第14話 タケルのメモ
「珍しいね」
不意に声をかけられ、俺は足を止めた。
帰宅して、さっさと自分の部屋に向かおうとリビングを通り抜けようとしていたところだった。
「珍しいって、なにが?」
声をかけてきた妻、まひろを振り返る。
冷静を装っているけれど、久しぶりに聞くまひろの声に、胸が少しざわついている。
俺達は、毎日朝晩は必ず顔を合わせている。
それなのに、俺はまひろと一言も言葉を交わしていなかった。
視線の先のまひろは、真顔で俺が持っている紙袋を指さしている。
「それ、子ども服だよね? 紙袋のロゴ、子ども服の有名店のブランドのだもん」
しまった、紙袋のロゴ!
「え……と……こ、これは、その……」
俺は紙袋をそれとなく隠した。
どうしよう、まひろに子ども服を買ったことを指摘されるなんて、予想していなかったから、言い訳なんか考えてなかった……えっと……
「もしかして、マユちゃんへのプレゼント? 随分と気が早いのね……十二月に入ってからでも良かったんじゃない?」
クリスマスプレゼント! それがあった! まひろ、ナイスだ!
「いや、そう言うけど、もう週末には十二月になるだろ? こういうのってさ、気がついた時に買わないと忘れるからさ」
「ふぅん……それ、仕事帰りに買ったんでしょ? 近くの駅ビルに、そのお店入ってるもんね。ねぇ、どんなの服買ったの? 見せて」
「そう……駅ビルの……いや! 楽しみは後に取っておかないと!」
俺は、慌てて紙袋を抱きかかえた。
だめだ、中身を見られたらまずい。
まひろの姉の娘、マユちゃんは確か小学三年生くらいだったはずだ。
もし紙袋の中のコートを見られたら、サイズからしてマユちゃんの為に買ったのではないと、すぐにまひろにバレてしまう。
「あ、そう……で、コウタ君には何か選んだの? マユちゃんにプレゼントを買ってあげたんだったら、コウタ君にもなにか買ってあげないと、コウタ君かわいそうよ」
「コウタ! わ、忘れてないさ! 忘れるわけないだろ! ただ、なにをプレゼントすれば喜ぶのか思いつかなかっただけで……あれ……ところで、コウタって今何歳だったっけ?」
うっ、まひろの姉一家とは、毎年正月に顔を合わせているのに、子どもたち二人の年齢がはっきりと思い出せない。
「コウタ君は十一歳よ。小学五年生。そのくらいの歳の男の子だと、やっぱりゲームソフトがいいのかなあ? 今度、お姉ちゃんに聞いておくね」
「あ、あぁ、頼むよ。俺、部屋で着替えてくる」
これ以上、紙袋の中身を詮索されたくない。
俺は足早に自分の部屋に向かった。
ああ、変な汗をかいてしまった。
でも、まひろには言えない。
お前によく似た女の子が、突然うちの店先に現れたんだよ、なんてさ。
俺は部屋の明かりをつけ、閉めたドアに背を預けた。
「なんなんだ、ほんとに……こんなものまで買って……俺は、いったいなにをしてるんだ」
『パパと一緒じゃなきゃ、嫌だ!』
ミツキちゃんの叫び声と、ハンバーガーを美味しそうに食べていた時の顔を思い出す。
にこにこして……かわいかったな……
それにしても、なんでミツキちゃんはあの不審者と一緒に行っちまったんだろう? まさか、ミツキちゃんはあの不審者の娘なのか?
「なんか嫌だな、それ……だって、あんなにまひろに似てるんだから、ミツキちゃんは絶対まひろの血縁者だろ……」
苗字も、まひろの旧姓と同じサイトウだし。
そうだ、お義母さんに聞いてみればわかるかもしれない。
まひろはお義母さん似だから、きっとお義母さんの姉妹の方の子なんだよ。
「……お義母さんに電話してみるか……いや、もう今日はそんな気力ないから、また今度だな」
俺は紙袋をベッドに置いて、羽織っていたコートを脱いだ。
チリン、とどこかで鈴の音が聞こえたような気がした。
「そうだ、さっき拾ったんだっけ」
コートのポケットを探ると、小さな鈴らしきものが手に触れた。
ミツキちゃんの細い手首に巻かれた、黒い皮ベルト。それについていた、小さな黒い鈴だ。
「ミツキちゃんの鈴……返してやらなきゃな……しかし、ほんとに明日もくるのか?」
あの不審者は、ヘラヘラ笑って『また明日くるよ』って言ってたけど!
俺は不審者の言葉を疑いつつも、ミツキちゃんの為に薄いピンク色のコートを買っていた。
襟元にキラキラしたシルバーの飾りがついている、ちょっとおしゃれな感じのものだ。
どれを選んだら良いかわからなかった俺は、店員さんが勧めてきた今年の新作というやつを買っていた。
「気に入ってくれるかな……まあいいや、寒くなけりゃ、なんだって」
それに、もし明日ミツキちゃんが現れなかったら、お店に返品すればいい。レシートは、そうなった時の為にちゃんと別に保管している。
しかし、まひろとの話の流れで、マユちゃんとコウタにクリスマスのプレゼントを買うハメになった。
予定外の出費が続くな……まあ、たまにはいいか。
「それより、今日あったことをちょっと整理しよう。えっと、ノートとメモ……あった」
俺はベッドに腰掛けて、今日の出来事を思い返した。
「いつもと違っていたのは……そう、始めは茶トラの仔猫が店先にいた、だな。んー、でも、まあ、それはあまり気にしなくていいか」
俺はメモに記した茶トラの文字の上に線を引いた。
『そうそう、昼間は茶トラの猫を可愛がってやってね。じゃ、また明日』
……まさかあの猫、不審者の飼い猫か?
思わず、不審者、とメモに書いてしまう。
ああ、イラッとする。
俺は不審者、の文字を黒く塗りつぶした。
いったい、なんなんだあいつは?
ミツキちゃんは、あいつのこと神様なんて言ってたけど。
神様なんて、いやしないんだよ、ミツキちゃん。
どんなに良い行いして、どんなに祈っても……叶わない願いの方が多いんだから。
「ミツキちゃん、六歳……」
ノートに文字を書く手が止まった。
まひろに、あまりによく似た女の子。
そして、手が……サトルにそっくりだった。
『わたし、顔はママそっくりで、手はパパに似てるんだって』
だとしたら、ミツキちゃんは、サトルの……
いや、違う。
ミツキちゃんは、サトルの子どもじゃない。
だって、みさきにちっとも似ていないし、二人いる子どもたちは歳だってミツキちゃんより上だったはずだ。
俺はスマートフォンを操作して、メッセージアプリを起動させた。
俺と同い年の美容師仲間、川上サトル。
昔は同じ店で働いていた。
まひろとみさきもだ。
サトルのアイコンに触れると、幼い二人の子どもたちが、楽しそうに笑っている写真が現れた。
サトルとみさきを足して二で割ったような、よく似た顔の姉妹だ。いや、妹の方がよりサトルに似てるかな。
「確か十年前からこの写真のまんまだよな……大きくなっただろうな」
不意に、懐かしさが蘇る。
『お前がふったから、俺がみさきをもらってやるよ。ほんとは俺だって、まひろの方がよかったんだけどな』
約十二年前、サトルはふざけた調子で笑っていたっけ。
俺はメッセージアプリを閉じた。
「今はわからんことだらけだ。それだけが現実!」
とりあえず、ミツキちゃんを親御さんの元に届けないと。
それだけを考えよう。
「さて、飯でも食うか」
リビングに広がっていた、スパイシーな香り。
今夜の晩飯は、タンドリーチキンに違いない。
鶏肉好きな俺が、大好きなメニューだ。
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