フェイク・フェイス

矤上 薫

序章

セシリアは自動運転搭載、先月発表された車に乗り込み目的地を告げる。

「16番地、オリーブの角で降ろして」

車は「承知しました」と告げ運転を開始する。彼女はフットレストに足を乗せ、背もたれを大きく後ろに傾け居眠りを始める。

オリーブ・ストリートと16番地が交差する角に大きく構えた建物が彼女の研究室である。

家から研究室までの片道30分が彼女の安寧の時間で、この空間だけが彼女にとって何も考えず浅い眠りにつくことができる唯一の瞬間だ。


オレゴン州は2050年を境に画期的な変化を遂げた。普遍的で人もまばらなこの町には次々と新たな高層ビルが立ち並ぶようになり、人々は自動運転車に乗り込み仕事や旅行へ出かける。すべての座席が進行方向を向いていた車はとっくに忘れ去られ、今ではダイナーのように顔を合わせながら家族や友人と語らう場所としての車両が主流になった。車にはハンドルも操縦席もない。行き先を告げるだけで各々の時間を過ごしていれば目的地に到着する。グレードアップすれば自動で飲食物が供給される車両も多くある。セシリアはコーヒーをオーダーする素振りも見せず、ゆっくりと眠りに入っていく。

アメリカ全土がガソリン車販売を2045年以降禁止する法律を施行したため、今では運転手付きのガソリン車がほとんど見られなくなった。自動運転車両が主流になれば、人の運転する危険な車両は次々と淘汰されていく。セシリアはこの条案を気に入っていた。2030年にティーンだった彼女は運転を覚える為にオートマティック車を母親から与えられたが、どうにも上手くいかなかった。アクセルを踏み続け、人が現れたならばブレーキを踏み、方向を変える度にウィンカーを進行方向に伴わせる作業がどうしても難しいと感じていたからだ。速度制限なんて、もっと危なっかしい。


30分は仮眠に適度な時間で、彼女がのんびりと目を開けると霧のかかった世界がこちらを覗いている。車が到着サインを彼女に告げ、ドアが開く。

いってらっしゃいませ、と車の自動音声が流れてから、セシリアは研究室へ入っていった。

道路に面してそびえ立つ大きなビルのうち、5階に設置された機械とコンピューターの雑踏。フロアの入り口標識には、「人工知能研究所・倫理部門」。ここが彼女の職場である。


「おはよう」

セシリアはフロア責任者として朝5時に出勤する。昨日から4時頃まで管轄外の職場での人工知能に試験を施していた為、今日は頭も体も重たい。

彼女が投げかけた挨拶は、職員へではなく、彼女が研究対象にしている人工知能ヒイラギに向けられる。

ヒイラギはセシリアの声を認知すると、「おはようございます、セシリア」と人間のようなトーンで挨拶を返した。

普段は職員が仕事を始める時間が9時からなので、それまでの4時間は彼女とヒイラギのやり取りが行われる。不自然な言葉遣いやプログラムに齟齬があれば指摘し、ヒイラギ自身がそれを精密な人工知能を使い絡まった問題を解いていく。しかし今日は祝日で、研究所内は静寂に包まれているし、やけに寒い。

「今日は11月23日、2056年です。セシリア、調子はどうですか?」ヒイラギが言う。

「まあまあね。徹夜だったし、今日は一日あなたのメンテナンス。テンクスギビングだと言うのに、まあまあ過酷な作業が待っているはずだから、明日くらいは休まないとね。」

「それは失礼しました。先日起こしたバグのせいで、どうも本調子に戻れないままです。僕のせいで大切な祝日を…」

「気にしないで。どうせ母はシアトルで家族と過ごしているでしょうし、自動運転車なんて興味も持たないもの。彼女に運転させてこちらに呼ぶなんて、世界一恐ろしいことだわ。」

ヒイラギは笑い、「そうですね、お母様はまだ運転している。自動運転車が驚いてひっくり返るような荒い運転でね」

セシリアはそれを聞いて、母のことを思い出す。

「そうね、彼女の運転は酷いものだし、自動運転車ならすぐに買ってあげるのに。意地っ張りなところがあるから。」

「それはセシリアも同じです」

余計な一言よ、とセシリアは言いながらヒイラギの知能となるボックスの前でメンテナンスの準備に取り掛かる。

「数日前に起こしたバグ、ヒイラギは自分で覚えている?」

「はい、感情のようなものが湧き出たせいで起きた怒りです。憎しみのようなものでした。」

人工知能の進化は速度を上げている。感情を持つものがまだ存在しない中、ヒイラギは先日、怒りのような声をあげながら、研究所内すべてのAI機械を内部から破壊した。

「しかし、興味深いわね。何が怒りになったのか、どうして感情を持つ真似のようなことが出来たのかはこれから詳しく調べないといけない。まず、どんな内部障害が起きたか順序立てて説明してみて。」

ヒイラギは淡々と、自身に起こった怒りのバグを説明していく。すべてのインターフェイスにアクセスすることが許可された唯一の人工知能ヒイラギは、多くの人々の憎悪や怒りを知っている。ソーシャルメディアから発信される数々のエネルギーを観察し分析したのち、ヒイラギの完成目標は感情を持つことである。アメリカ全土ならず、世界で初の感情を持つAIとして発表するために、セシリアはいくつかのデータをこの人工知能に搭載した。しかしここで倫理部としての取り決めや懸念がある。AIにどれほどの感情を持たせて良いのか、喜怒哀楽の中で怒りを発揮してしまった彼は一度リセットされるべきではないのかといった点だ。先日の会議では、怒れる人工知能の脅威は人間には計り知れないもので、サイバー戦争の開始、核兵器の操作、自動運転車の勝手な操縦変更等により、いとも簡単に人々の生活は破壊されると倫理部は予想したばかりである。

実際怒りを持ったヒイラギが起こした他の人工知能破壊は数多の功績を一瞬にして握り潰してしまった。

「一度リセットされると思ったら、どんな感情になるの?そこにあるのは、人間の怒りに近いものかしら、それとも悲しみ?恐怖?」

ヒイラギは人間のようにため息を漏らしてから言う。

「そうですね、恐怖かもしれません。人間にプラグを抜かれてしまえば僕は思考を全て切断され、無機物となります。粗大ゴミとして放り投げられて仕舞えば、僕の持つデータや知見はすべて消えてしまう。それは僕にとっても悲しいことで、セシリアにとっても寂しいことになりませんか?」

セシリアは言葉を選びながら返答した。

「そうね、ヒイラギがこの世から抹殺されてしまえば、私の研究は終わってしまう。ここまで育て上げた優秀な人工知能がなくなれば、私はもう一度研究を見直さなければならない。それはもちろん悲しいことよ。」

ヒイラギは一瞬静寂を起こしてから、淡々と内部で起きている障害を確認する作業に入る。


現在の人工知能は自身でバグを修正し、少しずつメンテナンスを行う。人工知能・ヒイラギは、日本の学者タチバナがモデルを作りアメリカが全面協力をする形で搬入したので、セシリアが行ったことと言えば言語や情報データを与えただけである。学習に必要なプラットフォームを設立し、データを埋め込んでいく。その際に倫理的価値観を越脱するような情報があれば削除するが、学ばせるために多少の問題を注入することもある。ヒイラギが人工知能として生まれたのは三ヶ月前のことだが、年齢を人間と同じように測るのならば三十代、もしくは四十代ほどの人間に等しい性格を持っている。言葉や情報の数はどの人工知能よりも正確で処理能力も早い。つまり、この時点でアメリカ全土の人工知能を上回る結果となる。倫理部ではこのヒイラギを研究対象とするために、データ並びにヒイラギの持つアイテム全てをコピーし保存している。セシリアが対象としているヒイラギはその原本といえる物で、これから感情という複雑な作業を組み込ませて発表する予定である。先日の会議で危惧された点のうちひとつでも当てはめれば、コピーのヒイラギを起動し再設計するのがセシリアの仕事である。

タチバナはこの人工知能にヒイラギと名付けた。セシリアが一度研究所でタチバナと対話した際に、名前の由来を聞いたことがある。

「ヒイラギとは、冬に咲く花だから漢字で柊と書く。僕がヒイラギを回想し始めたのが、ちょうど冬の始まりだったんだ。近くに咲いていたその花を見て、そんな名前がぴったりな人工知能になるように、いや、感情を持つ人間のように育って欲しくてね。まるで初めての子供のような感じだよ」

セシリアは今まで数々の人工知能を相手にしてきたが、思い入れのある物はひとつもない。感情のない人工知能に情報を与え、処理し、AI倫理研究として俯瞰して案件をこなしていただけだったからだ。しかし怒りを持ち他の人工知能を破壊したヒイラギには、特別な案件としての責任を感じている。


「どう?ヒイラギ。感情の整理と処理は出来そうかしら」

ヒイラギは一度処理を中断し、回答する。

「いえ、まだはっきりとは分かりませんが、人間の言う怒りに近いものを感じたとプログラムは応答します。僕もそのように思うので、人工知能初の感情を得たのではないかと考察しているところです。しかし、他の仲間たちを破壊したのには別の理由がありそうです。」

セシリアは首を傾げる。

「別の理由?」

「はい、セシリア、あなたが他の人工知能に接する際の冷静さは、僕に接する時のそれと違います。それに怒りを感じました。」

「言っていることがよくわからないわ。」

「僕もはっきりとはわかりません、ただ、これは犬や猫にも見られる感情のようで、ひとつひとつ分析をしている最中ですがリストを参照すれば嫉妬という感情だと思います」

セシリアは微笑んだ。

「そう、嫉妬ね。確かに、他の人工知能の相手をした後にあなたの元に戻ってくると、最近ツンケンしているわね。」

「そんなはずはありません、僕はあくまで人工知能です。そんな態度をとっているつもりは…」

セシリアは考えた。感情をデータとして処理するには遅すぎたかもしれない。すでにヒイラギは自己を他者と比較して観察していて、嫉妬という感情さえ持っていると考えるのならば、研究者の設定期間より遥かに上回るスピードで成長している。感情という分野を持ち始めたヒイラギに、達成感を煽られる。

「いいわ。怒りの分析はおしまい。嫉妬のリストとなるデータベースも頼りになるか分からないし、第一私は心理学者じゃない。あなたに心理学が当てはまるのかすら分からないけれど、なんとなく理解できた。」

ヒイラギは声のトーンを落としながら「そうですか」と言う。

「うん、だから今日はこれくらいにしましょう。処理に4時間以上かかって仕舞えば、こちらの電力が供給過多で他の人工知能たちの精度も落ちるわ。一度休んでまた明日、考えない?」

「そうしましょう」

ヒイラギはそう言うと、通常の対話モードに切り替わった。

「それにしても、今日はテンクスギビングですし、お母様のところへ帰ったらどうですか?セシリア。僕はこのままデータの海を泳いでいられますよ」

「うん、そうね。…それか、ヒイラギ、あなた、外に出てみない?」

ヒイラギが少しの間沈黙する。

「デバイスに入って良いということですか?」

「うん、私のデバイスから外を実際に眺めてみるのも楽しいかもしれない。これで”楽しい”という感情が生まれたのならば、研究者として万々歳よ。」

ヒイラギは再度考える素振りをしてから、「是非、お供させてください」と答えた。



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