6  亜紀の両親

 今日は部活のある日だ。


「サチコ、もうちょっとコサチ、胸に抱いて。シーツのしわ、きれいに出して」

 奥山部長が、井上副部長をモデルにクロッキーをしている。その前には写真も撮っていた。

「こう?」

 井上は下着になってシーツを巻きつけていて、抱っこしたぬいぐるみをあやす。


「そのクマのぬいぐるみは?」

 思わず亜紀は聞いてしまった。


「サチコの子供で、コサチ」

 クロッキーの手を止めずに、奥山が答える。

「イメージ映像をお送りいたします」

 井上がコサチを抱いて、その背中をぽんぽんした。


「美術部の部長はね、代々、母子像にチャレンジするの。サチコ、自由に動いてみて」

 奥山の指示で、「コサチ、高い、高い、高ーい」井上はトラバーチン模様の天井に届く勢いで、コサチを放り上げた。


「井上副部長、ブラジャー、見えてます」

 また、亜紀は見かねて口をはさんでしまった。井上は豊満だ。胸の谷間に携帯が楽に、はさめる。


「福田さん、天使役やってよ」

 奥山は福田にも注文をつけた。


「こうですか」

 福田敏子ふくだとしこが井上の足元で、両の膝をつき両手を胸で合わせる。

OKオッケー、かわいい」

 肩甲骨から白い羽が生えていそう。真面目顔の天使だ。


「はい、次のかわいいポーズ」

 福田は立ち上がって、ちょっと前のめりの格好で膝に両手をあてた。


「それは! 悩殺ポーズ!」井上が目をむいた。「今日きょうびの中学生、こわいな」 

 イエローカードを食らって、かえって福田はうれしそうだ。

「父がしまってた昔の雑誌に載っていました」


 どんな雑誌だ。

 その雑誌が入っていた段ボール箱には『資料』と福田の父親の字で書いてあって、ず~っと押入れにあったから、ある日、福田は開けてみたんだという。

 そしたら、そういう『資料』だった。 


「こういうのは?」

 井上はコサチを脇に抱えたままシーツをはだけて、さらなる悩殺ポーズを決める。


「遅れて、すいませーん」

 がら、と閉めていた部室の引戸が開いて、もりさかいが現れた。相変わらず、堺は森の後ろについてくる。と思ったら、堺だけいなくなった。

 がたん。ばたばたばた。

 遠くで、がたーんと物音がした。

「堺くん……、行っちゃった」

 森が、廊下の向こうへつぶやいた。


やつよのぉ」

 井上は眼鏡の奥の目をほそめた。


 亜紀は確信した。

(このヒト、歴女レキジョだ)




 そして、部活動が長引いて、亜紀は寮の夕食開始に遅れた。

 食事開始は、あくまで目安である。全員集まってからという規則ではない。


「ごはん、どする?」

 ご飯担当厨房スタッフが、しゃもじをにぎって待っていた。

ちゅう! ライスで!」

 亜紀は声を張った。しかし、今日も大盛り。

(い、いつまで続くねん。この攻防)


「白井さん、けっこう食べるね~」

 古田が通りすがりに話しかけてきた。


「や、これはっ」

(決して、大盛りにしてって頼んでないっ)


 弁明しようとしたが古田はもう、自分のお膳を片づけて、さっさと向こうに行ってしまった。



「白井さん、いらっしゃい」

 今日、亜紀のお決まりの席のそばには、桐野きりの先生が座っていた。

 ほぼ、食べ終えたのに待っていてくれたようだ。

 すとんと亜紀は桐野先生の隣りに、一人分の間を空けて座った。


(クールビューティー。20代後半? 爪きれい。左手薬指指輪なし)

 亜紀は桐野先生が気になって仕方がない。

(背、高い。八頭身だよ。眼福ガンプク


「白井さん、学校には慣れましたか?」

 絶妙なタイミングで、桐野先生は話しかけてくる。


「慣れたといえば慣れた頃です」

「そう」

「でも、慣れた頃に失敗はするので慣れない方が、いいんです」

「なるほど」

 桐野先生は、ほうじ茶の入ったプラスチックの煎茶椀を口に運んだ。所作が美しい。


「白井さんの好きな食べ物は、何?」

 唐突な質問も必然を感じる。

コメ、です」

 迷いなく答える。が、思い出してつけ加えた。

「おまんじゅうも、好きです」


「そう」

 桐野先生の「そう」は英語の「SO」にも聞こえた。


SOそぅだ、桐野先生の教える教科は英語だった)


「――学校生活でも個人的問題でも、いついかなる時でも。困ったことがあったら、私のところへいらっしゃい。そのための私ですからね」


 亜紀はアジフライを口に入れたところだったので、うなずいて意思表示した。


「明日は、参観日に御両親がいらっしゃるわね」


 (SOそぅだった)


 明日の土曜日は、新年度はじめての参観日。寮生の保護者は午前中に寮の面談もある。

 母を思い出した亜紀は、ちょっと、心がざわついた。





 その土曜日。

 かっちこっちかっちと年代物の柱時計の音は、やけにオーロラ寮のホールに響いていた。

 壁にかけられた小さな聖母の額が、やわらかな影を落とす清貧な応接間で、父母面談は行われていた。


「――亜紀、やれてますでしょうか。引っ込み思案で絵ばかり描いていて、友だちも少なくて。家事の手伝いも何もしてませんでしたから、寮生活なんてやって行けるのか心配なんですけど」

 亜紀の両親が桐野先生と話している。


「寮生は共同生活をするうちに、協調性や積極性を身につけて役割分担し、どの子も居場所をみつけます」

 モスグリーンの布張りの沈みがちなソファーで、桐野先生の長い脚が無駄使いされていた。


「美術部に入ったようですが、中学の時、たまたまコンクールで賞をいただけただけで。勉強もついて行けるのか心配です」

 亜紀の母、紀子のりこが主にしゃべっている。父、圭吾けいごは妻に任せているといった様子だ。


「亜紀さんにはゴールデンウィークも課題をこなしてもらって、遅れている科目を学習してもらいました。国語で学年トップがとれるのですからポテンシャル可能性はあります。こちらも精一杯、サポートいたしますので御安心ください」


「そうですか?」

 紀子は、まだ心配そうだ。


 さっき、圭吾と1時限めの倫理宗教の授業を参観してきた。

 教室後ろの掲示板や職員事務棟なども、しげしげと見て来た。

 公立とはちがう空気感がある気がした。

 普段履かない、よそ行きパンプスで紀子の足の親指の付け根が、ちょっとしびれている。

(今度、デパートに行ったら、靴、買わなきゃ)


 正直、亜紀むすめが編入試験に合格すると、紀子は思っていなかった。

(要領悪いし、成績だってムラあるし)


 絵のコンクールで入賞したことが、合格ポイントだったのか。


 亜紀が「あかつきほしの編入試験を受けたい」と、おずおずと言い出したときは、本気に取らなかった。すると、とうとう、亜紀は圭吾に懇願した。

 亜紀の副担任まで、しゃしゃり出てきた。

「編入試験は12月です。公立高校受験は2月ですから、もし編入試験が残念な結果に終わっても、白井さんなら立て直せます」

 おそらく、亜紀が編入試験を受けたいと言いはじめたのは、この副担任の影響だ。


「通学するには遠くないですか。暁の星って」

(そもそも、なんで暁の星なの。副担任の母校? あぁ、影響、受けちゃって)

 

「暁の星には女子寮があります。保護者の仕事の関係、部活動に専念したい者、さまざまな事情の女子を受け入れています」

 亜紀の副担任は、用意していたような説明をしてきた。


 ともかく、亜紀は編入試験を受けたいと。

(この子、こんなに強情だったっけ)と、あきれるほどだった。

 

 そのうち、圭吾が「受けさせてみよう」と言い出した。

 もし、受かったら、亡くなった母親が亜紀にと遺してくれたものを学費として使おうと。

 女の孫は亜紀ひとりで、圭吾の母は亜紀の誕生を楽しみにしていた。

 結局、間に合わなかったのだけど。


 紀子は、亜紀の受験に後ろ向きだった。

(編入試験に落ちたら、心の傷になるだけじゃないの? 行ける公立を受験しておけばいいのに)

 しかし、亜紀が合格すると、その気持ちは見事に変わった。



 今朝、マンションのエレベーターが降りてくるのを待つ間、同じ階の米田ヨネダさんといっしょになったときのことだ。


「おそろいでお出かけ?」

 スマートカジュアルな紀子と圭吾のいで立ちに、米田さん(推定年齢60)が食いつかないはずはない。


「娘の保護者会で」

 流れで、亜紀が暁の星に編入したことを話した。

「知ってるわ! あの暁の星? すごいわ!」

 米田さんは目を丸くした。

 その年代だと、暁の星は女子の憧れの学校だったらしい。


 紀子は米田さんの驚きっぷりが、とても心地よかった。

「えぇ。私たちは応援することしかできなかったんですけど」


 自分が私立中高一貫校への進学に文句たらたらだったことは、紀子の中で、すっかりなかったことになった。

 なんなら、「私なんて」とマイナス思考におちいりがちな娘を、最初から励ましていたことになっていた。

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