第5話 女の子現る
目の前の女の子を、俺は凝視した。
理由はただ一つ。
その女の子の顔が、妻のまひろにそっくりだったからだ。
「お腹すいた……」
キュルル、と鳴くお腹を抱え、女の子は膝を抱えてうずくまっていた。
その場所には昼間、茶トラの猫がいたはずだ。あの猫は、きっと家に帰ったんだろう。
それは良かったが、今度は女の子か……いったいなんなんだ、今日は。
そう思いながら腕時計を見ると、時刻は十八時になっていた。
子どもはとっくに家に帰る時間だ。
日は沈んで真っ暗で、日中の暖かさはもう微塵もない。
「早く家に帰らないと、風邪をひくよ」
俺は内心ドキリとしながらも、女の子に言った。
女の子の服装は黒のトレーナーに白い綿パンツだ。今の時期のこの時間では、きっと寒さを感じるだろう。
俺はまだ仕事が終わらないから、店に戻らなきゃならない。見知らぬ子どもの相手をしている場合じゃないんだ。
「お腹すいた……家、今はない」
女の子は、じとっとした視線を俺に向けてきた。
ほんとにまひろそっくりだ……いや、それはともかく、家がないだって?
「家出か……えっと……ひとまず警察に……すぐそこに派出所があるから、一緒に行こう」
俺は歩いて五分ほどの駅前に、派出所があるのを思い出した。
「嫌だ! パパと一緒がいい!」
は……パパ?
女の子は叫び、再び顔を膝に埋めてしまう。
「えっと……あなたのパパの名前と連絡先、わかるかな?」
心配して様子を見に出てきた女の後輩が、女の子の横に座り込み、そっと小さな肩にそっとブランケットをかけた。
俺は動けなくなっていた。
「パパ」
そう言って女の子が指さしたのが、他の誰でもない俺だったからだ。
『というわけで、石山さんの場合はご主人の方に原因がありました』
無機質に俺の中に響き渡る、二年前の医者の言葉。
俺は、俺は……どんなに望んでも、誰の父親にもなれないんだぞ!
かあっと体中が熱くなる。
どこにもぶつけようのない怒りが湧き出るのを、俺は止められなかった。
「……悪い、その子を警察に連れて行ってくれ……すぐ近くにあるだろ」
俺はなるべく平静を装おって後輩に頼み、店に向かう。
そうしないと、仮面が壊れてしまいそうだった。
あのお腹をすかせたかわいそうな女の子にでも、今の俺なら、ひどい言葉を浴びせることができてしまう。
それは、それだけは避けたかった。
ところが、がしっと上着の裾が後ろに引っ張られる。
「あ、だめだよ!」
慌てたような後輩の声。
きっと、俺の機嫌が悪いのを悟っているんだろう。
「パパと一緒じゃなきゃ、嫌だ!」
だから! 俺は君のパパじゃない!
俺は振り向きざまに、小さな手を払いのけようとして、また動けなくなった。
見つめてくる女の子の丸い瞳が、まひろのものに見えたからだ。
さみしい。かまって欲しい。近くにいて欲しい。
俺はそれがわかっていながら、ずっと気づかないフリをしていた。
まひろ……
「い、石山さん、お店のことは私がやりますから……確か、今日はもう指名は入ってなかったですよね!」
「……うん……悪い……頼む」
向き合わなきゃならない。意気地なしの自分と。
俺は覚悟を決めはしたが、嬉しそうに笑う女の子を直視することはできなかった。
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