第7話 大きな主の帰還

 今日は父上が帰ってくる日だ。

 セラーズ伯爵領は、王国の南端の海に面した広い領土を持っている。

 今でこそ父上は財務大臣をされているけれども、元々は王国の海を守る軍事的な家系なのだ。今は俺のおじい様に当たる先代セラーズ伯爵であるサラダン=セラーズが伯爵家の海軍を仕切っているそうだ。

 父上とおじい様で分業制。

 ちなみに俺はおじいさまの顔は、生まれて暫くの間しか見たことがない。いかにも海の男という日に焼けた筋肉質な男性で、年齢はせいぜい40くらいにしか見えなかった。よく考えてみれば、父上が今30になったところなのだから、ちょっと若く見える人だったらそんなものだ。

 引退が早すぎなんじゃないかと思わないでもないが、その辺りは複雑な事情があるのかもしれない。


 ちなみに俺がおじい様なんだろうなと思っていた人は、ひいおじい様らしい。白髪をきれいに撫でつけたひいおじいさまは、これまた顔に向こう傷を持った戦人という顔をしていた。

 一族において豚さんは父上ただ一人である。……当時はちゃんとかっこよかったんだけどな。


 夜になっていつもなら魔法を使い果たして気絶してる時間になると、そっと扉が開いて何者かが部屋を覗く。うっすらと目を開けると、シルエットからしてそれがミーシャであることが分かった。

 寝たふりをしているとミーシャはしばらく俺のベッドの横で立ち止まってから動かない。


 怖いんだけど。


 じっと見つめられている気配に居心地の悪くなった俺が寝返りを打つと、ミーシャがはっと息をのむ音が聞こえた。それから来た時よりもやや急ぎの足音が遠ざかっていく。

 さて、今晩遅くに帰ってくるはずの父上を待ち伏せする予定の俺は、廊下に出る機会をうかがいつつ、ごろごろとベッドの上を転がった。

 眼を閉じているといつの間にか眠ってしまいそうだ。子供の体というのは多分そういう風にできている。


 眠気と戦っている俺の部屋の扉がまた開く音がして、うっすらと光が差し込んでくる。今度は足音が二つ。片方は多分ミーシャで、もう片方は……、まさか母上か?

 何しに来たの。


 二人は先ほどと同じようにしばし俺の横に立ち尽くして、それから今度はそーっとゆっくりと部屋から出て行った。

 なに、もしかして俺っていつもこんなに人に寝ている姿を見られていたのだろうか。そりゃあ気絶してるのに気が付くし、毎晩それじゃあ心配もするに決まっている。

 どうやら俺は金持ちの貴族、あるいは母親の愛情をなめていたようだ。


 外からすすり泣く声が聞こえてくる。


「ルーサーが、ちゃんと寝てるわ……。いつもこの時間は気絶してるのに……」

「アイリス様、良かったですね……」


 この声は母上の専属メイド。どうやら扉の外には三人待機しているらしい。


「ミーシャ、教えてくれてありがとう……」

「いえ、喜んでもらえて……うっ……」

「あなたも嬉しいのね。ずっとルーサーを見守ってくれてたものね」

「お二人とも、そんなに泣かないでください……。私まで……」


 お三方とも、そんなに泣かないでください。

 俺は今罪悪感で胸がいっぱいです。

 最近体内に蓄えられる魔力の量が増えづらくなってきてたし、もう寝るときに気絶するまで魔法を使うのはやめよう。母上とミーシャが泣いてる姿を想像したら、めちゃくちゃ辛くなってきた。

 やめてよ、俺が悪かったってば……。


 でも見られてることに今日初めて気が付いてよかったかもしれない。

 もし事情を知らずにどこかで気づいていたら多分、暗殺されるんじゃないかとか疑っていたと思う。危うく疑心暗鬼になって、屋敷内をスパイごっこする羽目になるところだった。


 一通り喜びにむせび泣く声を聞かせてくださってから、母上とその一行はようやく俺の部屋の前から立ち去ってくれた。途中で数人が加わって、その人が祝いの言葉を投げたり、一緒に涙を流したりするたび、俺の庶民の心臓がゴメンナサイと鳴き声を上げていた。

 正直もうすでに疲れていたけれど、いよいよ作戦決行の時間だ。


 俺はそっと布団から抜け出すと、扉まで忍び足で近づいて廊下に顔をのぞかせる。

 よし、誰もいない。


 最初の一歩を踏み出してから、俺は一度それをやめて部屋の中へ戻り、厚手の上着に袖を通した。……万が一誰かに見られたとき薄着をしていたら、めちゃくちゃ心配されそうな気がしたからだ。気休めみたいなものである。

 屋敷に暮らす多くの人が心優しいと気づいてしまうと、余計に父上への不信感が募ってしまう。

 いつも怒った顔をしてあまり帰ってこない、丸々太った父上。

 できればそこにも俺の誤解があればいいなと淡い希望を抱きながら、俺は抜き足差し足、父上を待ち伏せするために玄関へ向かうのであった。




 当然の話なのだけれど、屋敷の主が帰ってくるとなれば、夜中だろうが何だろうがきっちり出迎えるのが屋敷に仕えるものたちの仕事である。

 ダンスパーティができそうな玄関ホールの、ぐにゃりと曲がった階段の上。俺はそのサイドの廊下の隅に静かに伏せて、父上の帰宅を待っていた。


 ……こんな夜中にまで働きすぎでしょ。

 もしかしてちゃんと出迎えしないと父上が怒ったりするのだろうか。

 まだ外から何の音も聞こえないというのに、皆はぴしっと背筋を伸ばして父上の帰りを待っている。

 やがて馬が歩く音が聞こえてきて、さらにしばらくすると秘書であるデアンが扉を開け、父上が屋敷の中へ入ってきた。やや髪が乱れており、歩くたびに頬肉と腹の肉が揺れている。

 顔のパーツは整っているけれど肉でつぶれ、背は高いけどそれがただの威圧感にしかなっていない。父上、しばらく見ない間にまた太ってる……。あれじゃあ悪さをしていようがしていまいが、病で絶命まっしぐらだ。

 気にして見てみれば、そこはかとなく顔色が悪いような気もしてくる。


 屋敷に入った父上は並んで迎え入れた使用人たちを見ると、何か一言二言言葉を発する。ここからじゃ聞こえないけどね。

 そのまま手首から先を振って、追い払うようにして使用人たちを解散させた父上は、ゆっくりと階段を上がってきた。使用人とともにデアンも父上のそばから離れる。なんだか嫌な感じの仕草だなと思いながら、俺は起き上がって廊下を走った。


 皆を解散させた今がチャンス! 廊下の角に隠れて父上が執務室に戻るのを待つのだ。


 父上には色々と話したいことがある。

 ……変なことを聞いたからって、まさか実の息子を手打ちにしたりはしないよね?


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