第12話 春馬 ネズミ花火 スチール缶


俺は道路をスポーツサイクルで颯爽と走っていく兄貴の背を見送った。


まだ季節的には夏には、はやいのに、南九州の片田舎は暑かったんだ。


毎年のように、母親が言っている。


ー今年の夏は、暑そうねえ。


ー?


暑くない夏なんて、あるのかな?


って思ってた。


爺ちゃんがいうには、いまは温暖化らしい。たくさんのことが便利になったけれど、異常気象も多くなった。


南九州の片田舎。


となりの県には、第二次世界大戦後、日本の高度経済成長期の負の側面ともいわれる四大公害病のひつとがあるって、俺も小学校で学んだ。


爺ちゃんの友人も何人か、その地域で、働いていたらしい。


ーだってなあ?春馬。


ただ、食べることに、一生懸命だった。


ただ、逃げることに、一生懸命だった。


ただ、ひたすら、耐えた。


ただ、なにもわからずに、


ーなにかを作っていた。


そして、その工程での事故などで、命をおとしたものもいた。


爺ちゃんが俺くらいの頃の話だって、いっていた。


むかしは、俺や兄貴には、くわしく話さなかったけど、入院したら爺ちゃんの性格が、かわっていた。


母親は、ボケたって、言っていた。


親父は、俺に、認知症、だよ?


といった。


昔は痴呆症といわれていた。そう親父は、言っていた。


いまは、


ー認知症、なんだ。


ただ、認知ができなくなる。


いろいろな意味での、認知、なんだよ?


って、すこし寂しそうな、やるせなさそうな目で、自分を爺ちゃんの父親、つまり曽祖父ちゃんとまちがえる、爺ちゃんをみていたんだ。



じいちゃんは、兄貴をみて、親父だと勘違いしていた。


親父の小さいころと勘違いして、話しかけていたけど、兄貴はすこしひきつった笑顔で、なんどかやりとりをして、


ー塾を理由に、母親と帰っていった。


南九州の片田舎。


俺のママチャリだと、とおい病院。エアコンが修理していた。


それでも、窓をあけたら、少しは涼しかった。


晴れた日は、カラッとした、


ー熱風だけど。けど、からっとしている。


あの日、爺ちゃんは、俺を家族の誰とも、認知、しなかった。


俺だけ、認知、しなかった。


ー家族、と。


ただの近所のガキと。


ーもう先にいってしまった旧友たちと、勘違いしていた。


なぜか、その日を思い出して、俺は家の中に入る気になれなくて、玄関に鞄をおくと、裏庭に放しているラッシーのところにいった。


ラッシーが、表に出られないようにしているフェンスを、こえる。


ーああ、そっか。だから、俺はあの避難訓練で、ラッシーの心配をしないのか。


そう納得したんだ。


だって本気をだせば、ラッシーはこんなフェンスで囲われた小さな庭からなんて、あっさり逃げ出せる。


ただ抗いようのない圧倒的な力と思想で、誰もが、なにかがおかしいと、そう思いながらも、必死で生き抜いて、この小さな島国を守ろうと、輸送機に乗り込んだ。


いや、島国に閉じ込められた?


って思ってたら、


爺ちゃんは、痩せた腕で、俺の手を握りしめた。


たった数か月前まで、俺と一緒に屋根で面白がって遊んでくれたのに。


その時は、俺よりも力がつよかったのに。


ーむくみで、前よりもふとくなっているのに。


その手に、いっしょに屋根を焦がした生命力は、もう感じられなかったんだ。


なあ、黄原?


おまえは、もっと俺に怒れっていう。笑えっていう。感情をだせって、いう。


ーけどさ。


ああ、爺ちゃん、も、俺をおいていくんだ。


あの時に、そう思ったんだ。


あの日、ラッシーの生タイプのペットフードを、焼いたら、俺でも食べれるのかな?


そう思って、けど、火遊びも料理も俺は、禁じられていた。


兄貴は簡単な目玉焼きなんかは、作っていたけど、俺がさわらせてもらえたのは、パン焼くときだけ。


オーブントースターで、電子レンジは、触らせて貰えなかった。


親父がスポーツサイクルを買った時みたいに、俺に禁止していた。


お親父が一個一個、これはレンジで使える食器や容器って、毎回、俺と爺ちゃんに言っていた。


爺ちゃんはわかっているって、怒っていたけど、何回か焦がしていた。電子レンジは焦げるんだ。


もっといえば、必ず注意書きを、みないといけない電化製品。


それを俺は、爺ちゃんの失敗から、学んでいった。


だから、火をつかわなかったんだ。


あの日、俺と一緒に屋根にのぼった爺ちゃんは、ラッシーのドックフードが入ったスチール缶から、俺にいろいろと、その方法を教えてくれた。


「かならず大人と、一緒にやるんだぞ?」


そう言いながら、


ー結果として、ラッシーの缶は、ちがう理由でもえた。


そして、母親も、


ーゴジラだったよなあ。


親父はゴジラの燃料がつきたころ、やっと鎮火を目論んだし。


ーあいつは、俺の息子にしては、できがよすぎる。


爺ちゃんが文句をいっていた。


それが爺ちゃんとの最後のイタズラになった。


夏、ラッシー、屋根、そして。


ースチール缶。


俺の脳に刻まれた記憶。


俺は目の前で俺の手をにぎる爺ちゃんを見つめる。


むくんで、ぱんぱんになってしまった手。


あの日、俺に、スチール缶の削り方を、おしえてくれた手。


いつだって、俺のあたまを、なでていたのに。


ーもう、撫でてくれないんだ。


この手をもちあげる元気は、もうじいちゃんには、ないんだ。


そう俺にもわかった。俺は、ただ、爺ちゃんの手を握っていた。


兄貴はさっき、爺ちゃんのといかけに、適当に話をあわせていた。


母親も親父もそうだった。


なのに、こんな、時ですら、


ー俺には、できない。


声がでない。


言葉がわからない。


ただ、黙って、爺ちゃんの話を、きいていたんだ。


そして、爺ちゃんは、ただ泣いた。


ー生き残って、悪かった。


そう泣いていた。


ただ、泣く爺ちゃんのぱんぱんに浮腫んだ手を、握っていた。


爺ちゃんが作っていたもの。たくさんのものが奪われていった時代。


焼け焦げた国を復興させようと、必死に働いた高度経済成長期。


そして、生み出してしまった公害。


ー水俣病。


第二水俣病、イタイタイ病、四日市ぜんそくとおなじく、四大公害病のひとつ。


公害の原点とも、いわれている。


南九州の片田舎の隣のふたつの県。


厳密には、二つの県が被害に苦しめられた。いまでも祖訴訟がおこっている。


メチル水銀化合物に汚染された魚介類を長時間長く食べることによって起きる中毒性の神経系疾患。


狂騒状態で死に至る劇症だけでなく、メチル水銀の摂取量によっては、軽症で慢性型の場合もある。


特徴的な症状として、手足の末端感覚が麻痺する「感覚障害」、視野が狭くなる「視野狭窄症」、言語や歩行障害などの「運動失調」、「聴力障害」がある。


一方、長らくの間、ハンター・ラッセル症候群という水俣病患者中もっとも重篤な患者、いわば「頂点」に水俣病像を限定してしまい、その「中腹」「すそ野」である慢性型や軽症例を見逃す結果を招いてしまったとの批判がある。


親父のスマホでこっそり調べたネットのページのいくつかにそう書いてあった。


そして、その検索履歴をみた親父が、少しこまった顔をしていた。


静かに、俺に言ったんだ。


その病気になっても、いちばんひどい症状しかみとめられなかったから、いまでも声をあげるんだよ?


母親が食べていたなら、胎児も患者さんだった。なのに、なかなか認められなくて。


親父は、俺のあたまに、そっと手を置いた。


だからな?春馬。


ー声に、出していくんだよ?


ー声に、言葉に、だすんだよ?


けれど、その症状が本当にそうなのかの診断は、とても難しいんだと。


その成分が、その高齢化が。いろいろなものが、混在していくんだ。


そしてなによりも、当時も、おそらくは、いまも、きっと差別は、あるんだろう。


自分たちの生活が苦しいときに、つい思って、しまうだろう。自分もそのお金が、欲しいと。


ほんとうの苦しみもわからずに。差別をおそれて、申請もせずに、耐えている人だっているだろう。


あの手帳だって、そうなんだ。


頼むから、とってほしい。もっと、いい治療や生活ができるんだ。


だって、あなたは、まぎれもなく当事者だ。


そう願ったって、


みてきた世界が、違うんだ。もう。あきらめきった瞳が、ただ、悔しくて、哀しいんだ。


自分の感情だけで、哀しむなんて、身勝手なんだ。


そうわかってるのに。


俺は、ぎゅっと手をにぎる。


握れる。


パンパンじゃないから。


だって、親父。


言えない想いじゃないんだ。


爺ちゃんは、認知症になるまで、


ー言わない想い、だったんだ。


言わない、はず、だったんだ。


けど、きっと、それが人間で。


それでも、爺ちゃんは、


ーああ、すまんかったなあ。


そう言って俺の手を握っていた。


なあ?


親父、


あのとき、俺はなんて、声をだしたら、正解だったんだ。


爺ちゃんが、けむりになるって、わかった日。


俺は、ラッシーとひたすら、土に穴を掘った。


このあといろいろあるって、わかっていたから、時間がかかるスチール缶は、用意できなかった。


だけど、ふかく、ひろく、できるだけの穴を、ほったんだ。


そうして、ねずみ花火に、チャッカマンで火をつけた。


シュッって音をたてながら、冷たいような、あったかいような、不思議な温度の土の中を、くるくると火花と煙をあげながら、


ーまわる。


ヘビ花火に、おいかけられるように、ねずみ花火がまわる。


ヘビ花火じゃなく、ねずみ花火かまわって、


ーパンっ!


って、音をたてて、


最後に、


一瞬だけ輝く。


終焉。


火薬のにおいと、たちのぼる煙。


ーああ、じいちゃんは、


どこに、いくんだろう?


俺は、俺の大好きな空に、のぼる白い煙をみていた。


ただ、


ーあえるといい。


逢いたいと願った人たちに。


ただ、


願っていたんだ。


白く青空にのびていく煙に。


ほった土の匂いと、火薬のにおいと、ただ光をめざすようにあがる白いひとすじの煙に。


ただ、


願って、俺は、やっぱり、声をださずに、泣いたんだ。

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