【祝70PV】となりには、妖精がいる
おくやゆずこ
第1話 人間と妖精が手を取り合った日
レストは、自分のことを幼いなりに妖精の中でも舌の肥えた妖精だと自負していた。実際、彼は生きてきた三十年と少しの間で、さまざまな料理を食したことがあるし、料理の腕も申し分ない。けれど、今日この日、その考えが覆ることになった。自分の知らない、美味しいものがこの世にあることを知った。
「えー、本日は、我々人類と、妖精が友好を結ぶ、歴史に残るであろう記念すべき日でございます」
髪の薄い、人間の総理大臣が堅苦しく言った。びっくりするほどお高い、良く言うと高級志向なホテルのレストランで行われる、豪華な会。丸テーブルにかかっているテーブルクロスの光沢でさえも、美しく見える。さぞ高い物を使っているのだろう。
参加者は人間側、妖精側の主要人物の他に、抽選で選ばれた一般の客も多くいる。人間と妖精が入り混じっていて、今妖精たちの目の前には人間の用意した美しい料理の数々が並べられている。よだれが出るような美味しそうな料理。それを我慢できるほど、レストは大人ではなかった。実際、三百から四百年生きる妖精の中で、ほんの数十年しか生きていないレストはまだ幼子のようなものだ。
白い髪を揺らしながら、まだ妖精の代表が挨拶もしていないというのに料理を口に運んだ。まず一口目。それはサラダだった。新鮮なレタスがシャキシャキと音を立てる。レストの長くとがった妖精特有の耳がぴょこんと跳ねる。かかっているドレッシングのその見知らぬ味に、レストは歓喜した。テーブル・マナーのわからぬレストはそれを素手で食べるものだから、ドレッシングのおかげで手はベトベトだ。妖精の伝統衣装であるケープが汚れようとも、気にしない。側から見れば子供が遊んでいるようにしか見えない。けれども、レストはそれを気にしていなかった。なかなか強いメンタルの持ち主だ。
「それでは、それを祝して祝賀会を始めたいと思う」
年を何百年と重ねているのであろう妖精の代表挨拶をする。その間も、レストの口の中はサラダでいっぱいだ。
「見て。あの子、もう食べてる。まだ乾杯もしていないのに」
「しかも、人間のマナーを守っていないわ。私たちは覚えてきているのにね。これじゃ、妖精が野蛮な生き物だって思われちゃう。やぁねえ、汚いわ」
レストの様子を見た他の妖精が、ヒソヒソと何やら陰口を言っている。当然と言われれば、まあ当然である。
「でもあの子って、妖精側の料理チームの一員でしょ。ほら、この後に料理作る係の」
人間が先に料理を振る舞い、後から妖精が締めの料理を振る舞う。それがこの祝賀会の流れだ。料理を人間に振る舞う妖精たちは、自分たちを「料理チーム」なんて自称していた。その名称は、妖精の間で広がり、しばしば世間話のネタになった。
「まあ、もしかして最年少で料理チームに選ばれたって噂の子?」
「そうそう、でも、違うかもしれないわ。なにせ、あんなのだもの。フフッ」
ヒソヒソ話をしていた綺麗に着飾った女性の妖精からの嘲笑。けれどもレストはなにを言われようとも口を動かし続ける。むしゃむしゃもぐもぐ、とにかくたくさんの料理を味わいたくて口を動かした。
「それでは」
人間の総理大臣と妖精の代表がグラスを持つ。会場にいる全員の目線は一斉にそこへ向けられ、皆グラスを持つ。レストも慌ててグラスを持つ。隣に座る人間の少女がグラスを持っていないどころか総理大臣と代表の方を見ていないのを見ると、乾杯だよ、と小声で教えてやった。
少女は無気力に、どうでもいいかのようにグラスを持った。会場の中で、不思議と彼女だけがつまらなさそうにしていた。少女は一般参加の人間のようだ。おおかた、来られなかった家族の代わりなのだろう、とレストは推測した。そして、不思議に思った。こんなに美味しい料理があるのに、なぜ彼女はこうもつまらなさそうにしているのだろうか。
「乾杯」
この言葉を皮切りに、報道陣が一斉にシャッターを切る。歴史に残る瞬間なのだから、と、それを切り取るのに夢中だ。一方レストは料理に夢中だった。すっかり空っぽになったサラダの皿。海を感じさせる、彩りの良い魚料理。スパイスの効いた肉料理。どれもこれも魅力的で、レストは目を輝かせた。その時だった。
「……もう見てられねえ、すまん、少しいいか?」
「料理長!お疲れ様です!」
口と手をベタつかせながら、レストはやってきた料理長に敬礼をした。本人はキリリとしているつもりのようだが、口周りがテカテカしているものだから、なんとも面白い状態になっている。
「レスト、お前なぁ……」
「料理がおいしいです料理長!」
「知ってるよ、そんなことは報告しなくていい」
料理長が頭を抱えた。人間で言うと四十ほどの年、実年齢で百四十という年を重ねている彼でも、無邪気すぎるレストの手綱を握っておくことは不可能だ。
「お前、ちょっと来い」
「えっ、いえ、料理長、ぼくはまだ食べ足りません!」
「いいから!その汚えツラなんとかしてやるから!痛え、暴れんな!大丈夫だって、ちょっとだけだからな!」
むんずと掴まれて、レストは抵抗した。食べ物に対する執着なら、レストの右に出る者は人間でも妖精であろうともいないだろう。しかし、抵抗は虚しく、料理長の怒りの雷を落とされることとなった。
(あ、笑ってる……?)
かくしてレストは説教をくらうはめになってしまったが、料理を見ようと横目に自分の座っていた丸テーブルを見ると、気がつけば、無表情だった少女の口角が少し上がっていた。ひらひらと手を振ると、少女が手を振り返してくれた。
(あの子、こうやって笑うんだ)
少女の笑顔を見つめていると、料理長から「なににやけてんだ」とゲンコツを落とされた。
「人間のマナーはわかったか」
料理長が真面目な顔をして言う。
「わかりました料理長!」
軍人のようにレストは料理長に向かって敬礼をした。
「じゃあ最終テスト。レスト、これはなんて言うんだ?」
レストが無邪気な笑顔を見せながら手を挙げる。
「フォークです料理長!」
正解。料理長は頷いた。
「どんな風に使うんだ?」
「食べ物を突き刺してこんな風に食べます!」
ジェスチャーをしながらレストが大口を開けて食べる真似事をする。少しよだれが出ているのを指摘され、慌てて拭き取った。
「ようやく普通に食えるようになったな。まったく、お前は手がかかるなぁ」
「料理長!」
またもやレストは手を挙げる。
「普通って、なんですか?ぼくら今まで、手で食べても怒られなかったです!」
無邪気な笑顔でそんなことを言う。料理長にとって答えを出すのは難しいことだった。
「まあ、あれだ。今日から、人間に合わせなきゃならんからな。人間にとって、妖精や魔法はイレギュラーだ。そうだ、人間の言葉で、いい言葉がある」
「なんですか料理長!」
レストが目を輝かせた。
「郷に入っては郷に従え。他の奴らのテリトリーに入ったんなら、そこの奴らのルールに従えってことだよ」
「ふぅん」
「自分から聞いておいて、なんだその態度は」
明らかに料理長は呆れている。
「そうだ、せっかく席を外したんだ。ちょっと全体を見てみろ、特に同族を重点的にな」
わけがわからない。レストはそう思ったが、とにかく辺りを見回してみた。
「みんな笑ってます」
悩みに悩んで、出した返事はこれだった。また叱られる。レストは身構えた。
「レスト」
「はい!」
「大正解だ」
「……へ?」
驚きと不思議さでレストの身構えていた顔が緩んだ。なかなかマヌケな顔になった。
「いいか、お前の仕事はなんだ?」
「え、えと、料理を作ることです料理長!」
「違う」
今度はチョップをくらわされた。結局怒られるんじゃないか。レストは頭をさする。
「お前の仕事は、笑顔を作ることだ。……なかなかクサいセリフだがな」
そう言われて、レストはハッとした。自分もあんなに笑顔だった。それは、周りの妖精も同じじゃないか。
「ぼく、人間を笑顔にしたいです!人間が、妖精を笑顔にしてくれたみたいに!」
レストの瞳にシャンデリアの光が映る。まるで、レストの心の輝きを表しているかのように。レストは決意した。必ず、この会を成功させる。料理チームの名にかけて。妖精の名にかけて。
「上出来だ、レスト、大きくなったな。ゲキラにも見せてやりたかったよ」
「ゲキラって、ぼくのおかあさん?」
料理長はハッとした。
「そうか、お前、母親を覚えていないんだな。しょうがないよな、あいつが死んだのは、お前がこーんなに小さい頃だったもんなぁ」
手で自分の膝ぐらいを指す。そんなに小さくなかった、と抗議するレストを見て、つい料理長の中で笑いが爆発する。笑いすぎて、ゲホゲホ、と咳をした。
「実はそんなもんだったんだよ、お前が知らないだけで」
「嘘だよ、嘘。だってぼく、こんなに大きいんですよ?」
「そりゃあお前がたくさん飯を食ったからだ」
その言葉に、レストがまた紫色をした瞳を輝かせる。なにも知らぬその何も描かれていないキャンバスみたいな瞳は、まっすぐに料理長を映した。
「料理って、すごいんですね!」
「そりゃそうだろ」
料理長は得意げな顔をした。自身が誇りを持っている料理を褒められたのだから当然だ。
「ぼくも誰かを成長させたいな」
「そっちかよ」
レストは理不尽にもまたチョップを受けた。頬を膨らませてむくれる。精一杯不満を表してみたが、どうやら相手にされていないようだ。
「ま、席に戻ってこい。せいぜい楽しんでこいよ。時間はあまりないからな」
ドン、と背中を押されて、レストは前につんのめった。また少女がくすりと笑う。レストと少女の目が合う。
「へへ」
レストはぎこちなく笑って見せたが、少女はふいっと顔を背けてしまった。少し気まずい時間が流れた。
「座ったらいいのに」
少女が初めて口を開いた。ショートカットの髪が艶やかで、その憂いを帯びた瞳が気になって、レストは動けないでいた。
「座ればいいのに」
「あ、うん」
「これ、あげる」
ようやく腰をおろしたレストに、少女が自分の皿をずずいと差し出す。料理はまだたくさん残っている。
「くれるの?いいの?なんで?」
「なんで、と来たか」
少女は少し考えるような仕草をした。
「君が食べてる時、楽しそうだったから」
「ほんと!?ありがとう!君、名前は?」
レストが少女に顔を近づける。が、近い、と一蹴されてしまった。
「ヒナタ」
面倒くさそうに少女が答える。
「フジワラヒナタ。私の名前、だけど別に覚える価値もないよ」
「ヒナタ、ありがとう!ぼくはね、レストって言うんだ」
言い終わると、レストはヒナタからもらった料理を目一杯頬張る。ヒナタがため息をついたのも気がつかないほどに、夢中になっていた。もうすぐ妖精の料理チームが招集されるのも知らずに。
「……スト、レスト、おい、聞こえてんのか?」
「わっ!なんでしょう料理長!」
ヒナタからの料理が半分くらいになった頃。もらった料理を一心不乱にかきこんでいると、料理長に声をかけられた。あまりにも夢中になりすぎていてレストは気がつくのが遅れた。慌てて後ろを向こうとすると、急ぎすぎたあまりに椅子ごと倒れる。ふかふかの敷物越しに硬い床に頭をぶつけ、じんわりとした痛みがレストの頭を伝った。痛みに耐えながらも機敏な動きで立ち上がり椅子を元に戻す。
「そろそろお前の出番だぞ」
「ほんとですか料理長!」
出番。つまり、妖精が料理を振る舞う番だ。レストが待ちに待った時間が、ついにやってきたのだ。やる気と期待がレストの体を満たす。
「あ、でもこのお肉食べるまで待ってください料理長!」
「馬鹿かお前は。さっさと行くぞ」
レストは本日何回目かのゲンコツをくらわされた。さっき打ちつけてしまった頭に響く。
「ひどい!悪魔!魔王!料理長!」
「料理長はただの肩書きだろ、お前罵倒の語彙に乏しいな」
料理長とレストは厨房へ向かう。厨房には、多くの妖精が集まっていた。皆、この日のために集められた精鋭だ。
「わあ、こんなに設備が揃っている!」
「もう私たちの出番なのね」
「お前ら。騒ぐな、静粛に」
わあわあと騒ぐ妖精たちの口を閉じさせたのは、料理長の一声だった。
「いいか、お前らに課す任務はただ一つだ」
料理長がシンクに手を叩きつける。バァンと大きな空気を掻っ切るような音が、妖精たちの背筋を伸ばした。
「人間、妖精問わず笑顔を作れ。いいな?」
皆の答えは一つだった。
「はい!」
その後の動きは、さすがプロと言ったところだろうか、皆連携の取れた無駄のない美しい動きだった。レストも一生懸命に、蝶より花より丁寧に(といっても、あんまりチンタラしていると料理長に叱られてしまうから大変だ)調理した。メニューはお腹に優しいスープとデザート。三日三晩じゃ足りないほど、長い時間をかけて考案したものだった。妖精の伝統料理であるそれは、きっと人間のお腹を満たして幸せを作るのに申し分ないと、皆が確信していた。
「できた、できたぜ!」
「完成ですね!」
だから、料理が完成した時は皆歓喜した。手を取り合って、きゃいきゃいと喜びを分かち合った。料理長も、それを止めることはしなかった。
「よし、料理の説明はレスト、お前がしろ」
「いいんですか料理長!」
返事の代わりに料理長はふっと微笑んだ。いよいよ、待ちわびた時間がやってきた。
「えと、みなさま、これは妖精からの料理です」
会場の全員の目の前には、草原の色をした、花びら浮かぶスープと、青く爽やかな色をしたりんごのデザートが置かれた。
「これは、花の蜜のスープと、えと……、ブルーアップルという、魔力のつまったりんごのデザートです」
途中危ういところがあったものの、なんとかレストは自分の仕事をまっとうした。妖精の参加者たちが、期待に満ちた瞳でそれらを腹の中に入れていく。各々、それはもう素晴らしい笑顔で、レストもつられて笑顔になった。
「これは、駄目かもしれんな」
しかし、レストの気持ちとは逆に、料理チームたちは不安に駆られていた。レストがよくわからない、という目で料理長を見る。
「レスト、人間を見てみろ」
「え……?」
料理を目の前にした人間たちの反応は、すこぶる悪いものだった。眉をひそめる者、そっとカトラリーを置く者。皆怪訝な顔をしている。見たことがない料理たちに、皆警戒して食べようとしなかった。
「あれ?」
レストは会場を見回した。
「ぼくたち、間違えちゃった?」
レストの瞳から輝きが消える。間違えてしまった。こんなはずじゃなかった。何を間違えたのか?レストの頭の中をそんな考えがぐるぐる回る。それは皆同じで、料理チームの誰もが、諦めかけていた。ただ、笑顔を見たかっただけなのに。そんな時だった。
ヒナタがおもむろにスープ皿を持った。そして、ゆっくりと口に運ぶ。草原色に輝くそれを、味わって、静かに飲み込む。ぽつり、と彼女が呟いた。
「美味しい」
その言葉で、状況は一変した。まず、ヒナタと同じテーブルを囲む人間が、恐る恐る皿に手を伸ばす。
「あれ、意外にいけるじゃないか」
「この青いりんご、苦いけれどクセになる味だよ」
そしてそれは他のテーブルへと伝っていって、最後には全員の人間が妖精の作った料理を食し、笑顔を見せるようになった。妖精たちが見たかった光景が、今、目の前に広がっている。
「こりゃあ、あのお嬢ちゃんに救われたなぁ」
なんて言いながら、料理長が頭を掻く。こうして、祝賀会は成功に終わることとなった。
「あのさ、えと、ありがとう」
「何に対して?」
祝賀会も終わり、テーブルの上は綺麗に片付けられ、各自解散となった頃。レストは、ヒナタの元へと向かっていた。
「おいしいって、言ってくれたからだよ」
「別に。……こちらこそありがとう」
表情筋を全く動かさずにヒナタは言う。
「美味しいって思ったの、久しぶりだったから」
ヒナタが少しだけ微笑む。その顔を見て、レストの胸にはあたたかい感情が生まれた。
「あのさ!またいつか、ぼくの料理を君にまた食べてほしいな。友達として!」
少しヒナタが驚いたような顔をする。
「いいよ」
「じゃあ、約束ね!」
「わかった」
そう言うと、ヒナタは小指をレストの小指に絡ませた。
「なあに、これ」
「約束する時、人間はこうやるの」
「そうなんだ、人間って不思議だね」
「案外そうでもないよ」
薄い微笑みをたたえたヒナタの唇を見ながら、レストも微笑んだ。また、この顔が見られますように。小指に込める力を、レストは少しだけ強めた。
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