第6話

ヒイラギが手配した2010年代式の代車を自ら配車し、研究所の前につける。大型ピックアップトラックで日本製の車両は、長い年月を走ることで重宝されていた過去がある。現在はそのほとんどが使用されずに焼却を待っている状態であるが、セシリアはこの車がどの会社から配車されたのかについて考える余裕もなく、感嘆の声を漏らしながら車がこちらにやってくるのを見ていた。

ハンドルが器用に動き、セシリアの目の前に止まる。彼女は扉が勝手に開くものだと思い一歩踏み出したが、ふと思い出す。

2010年代の車を自動運転化してリユースしたところで、自動ドアの設備は備わっていない。

久しぶりにドアを開け、やはり運転席に乗り込む。

「少しだけならいいかしら」

彼女は声を漏らすように言いながら、ハンドルを握る。

「自動運転オフ。ここからは自分で運転するわ」

搭載されたAIに話しかけるが、瞬時の反応はない。どうしたものだろうとハンドルから見えるボタンを探してみる。あった。自動運転のオンオフはボタン式になっていた。

「ということは…この車はただ自動運転が搭載されただけで、AIもいないのね」

セシリアはまるでヒイラギかその他のAIがいるかのように車に向けて話しかけてから、自分が本当に一人である事を実感する。アナログの良さは、車に話しかける必要がないことだと改めて感じた彼女は嬉しくなる。

「こっちがアクセル、こっちがブレーキ。他の自動運転車が勝手に危機察知をしてくれるだろうし、余裕ね」

若い頃の自分を振り返るような一つ一つの動作がセシリアには心躍る作業で、彼女はエンジンをかけて研究所を離れる。マイケルがサイドミラー越しに見えたが、こちらのことは見えていないだろう。

「よし、出発。」

誰に向けられるわけでもない彼女の意気込んだ出発コールは、車内に異様に響いた。


40分後、彼女はまだ車を走らせている。

「しまった、完全に道に迷ったわ」

自動運転車は行き先を告げるだけで簡単に到着する。しかしこの車はナビすら搭載されていない。あるのはステレオとセシリアの知らない形のディスクを入れる穴だけ。久しぶりの運転で緊張していた彼女は意気揚々とペダル捌きを披露していたが、道を覚えるのは昔から苦手だったと気付く。

どうしたものかと、一度路肩に停車し考える。道行く際新車は皆目的地へスイスイと向かっている。ウォッチに頼り、車のフロントガラスにそれを射影することも考えたが、アナログ的思考のセシリアにはそのアイデアが気に入らない。

暫く走ってみれば家に着くかもしれないし、そう遠くないはずだ。町並みが同一化され、道の名前を告げる標識のみが昔の産物である区画のせいで、人々は一瞬で道を把握することができない。建物も同じ造りのものばかりになった研究者たちの家は、セシリアからしたら面白くもなんともない。彼女が住んでいるのもそのうちの一つであるが、実家に帰省する度どうしてこんなモノクロの世界に住みながら研究室と家を行ったり来たりするだけの生活が面白いと感じられていたのか、過去の自分に疑問を抱いていた。

「もう少しだけ走ったら」

もう少しだけ走ったらウォッチに助けを請おう。走り回っているうちに面白いものが見つかるかもしれない。明日も研究所で一日中作業が待っているが、今のセシリアはこの状況を気に入ってしまっていて、明日のことなど考えていない。

彼女が再びウインカーを進行方向に倒しながら車を発進させると、目の前の標識に見知らぬ道の名前が見えた。

「チャーネルトン、ね。」

Charnelton St.と記載されたその標識は、他と同じように年月を重ねてぐったりとしているように見えた。ネジが一本緩んでいるのか、左側が傾いている。

「チャーネルトン、いい響き。このまま真っ直ぐ行ってみたら何があるか見てみましょう」

セシリアは目的であるはずの帰宅など忘れていた。自分で車を運転し、こうして寄り道まで出来る車に憧れを抱き始めている。チャーネルトン通りをまっすぐと走り続け、何本もの交差点をそのまま突っ切る。終わりに出た。30番ストリートと交差するところで道が終わり、セシリアは高揚が冷めていく自分にうんざりする。しかし家からは程遠く走ってきたのだし、とハンドルを右に傾ける。

「あら、珍しい」

右折してすぐに、緑が見えてきた。小さな公園が目の前に広がる。セシリアの顔には再度笑みが溢れ、懐かしい木々の香りを楽しもうと車を路肩に停めて降りる。広く土地が使われている公園を目にしたのは数年ぶりだ。

「近くにこんなものがあったなんてね」

休日のプランが立てられる。ここにきて、ポータブルレコードプレイヤーを持って、本も持ち寄って、それからサンドウィッチも手にしながら公園で時間を過ごしたら、どれだけ楽しいだろう。マイケルを誘ってみるのもアリかもしれない。やはりダメだわ、あの人が自然を好きだなんて思えない。ヒイラギをウォッチに転送してこの自然を見せてあげてもいいかもしれない。

ヒイラギについて考える時間が日に日に長くなっていることに気づき、セシリアは公園に向かって微笑む。

「ここは私の秘密基地ね。」

そうして彼女は歩き出す。足で草を踏む音、木々の擦れる音、風が吹けば落ちた木の葉が目の前を通ってゆく。まだ木々が完全に木の葉を落としてはいないが、葉が元いた場所から覗くのは夜空だ。こうして体全体で自然を感じて、自然と共に生きた人々のことを回想する。どれだけ気分の良かったことだろう。子供たちが公園で走り回り、泥まみれになったり、木の枝を見つけては振り回したりする。そんな情景がセシリアには見える。

ゆっくりとベンチに腰を下ろし、暫くの間そうして自然を楽しむ。風の音が心地良い。寒さなどとうに忘れたセシリアの体は興奮で熱っていて、夜空を見上げながら、鼻歌を歌う。

自然を感じる力は、動物にしか備わっていない。どのように感じ、どんな風に伝えるのか、言語を持ち会話するのは人間にしかできない。他の動物はきっとそれぞれのやり方で伝聞しているのだろうが、人間には人間に備わった言語がある。そして、それをセシリアは毎日人工知能に教えている。だが、自然を感じ言語化させることは果たして、できるのだろうか。自然とともに生まれ育ち、感覚を持ち、実際に体験して芽生える感情という不確定なものを、彼女はヒイラギに埋め込もうと日々模索している。そこに答えがあるのだろうか。ヒイラギもまた、色々な情報を元にそのうち、人間のような感情を抱くようになるのだろうか。もしそうだとしたら、ヒイラギはその感情という新しいデータへどのように反応し、どのように他の人工知能へ教えるのだろうか。

仕事を終えてもこうしてヒイラギや研究について考えている自分に呆れながら、セシリアは元来た道を戻り始める。草が靴に擦れる音がする。自分が歩いている証拠。夜空を見上げれば、そこには無数の星がこちらを見ている。この胸に高まる感情を、ヒイラギはどう処理するのだろうか。

ふと我に帰り寒さを覚えたセシリアは、小走りで車へ戻りドアを開ける。エンジンがゆっくりとスタートすることを確認してから、ウォッチに道順を教えるよう指示をしてから運転して帰路につく。

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