これが平屋なら、アパートではなく長屋と呼びたいような雰囲気が全体に漂っている。新川に一度そう言ったら、「二階建の長屋だってありましたよ」と言われた。そういうことなら堂々と長屋と称しても差し支えないようだが、この古ぼけ加減では長屋の方から「一緒にしないでくれ」と物言いがつくかもしれない。いつ崩れ落ちても不思議ではないオンボロ具合で、よく見ると少し傾いているような気がする。骨董品のような、あるいは廃物のようなアパートである。

 ある友人はこれを「遺跡のようなアパート」と評し、別の友人は「出土品みたい」と形容した。どっちにしろ考古学の研究対象だ。そして仲間内で――住人である新川自身を含めて――それに異を唱える者は一人もいなかった。それくらいに朽ちかけたアパートである。崩れずに建っているのが不思議だ。他に幾らでもアパートはあるのに、新川は何が嬉しくて遺跡みたいなアパートに住んでいるのだろう。ちなみに現在このアパートに、新川以外の住人はいない。

 そこまで思考が空転したところで、はたと気がついた。この冬の大雪が積もりに積もって、ついに遺跡の天井が崩れたのではないだろうか。

 新川という男は子供の頃から病気がちで、体力がない。モヤシである。そしてその体質によるものかそれとも生来の気質か、たいへんな無精者である。大学にすら必要最低限しか出席しないくらいだ。つまり、たとえ災害レベルの雪が降ったからと言って、雪かきなどをするはずがない。

 現に、二階の一番奥にあるこの部屋までの階段にも廊下にも、手つかずの雪が積もっていて歩きにくいことこの上なかった。生活通路ですら手を加えていないのだから、当然、屋根の雪下ろしなどしている筈もない。廊下には屋根があるからまだ積もる雪も少ないが、当然ながら屋根の上に屋根は無い。だいたい百五十センチくらいまでの積雪には普通の屋根は耐えられると聞いたような気がするが、この冬の積雪は百五十センチどころの騒ぎではない。ましてここは新川遺跡だ。屋根も当然老朽化しているだろう。崩落する条件は揃っている。

 それで視線を天井に向けた。が、天井に異常はなく、煤けたような天井板から年代物の照明が下がっている。

 はて?

 どうやら屋根が抜けたわけではないようだ。積雪が惨禍をもたらしたわけではないらしい。天井に異常がないのならばこれは落盤ではない。

 空転し続けた思考もようやく歯車がかみ合い、脳が通常の判断力を取り戻す。視線を改めて下におろせば、足元に散乱するのはガレキではなく大量の本であった。

 新川は読書家である。小学校でも中学校でも高校でも、在学中に図書室の蔵書を尋常ではない量借りて読んだとかって理由で表彰状を貰っていた(ただし本人は表彰式を病欠していた)。

 大学生となった今では一人暮らしで誰も文句を言わないのを良い事に、次から次へと本を買い込んでくる。本棚は勿論詰められるだけ本が詰めてあり、そこに入りきらない蔵書は壁際に積み上げてある。今や新川の部屋は本を積んで作った砦か何かのようになっている。滅多に外出しないくせに、本を買いに行く為なら隣県まででも出掛けることを厭わないのが新川だ。

 ついでだから言うと、本以外にも得体のしれない物も沢山ある。何かの標本だとか、やたら古い壺だとか、人の手の形の蝋燭だとか、やけに凝った装飾が施された杯だとか、実験器具とおぼしき何かだとか。これらはいずれも仕事道具というのが本人の弁だが、俺の見るところ、大半はただ趣味と興味で集めてきたコレクションである。そういった雑貨類が、はたから見る限りは無秩序としか思えないありさまで収蔵されている。新川の部屋に本や雑貨が積んであるのではなく、もはや整理されていない資料室に新川が寝泊まりしているようなありさまだ。

 それで、大量に積み上げられた本の一部が崩れた結果、現下の惨状を呈しているらしい。ロクに整理してないから不安定の極みみたいな状態だったので、崩れるのもむべなるかな。

 なお一部とは言ったが、「一部」という単語が纏う雰囲気を遥かに逸脱する量の本が散乱しているということは注記しておかなければならない。数十冊では済まない冊数がこの光景を生み出す役割を果たしている。

 だがまあ、部屋自体が崩れたわけでないなら片付ければ済む話だ。よかったよかった。

「……ん?」

 よかったよかった、というところまで考えて、脳裏に何か違和感がよぎる。その違和感の正体を突き止めるのに少し時間を要した。どうやらまだ思考の空転は完全には終わっていなかったらしい。

 違和感のよって来たるところは他でもない、俺が今ここに立っていると言う事実である。俺が立っているのは新川の居間兼茶の間兼寝室兼応接室兼書斎、と並べるまでもない、このアパートは台所とトイレと浴室以外の部屋はこの部屋一つしかない。とりあえず居間と呼ぼう。新川の居間の入り口である。俺は玄関から入って来て、ここにいる。

 ここで一言断っておかなければならない。新川という男は前述の通り無精者だ。どこか適当な場所に新川を据えると、生理的理由か、さもなければ何かの異常事態か、あるいは余程新川にとって興味深いことでもない限り、自分からは丸一日でも動こうとしない程度に無精者である。この面では人間よりもむしろ牡蠣に近い。

 そんな新川だから、来客が玄関をノックしたくらいでは席を立たない。外から案内を請うても無駄である。この部屋の牡蠣的主人に、不意の来客を応接するなどという観念は無い。

「いやだって、こんなところに予告なく訪ねてくるお客は、だいたい招かれざる客でしょう?」と本人は述べる。そうかもしれないが、社会的動物である人間としてその振る舞いはどうなんだろう。たしかに、この部屋に無予告の来客がある事は滅多にない。その滅多にない珍客を無言のうちに門前払いにするのだから新川は非情だ。

 じゃあ不意で無ければいいのか、事前にアポとれば玄関で迎接してくれるのかと言えば、勿論そんなことはない。約束したって牡蠣は牡蠣である。

 もしかしたら身内以外には丁寧な応対をするのかもしれないが、少なくとも俺達友人は「遊びに行くぞ」「どうぞお運びください」というやりとりがあったとしても、新川が迎えに出るなんてことは期待しない。

 新川は自分が部屋にいる間は、玄関の鍵をかけない。不用心なことこの上ないが、目立たない場所に建っているアパートだし、そもそもアパートそのものが腐朽寸前なので、泥棒や強盗が押し入ることもないだろう。彼らもそれほど暇ではあるまい。仮に侵入したとしても、古本やよく分からないガラクタに埋もれた牡蠣みたいなモヤシが、つえつえと青息吐息をついているだけである。得るものなど無い。

 とにかく新川が在室ならば、部屋に鍵がかかっていないわけだから、我々は遠慮なく玄関を開いて上がり込むことにしている。不作法なようだが、訪問の礼を尽くしたところで部屋の主が主だから仕方ないのである。もし鍵がかかっていたら新川は留守であるか、さもなければ何か人に見られたくない事をしているかのどちらかである。その場合は無駄足を嘆きながら帰るまでだ。

 長々と述べているから何の話をしていたか忘れつつある。本筋に戻ろう。

 今日もそのようにして俺はこの部屋に上がった。だから玄関の鍵は開いていたのだ。ということはつまり、新川はこの部屋にいる。

 何事にも例外ということはあるから一応、玄関の方を確認する。沓脱には、俺の靴の他に新川の履物が並んでいる。裸足で出掛けたのでない限り、新川はこの部屋にいる。雪と氷で閉ざされたような街に裸足で出掛けはしないだろう。あの病弱男がそんなことをしたら、三歩も歩かずに倒れる。

 だから新川はいる。どこに?

 浴室やトイレには人の気配はない。台所も無人だ。だからあいつは居間の中にいる。

 もうここまでくれば考えるまでもない。皆も察していると思う。新川はおそらくこのガレキ改め大量の本の下に埋まっているのだ。

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