奈落に沈む君を追って⑦

 並行世界との戦闘があったのは白姫しろひめから『因廻いんね』を譲り受け、ほんの数日経った日の放課後のことだ。

 その時は皆が顔を揃えていて、共に白姫の下へと向かう途中だった。


 窓硝子の異変に、いち早く気付いたのはあおだ。彼はいつぞやの穏やかな口調が嘘のような厳しい声音で、日常の崩壊を口にする。



「――窓だ!」



 くれない以外の面々の反応は素早かった。

 事前に戦闘力は皆無と聞いていた彩美あやみ難原なんばら兄妹、山吹やまぶきから即座に離れ、窓硝子といった鏡になり得る存在が一切ない壁際へと寄る。

 彼女は指揮官、目のような役割をしているらしい。


 窓に生じた波紋から、男子生徒が二人現れる。

 彼等は危なげなく廊下に降り立つと、暗い瞳で紅達を一瞥し――襲い掛かって来た。

 彼等の手にはハルバードや柳葉刀りゅうようとうといった、普通に暮らしていれば絶対に見る機会はないだろう凶器の類いが握られ、その切っ先は鈍く光っている。



「『みこと』」


「『田彦たひこ』」



 青とむらさきの呼び掛けに応えたのは、以前にも見た狐の耳と尾を生やした男女だ。彼等はハルバードを持つ男子生徒と対峙し、狐火を放つ。

 あの耳と尻尾は本物なのかとか、火事にならないのだろうかとか、校舎に被害はないのだろうかとか、現実逃避にも似た考えが紅の脳裏を過る。



「――余所見してんなよ、優等生!」



 突然山吹に学ランの裾を引っ張られ、後退させられた。

 ちょうど紅の首筋があった辺りを、大きく振るわれた柳葉刀が通り過ぎて行った。

 目を白黒させている紅を尻目に、どこから出したのか、山吹はゲームに出て来るような大剣で柳葉刀を凌ぐ。


 しかし大剣の輪郭は幾度もぼやけ、一定の姿を保とうとはしない。

 いつ霧散してもおかしくない、まるで夢幻ゆめまぼろしのようだ。



「~っ、クソ! 調べが足りてないってかよ!」



 山吹の叫びを肯定するかのように、大剣は音もなく掻き消えた。

 そこに場違いな程冷静な、彩美の叱咤が響く。



「落ち着いて下さい、吾妻屋あづまや君。知識の少ない曖昧なものを『刹羅せつら』で創り出すよりも、貴方の身近にあるものの方が形は保てるはずです」



「はぁ!? 相手は刃物だぞ、下手なモンじゃ切られるのがオチ――」



 山吹はそこまで言い掛けて、はっと口を閉ざした。

 そして眉間に深い皺を刻むと、心底嫌そうな顔を隠さずに呻き声を洩らす。



「あああ……クソクソクソッ! 背に腹は変えられねぇか……!!」



 言うが早いか、山吹は柳葉刀を持つ男子生徒から距離を取ると、彼の能力である『刹羅』を再度行使する。

 彼の手に現れたのは鉄製の――バットだ。勿論台所用品ではなく、野球に用いるバットである。


 それは先程の大剣とは比べ物にならない程、安定して顕現している。

 バットは金属同士がぶつかり合う鈍い音を立てながら、迫る柳葉刀を受け流した。

 たかがバットとは謂えども、先程の大剣よりは勝機があるように思える。現に純粋な力の差では山吹の方が上なのか、男子生徒は徐々に押され始めていた。



「――彩美!」



 山吹と男子生徒の攻防に目を奪われていた紅だが、紫の悲鳴に慌てて顔を上げると、青と紫が応戦していた男子生徒が、自棄でも起こしたのか彩美に向かってハルバードを放り投げた。


 彩美はその場から微動だにしない。咄嗟のことで動けないのか、はたまた何か手立てがあるのか。

 山吹を窺うが、彼も手一杯のようだ。紅は心の内から突き上げられる衝動に、気付けば駆け出していた。



「門螺さん!」



 駆ける勢いのまま、紅は彩美を抱き抱え、床に押し倒した。

 彩美の胴体があった辺りの壁にハルバードが突き刺さり、伏せる二人に壁の残骸である木片がパラパラと降り注ぐ。



「田彦、今だ!」



「封じろ、命!」



 息の合った双子の掛け声と共に、男子生徒の無防備な四肢が注連縄しめなわで拘束された。

 憎々しげに難原兄妹を睨み付ける彼の瞳からは戦意が消失しておらず、紅の背中をうすら寒いものが走った。



「――喜多見城きたみしろ君。もう大丈夫なので、宜しければ退けて頂けませんか?」



 淡々とした彩美の声が自身の腕の中から聞こえ、紅は今の体勢に思い至り慌てて飛び退いた。

 山吹の舌打ちが聞こえたような気がするが……多分恐らく気のせいだろう。そう思いたい。



「ごっ、ごめん! 重かったよね……!」



「いいえ、此方こそ助けて下さりありがとうございます。それと……貴方はもう少し、物を召し上がった方が良いかと」



 女性から遠回しに『痩せている』『軽い』といったニュアンスの台詞を吐かれ、男としての沽券が傷付いたが――本当のことなので言い返せない。



「――お、らぁ!!」



 まさか怒りを力に変えたのか、山吹がバットを振り切り、男子生徒の手から柳葉刀を弾き飛ばした。

 男子生徒は体勢を崩し、踏鞴たたらを踏んだ。山吹がバットを構え直し、振りかぶる。


 それは男子生徒の側頭部を直撃し、彼はその場に膝から崩れ落ちた。


 紅は山吹が持つバットに決して小さくはないへこみを確認し、まさか殺したのだろうかとぞっとした。



「――心配しなくても、殺しちゃいないよ」



 紅の心を読んだかのようなタイミングで、山吹が呟いた。

 すると注連縄で縛られた男子生徒と、倒れ伏す男子生徒の姿が蜃気楼の如く揺らめく。彼等の姿は蝋燭の炎のようにゆらゆらと揺らぐと、ふっと吐息で吹き消されるような儚さで消えた。

 紅は、その様を唖然と眺めていた。



「並行世界が関わる出来事が、現実世界に干渉することはありません。それが黒姫の力であり、揺るがないことわり



 彩美がちらりと視線を向けた先で、壁に突き刺さるハルバードが消えていく。

 深々と開いた壁の傷も、初めからなかったかのように修復された。まるで、時間を巻き戻しているかのように。



「……喜多見城君、宜しければ貴方のお父様のお仕事について、尋ねてみて下さい。何か、貴方の力になるようなものが見付かるかもしれません」



 彩美が突然、そう口にした。


 紅の祖先は遥か昔、陰陽師の端くれだったらしい。


 それが由縁かどうかは知らないが、代々霊媒師のような仕事をしながら細々と生計を立てている。

 それについては父から話を聞いて知ってはいたものの――彩美にその話をしたことは一度もない。勿論、難原兄妹や山吹にもだ。

 どう言い表しても怪し過ぎる家業を、誰かに話そうなどとは思わなかったのだ。なのに何故、彩美は知っているのか。

 彼女は疑わしい視線を向ける紅に気付きながらも、一切目を逸らさなかった。



「強くなって下さい。どうか、並行世界の者達に負けない位に。どうか――そうあって」











 ようやく、元々の用事であった白姫の下へと辿り着く。

 話し込む白姫と彩美を尻目に、難原兄妹は既に二人の世界だ。

 取り残された紅と山吹は、二組の様子を遠目から見守っている。

 ふと紅達家族三人プラス親戚の赤音と共に、二つ隣の市内に買い物に行った時のことを思い出した。


 服屋で盛り上がる母と赤音。

 女二人の長い買い物に連れ回されて、ベンチに座る疲労困憊の紅と父の男二人。


 そういった類いの、連帯感にも似た一種の共感を山吹に持った。



「……門螺かどにしさんを助けてくれてありがとな、優等生。運動神経が鈍いただの根暗野郎だと思ってたから、正直見直した」



「……君にお礼を言われる筋合いはないと思うけど、素直に受け取っておくよ」



 視線も合わさず、二人して減らず口を叩く。



「じゃあ、僕も言わせてもらうが……君はもっと本を読んだ方が良い。何なんだ、あの大剣。ファンタジーと鍛治師を馬鹿にしてるのか。百科事典でも広辞苑でも、その頭に叩き込むと良い。何だバットって。一昔前の不良漫画か。『武器』という概念の視野が狭いのも、問題だね」



「……あ? それを言うならお前だって、何だあの無様な受身は。門螺さんに怪我をさせなかったのは褒めてやるが……もっと身体を鍛えた方が良いぜ。優等生」



 一拍置いて、二人は笑い合った。矢張、視線は交わさない。

 弾けるような笑い声に、何だ何だと彩美達が視線を向ける。しかし紅と山吹はそれすら構わず、けたけたと年相応に笑っていた。

 彩美がそんな二人に微かに眥を和ませたのを、白姫だけが穏やかに見ていた。



「――吾妻屋君、お願いがあります」



 ようやく笑いの波が収まった紅と山吹が落ち着くのを待つと、彩美が唐突に切り出した。

 改まったそれに、居合わせる者達の顔付きが自然と引き締まる。



「私達を、渾名で読んで貰えませんか?」



「――渾名ぁ!?」



 山吹がずっこけるような動作と共に、呆れた声を上げた。

 表には出さなかったが、紅も内心で同意した。真剣な顔で何を言い出すかと思えば、渾名とは。



「面白いじゃん。良いじゃんか、吾妻屋。減るもんじゃないし、あたし達のことは渾名で呼びなよ」



「吾妻屋に渾名で呼ばせることに何か考えがあるの、門螺さん?」



 殆んど同じ顔が、追従を許さないテンポで会話を押し進める。

 二人のこの息の合ったやり取りには、どう頑張っても勝てそうにない。



「いいえ。私が吾妻屋君から『門螺さん』と呼ばれることに、慣れていないだけです」



「……まあ、門螺さ――彩美、さんがそう言うなら」



「違います」



 照れ臭そうに意中の相手の下の名前を呼んだ山吹だが、髪の毛一本程の隙も与えられずに、食い気味で否定される。

 ……さすがに哀れだ。山吹が見るからに落ち込んだ様子で肩を落とした。



「私のことは『み~ちゃん』。喜多見城君のことは『く~ちゃん』。難原君のことは『あ~ちゃん』。難原さんのことは『む~ちゃん』です」



「……注文が多いな!?」



 好きな女の子相手と謂えど、物申せずにはいられなかったのだろう。

 紅もげんなりとした気持ちを隠し得ない。

 何が嬉しくて同い年でデカい図体の男の、それも恋敵から『く~ちゃん』などと可愛らしい渾名で呼ばれなければならないのか。理不尽にも程がある。


 紅がそう思うということは、山吹の心情とて同様なのだろうが……しかしそれを棚に上げ、紅はありったけの罵詈雑言を、言い出しっぺの彩美ではなく山吹へと向けた。

 勿論、自身の心象を悪くしないよう心の内でだ。



「駄目ですか?」



 普通の少女漫画やアニメならば、ここで『こてん』と首を傾ける動作が入るのだろうが……彩美は一切の表情を動かさず、言葉尻を上げ疑問系にすることでそれをやって退けた。



「……解ったよ、『み~ちゃん』。っていうか、これ渾名で呼ばせんの俺だけなのか!? 他の奴等は!?」



 根負けし、見た目に似合わぬ渾名を口にして喚き出す山吹に、彩美が珍しく、本当に珍しく口の端を持ち上げた。

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