第5話 「小さな変化」
顔を上げて、大広間に戻った。
意外なことにセイディはもうフェリクスとは一緒におらず、ぶすっとした顔で椅子に座ったままだった。周囲には幾人かの姉の取り巻きが困ったかのように少し距離を保って立っている。
(どうしたの、かしら……?)
レティスが不思議に思っていると、セイディ付きの側仕えが慌てたように彼女のもとへとワイングラスを運んでいるのが見えた。奪うようにそれを受け取ったセイディが、入り口で立ち尽くしているレティスに気づいて、彼女を手招く。
(見つかっちゃった。行きたくないけれど、行くしかないわね)
近寄ると、セイディの顔色があまり優れないことに気づいた。令息たちはレティスがセイディの妹だと知っているので、すぐに通れるように場所をあけてくれた。
「どこに行っていたの? まさか、逢引?」
「違うわ」
つっけんどんな姉の言葉の調子で、最高に機嫌が悪いことが察せられた。いつもなら気分を害さないように顔色を窺うところだが、今夜はもう違う。
(じゃがいも、じゃがいも……)
想像したらシュールすぎて笑うかと思ったが、ぐっと堪えて姉に尋ねる。
「どうされたの、お姉様?」
「どうされたもこうされたも、右足を挫いたの。足首が痛すぎて動けないの!」
苛々した様子を隠しもせずにセイディが呟く。
(ああ。そういえば先程……)
躓いたセイディがフェリクスに抱きとめられていたではないか。
さっきはあんなに胸が痛かったが、今は少し疼くだけでやり過ごすことできた。それもこれも、銀髪の青年のお陰だ。
(“ふり”なのかと思ったけど、どうやら本当に挫いていらしたのね)
「最悪。フェリクス様は緊急の用があるとかで呼ばれて行ってしまうし、私ずっとここで座っているしかなかった。世話を焼くべき貴女はふらふらとどこかにいるしね! あ――ほんと、不愉快。靴を脱ぎたいわ」
世話を焼くべきなのは側仕えで、すぐ側に控えているがセイディはレティスに面倒をみさせようと待ち構えていただけだろうに、この言い方だ。
「あ、やめたほうが良いわ。一度靴を脱いだら、足首がもっと腫れてしまって靴が履けなくなってしまうと思うの。家まで我慢してくださらない?」
「な、なによ……、えらそうにっ!」
ぐうの音も出ないセイディがワイングラスを握りしめたが、さすがに自宅のように叫んだりはしなかった。レティスは固唾をのんで見守っている周囲の面々を見渡した。フェリクスが席を外してしまい、当てが外れたセイディは拗ねて、取り巻きに何を頼むでもなくここで座っていたようだ。彼らは紳士だから、淑女である姉に本人の許可なく勝手に触ったりはできない――妹である自分が頼まない限りは。
「皆様のお手をお借りしてもよろしいでしょうか? 姉を馬車まで運ぶのを手伝ってくださいませんか」
「も、もちろん……!」
「セイディ嬢の評判に傷がつかないように数人で手伝うからね」
「使用人に杖がないか聞いてこよう」
「ありがとうございます……!」
ばばっと子息たちが動き始める。
「ちょっとレティス、何を勝手に……っ!」
セイディが何か言いかけたが、レティスが姉を見下ろすと、悔しそうに口を噤んだ。
◆◆◆
何人かの子息たちの手を借りてようやく馬車に姉を押し込み、このまま帰宅することにした。レティスは、馬車に乗り込む前に子息たちを振り返る。
「お手を煩わせてしまって、申し訳ありませんでした」
本来ならばクリスティアーレ家の使用人たちに頼んだほうが良かったかもしれない。だが、子息たちは一斉に首を横に振った。
「紳士たるもの、手伝いをするのは当然だよ」
こうして彼らと話すのは初めてだが、感じが良い人たちだ。顔に自然と笑みが浮かぶと、子息たちの視線がレティスに集中する。
「皆様のお陰で助かりましたわ。姉の代わりに私からお礼を申し上げます」
「本当にそんなたいしたことはないんだよ」
「またなにかあったらいつでも言ってくれ」
口々に熱っぽく子息たちがそんな風に言ってくれたためレティスは素直に受け入れた。
「まぁ皆様……姉のためにそこまで……感謝致します。ではお言葉に甘えて、もし何かありましたらまたお声かけせていただきますね」
「うん。レティス嬢が困ったときでも力になるからね」
「そうだよ! いつでも気軽に声をかけて」
「ありがとうございます――では失礼致します。良い夜を」
ふわりと笑ったレティスが側仕えと共に馬車に乗り込むと、ぶすっとしたセイディがじろりと彼女をみやった。馬車が走り出すと、それまでかろうじてまとっていた仮面がはがれ落ち、口から毒まみれの言葉が溢れ出す。
「さぞ楽しかったでしょうねぇ、姉思いの妹を演じるのは!」
(やれやれ、始まった……)
ぎゃんぎゃんとあることないことを叫ぶセイディの顔を、じゃがいもに置き換える。
『野菜が一生懸命喋ってるって思ったら、腹も立たないでしょ?』
銀髪の青年の声が蘇る。
本来だったら喋っている相手からこんなやり方で意識を逸らすのは失礼な行為にあたるかもしれないが、でも――姉相手ならばもういいのでは、とレティスは考えた。
(確かにあんまり腹が立たない……)
「大体、貴女がいないからこんなに遅くなるまでクリスティアーレ家にいないといけなかったじゃないの! 私に何かあったときのために今後は同じ広間に控えていなさいよ。貴女なんてね、私が婚姻を結ばない限りは婚約者すら見つけることだってできないんだから!」
レティスはぎゅっと手を握りしめる。
姉に言い返そうと思うと、やはり勇気を振り絞る必要がある――が、気分が高揚していた彼女はそれをしてのけた。
「……お約束は、できませんわ」
「は?」
セイディの顔から表情が抜け落ちた。
「もちろん、姉妹ですから出来る限りのことは致します。でも、起こってもいないことのために、お姉様の側にずっと控えているとはお約束できません」
すっとセイディの顔色が真っ白になり、ぎりぎりっと奥歯を噛みしめる音が響く。
「な、なんなの、レティスのくせに……っ! そんな生意気を言って、どうなると思って……!」
どうされるんですか、とレティスは尋ねようと思ったが、その言葉を呑み込む。
それはセイディが何を仕掛けてくるのか怖いと思ったから――ではない。
ただ彼女は、気づいたのだ。
(子供の頃ならいざ知らず、今はもう私達……どちらも大人なんだから……必要以上に怖がる必要なんてなかったの、かも。私の目は曇っていたの、かな……)
屋敷に着くまで、セイディが聞き苦しい罵詈雑言をわめき続けるのをレティスはただ聞き流した。胸のうちには、月光の下、美しく輝く銀色の髪を持つ青年の姿があった。
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