16  休み明けのウワサ 1

 夏休みが終わる前に、亜紀はオーロラ寮に戻った。

 小日向こひなたの絵まっぷたつ事件から、母とは最低限の会話しかせず学校生活がはじまった。

 こういう反抗の仕方をしたのは、はじめてだ。


(今度、家に帰ったら、わたしの部屋の物、すべて捨てられてたりして)

 ぶるっと体が震えた。

 でも、あの家にある自分の物がなくなっても困らない気がする。

 そう言いつつ、お年玉を貯めた預金通帳は印鑑といっしょに、しっかり持ち出してきた。舎監室の金庫に預かってもらえないだろうか。断られたら、そのときはそのときだ。


 小日向の絵は、渾身コンシン込めて修復した。

(もしかして、わたし、修復の才能ある?)

 そのうえ、駅前の文具屋でパウチしてきた。

(完璧)


「ふ」

 達成感に思わず笑みがもれる。


「(お)はよっ。思い出し笑いかよ」

 靴箱のところで、青木に声をかけられた。

「末代まで笑える最強のお守りを手に入れて」

「何、それ、見たい」


「おはよう」

 小日向が来た。

(あ、元気そうだ)

 亜紀は安心した。


「見せて、お守り」

 青木が、まだ言う。

「見ると笑い死にするから、ダメです」


 やり取りを聞いていた小日向が、何とも言えない表情になった。

「それ……」

 亜紀へ、もの言いたげな視線を送ってくる。


(心配しないで。小日向君の画力を公表したりしない)

 亜紀は、ほほえみで答えた。


 

「——おい。あれ、ゆるキャラの着ぐるみからSえすの女王さまが、はみ出てなかったか」

 亜紀の背中を見送った青木が、小日向につぶやいた。

「うん。どっちも彼女だと思うけど、本人は意識してないみたいだ」

「実は腹黒いおまえが言うと説得力がある」

「人物が、できていると言ってくれ」


「それより、変なウワサを聞いたけど」

 青木は、ぐいっと小日向の肩に腕をかけると耳元にささやいた。

「おまえが女子と夏休み、デートしてたって」





 休み明け初日の学校は午前中だけだったから、話は午後に持ち越された。

 9月の日差しは、まだ強い。青木と小日向は、グラウンドの木陰で話を続けた。

 そこだと涼しい。誰にも聞かれる心配もなかった。


「おまえ、気胸ききょうで自宅安静になってたろ。余計なことでわずらわせたくなかったし、じかに聞きたかった」


「御配慮ありがとう。デート? 覚えがないな」

 小日向が首をかしげる。


 夏休み前半のことだ。

 小日向は胸が苦しいと内科に行ったら、レントゲン写真を撮られて、「はい。気胸ききょうですね」と診断された。

 10代後半~20代前半の若者に起こりやすい症例だという。


「初期の気胸だから自然治癒する。ベッドに横になって安静にして。あ。ゲームはしてもいい」と、医師は告げた。

 夢のような安静生活だった。

 欠席することになった〈基礎対策〉のテキストは、ゲームの合間にやった。


「つば広の帽子かぶったあかつきほしの女子とバス通り歩いてたって。スーパーのあたりで、うちのおんから見た報告、受けてる」


「あ」

 小日向は気がついた。


「覚えがあるな」

美馬みまの母上に見られてたのか」

「バス通りから堂々、歩いたら見るだろ。ついに小日向氏にハルが、とか、おんに、しつっこく聞かれて大迷惑だった」


「大丈夫だよ。ぼくは誰ともつき合わない。ここで面倒は起こしたくない。東京の大学に行ってから遊ぶ」

「名門大学を目指す原動力が、それ」

「10代の男子として、真っ当な動機じゃないか。小日向家って本当に面倒くさいんだ。結婚も、どうせ父親に操作される」

「結婚とか、もう考えてるの」

 青木は驚いた。

 たしかに、小日向の家は地元で名士らしかった。


「母が死んだのが36だからねぇ。とりあえず、36までの人生しか考えてない」

「いや、そっから、おもしろいこと、たくさんあるだろ」

美馬みまの36歳。おじさんだな」

「いや、おまえも、おっさんになってるよ」

 しかし、どうせイケメンだろと、青木は口をとがらせた。


「美馬、パパになってたりして」

「お、おう。36歳なら、いてもいいな」

「妻以外の人に子供が」

「……おまえ、想像の世界でオレに道を踏みはずさせるなよ! ならなぁ! おまえも結婚してるよ。パパになってるよ!」

「そうか。楽しみだな」

 他人事のように小日向は言う。


「おまえってさぁ。おまえ自身の願いは、どこにあるのさ」

 青木は、ちょっとイラついたかもしれない。

  

 そのときだ。

 木陰で話し込んでいる青木と小日向のところへ、中等部の男子数人がイモムシのようになって近づいていた。

「おまえ、言えよ」

「おまえ、言えよ」

 イモムシの中には茶道部と剣道部の、小日向と青木の後輩もいた。


「どうかした?」

 気がついた小日向が後輩に、とびっきりの季節の笑顔を向けた。


「あ、あのっ」

 小日向の後輩は遠慮がちに切り出した。

「カンちがいかもしれないんですけど」

「カンちがいじゃねー、だろ」

 青木の後輩が、かぶさってきた。後輩とは先輩に似るものなのか。


「オレら、聞いたんっす。高等部の女子先輩が話してたの。『——本当かどうか、白井亜紀しらいあきに問いただしてみましょうよ。場合によっては許さない』とか、なんとか」

 青木の後輩は女子が言ったというセリフを、声を高くしてしなまで作ってみせた。

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