魔界王女と第十話


「犬山ッ! もっと早く押しなさいッ!」

「任せなッ! ダクネスちゃんッ! おりゃおりゃーッ!」

「アハハッ!」

「楽しそうだな、あいつら」

「ふふっ。そうだね」


 俺達は今、屋外エリアにある流れるプールで流れに身を任せ、揺蕩っていた。

 浮き輪に座っているローザを牙央が押して、どんどん俺と親鳥から離れていく。


 牙央は周りの人にぶつからない様、器用に間を縫っている。


 ローザは太陽に負けないぐらい、輝くような笑顔を浮かべていた。

 機嫌が直ったようで良かった。


 だが。

 俺達の間には妙な気恥ずかしさが流れ、こうして互いに距離を取っていた。


 間接キスに加え。

 俺の頬に付いたアイスを指で取ってから、その指に付いたアイスを舐め取ったり。


 ローザが指を咥え、抜き取った指から唾液が橋を作る。

 此方を向き、舌で唇を湿らせると妖艶に微笑むローザ。


 て、何考えているんだ俺はッ!


 クソッ! 大体こんなことしてローザは、何とも思わないのか?

 俺の事なんて、道端の石ころにしか思っていないのか?

 だからあんな事しても平気なのか?


 ……俺の事、少しは意識しろよ。

 突然、胸がチクりと痛んだ。


 何だ? 俺はローザに、そういう目で見てもらいたいのか?


「……くん……結城くんっ。聞いてるの結城くんっ!」

「……え? あぁ、すまん。もう一度言ってくれ」


 と俺が沈思黙考していたら、隣で浮き輪で浮いている親鳥に、声を掛けられていた事に気づく。その大きな胸は、浮き輪の上に鎮座していた。


「だから、私の事。どう思っているの?」


 いきなりどうしたんだ親鳥。


「どうって。そりゃあ、大切な友人だと思っているが」

「……そう、だよね。……じゃあダークネスロードさんの事はどう思っているの?」

「え?」


 ローザの事か。

 そんなの唯の同居人……のはずだ。

 なのに何故だ? 最近ローザの事を考える度に、この胸を締め付けられるような感覚は。


 まさか本当に俺はローザの事を……?


「……唯の同居人だ」

「……そっか。……うん。分かった。――私、絶対に結城くんの事、取り返すからね」

「ん? 最後何か言ったか?」

「えっ。な、何も言ってないよっ! き、きっと空耳なんじゃないかな?」

「そうか」


 親鳥がそう言うならそうなのか。


「何よアンタ達。まだこんな所に居るの? 遅いわね」

「……ゼェ……ハァ……ゼェ……ハァ……」


 すると後ろから声がして、俺達は振り返る。

 そこには、余裕の表情のローザと疲労困憊の牙央が居た。


「遅いってお前……。別にこれは順位を競っている訳じゃないぞ?」

「そうだよ。ダークネスロードさん」

「そうなの? まぁ良いわ。じゃあ次はアレに行きましょう」


 ローザが指さす先には、高い場所から二人乗りの浮き輪を使って、一気に滑り降りるウォータースライダーがあった。





 ***





「「結城くんユウトッ!! どっちと一緒に滑るのよッ!!」」

「えーっと……」


 ローザと親鳥が声をハモらせ、俺に詰め寄る。

 俺達はウォータースライダーの前に来たのだが、そこで問題が発生した。

 そう、誰が一緒に乗るかだ。


 ん? 牙央はどうしたって? あぁ、アイツなら俺達の荷物が置いてある場所で、今頃休んでいるさ。


 なんせ、ローザを押す為に水の中を駆けずりまわったのだ。普通に走るのと違って、水の抵抗を全身に受ける為、何時も以上に疲れるというもの。


 な訳で。こうしてローザと親鳥、どっちが俺と一緒に滑るか揉めているのだ。


 ……どうするか。

 滑る時に浮き輪を使うので自然、互いの肌が触れ合う訳で……。


 あの時の所為で、ローザとの間には妙な気恥ずかしさがあるし。

 かと言って親鳥と一緒に滑るのは危ない。

 なんたってあのエベレスト級の胸の持ち主だ。


 あの胸が高校生男子である俺の身体に触れるのは、毒というもの。

 主に下半身に。


 じゃあ、一体どうすればいい?

 ……あ。


「そ、そうだッ! ローザと親鳥、二人で滑れば良いんだッ!」

「「それは駄目ッ!!」」


 俺の提案は一刀の元、二人に斬り捨てられた。

 取り付く島も無いってか。

 くっ。どうする? どうすれば良い?


 俺と一緒に滑るのが確定事項なら、どっちと一緒に滑れば良い?


 必死に頭をフル回転させ、俺は遂に一つの答えに辿り着いた。


「……じゃんけんだ」

「「じゃんけん?」」


 二人は同時に首を傾げる。


「そう。じゃんけん。勝った方が俺と一緒に滑る。どうだ?」

「……良いわ。その勝負、受けて立とうじゃないッ!」

「……うん。その勝負、乗ったよ」


 ローザと親鳥は向かい合い、拳を握り締めた。

 バチバチと火花が散りそうになるほど、二人は見つめ合う。

 やがて……。


「「最初はグー。じゃんけん……ポンッ!」」


 互いにチョキを出した為、引き分け。


「「あいこで……しょッ!」」


 今度は、ローザがパー。親鳥がグー。

 よって勝者は、ローザ。


「やったわッ! アタシの勝ちねッ!」

「……負けちゃった」


 ローザは両手でガッツポーズを取る。

 親鳥は肩を落とす。


「あはは。……それじゃあ、結城くんとダークネスロードさん。楽しんできてね……」

「……分かったわ。一番はアタシが貰うけど、その次に滑らせてあげても良いわよ。姫奈」

「ッ!? ……良いの? 私は負けたのに?」

「えぇ。勝った方が一緒に滑るとは言ったけど、負けた方とは一緒に滑らないとは言っていないしね。でしょ? ユウト」

「え? あぁ、そうだな……」


 言ったけど……。でもそれは屁理屈じゃないか? ……いや、どっちかとしか滑らないのは可哀想だな。


「良いの? 結城くん?」


 そんな捨てられた猫みたいな顔するなよ。くそ。女の子にこんな顔させるなんて駄目だな。


「良いに決まっているだろ? それに親鳥とも一緒に滑りたかったしな」

「ッ! ……ありがとう」


 といって親鳥は優しく微笑んだ。


「それじゃあ行くわよユウト」

「分かった」


 俺は深紅のツインテ―ルを靡かせて歩く、ローザの後を追う。


 不味いな。結局二人と滑ることになってしまった。

 持ってくれよ。俺の身体。


 俺は係員から二人乗りの浮き輪を受け取り、ローザと共に列に並ぶ。

 並ぶこと数分。

 遂に俺達の番が来た。


 ローザはといえば、先程から俺の左腕に掴まっている。

 その膝は笑っていた。


「なんだ? 高い所が苦手なのか?」

「う、うっさいわねッ! 誰だって苦手なものぐらいあるでしょッ!」


 そうだな。


「ほら。早く浮き輪に乗れよ」

「わ、分かってるわよ」


 ローザは俺に抱きつくようにして、浮き輪の後ろに乗った。

 華奢で柔らかいその身体は、小刻みに震えている。


 そんなに高い所が怖いのか。

 ふと、ローザの事を守らないといけないという感情が湧き上がり。気が付けば、ローザの手を優しく握っていた。


「大丈夫だ。俺が付いているから」

「……うん」


 しおらしい返事が耳元で聞こえ、ぎゅっと俺の手を握り返してくるローザ。


「それじゃあ行くぞ?」

「……うん」


 俺達を乗せた浮き輪がゆっくりと滑り出したかと思ったら、一転して速度が増す。


「きゃぁぁぁぁぁぁッ!?」

「うおッ!?」


 ローザが俺に強く抱き付く。

 控えめな胸が、背中に押し当てられた。


 布一枚越しとはいえ、その感触は生々しいもの。

 心臓の鼓動が速くなる。


 と大きな水飛沫が上がり、ウォータースライダーが終点に着く。

 頬の熱の所為で、被った水がより一層冷たく感じる。


「……平気か?」

「……だ、大丈夫よ」


 俺達はその場から離れ、浮き輪を返却した。

 そのまま、親鳥のいる所に戻る。


「……なんで、手を繋いでいるの?」

「え?」

「ッ!」


 とそこで今までずっと、ローザと手を繋いでいたことに気が付く。

 ぱっとお互いに手を離す。


「い、いや。これはだな。ローザが如何やら高い所が苦手みたいで……それで少しでも安心させようとしてだな……」

「そ、そうよッ! アタシ高い所、苦手なのよねッ!」

「そう……なんだ。……それじゃあ私とも手を繋いでくれる? 私も高い所、苦手ななんだ」

「……分かった。……ッ!?」


 親鳥はそう言うと、ローザと手を繋いでいた――右手を握り。俺の腕をぐいっと引っ張って、自身の胸に当てた。

 むにゅっと柔らかい感触が、腕を包み込む。


 ローザの感触が親鳥の感触に上書きされる。

 理由は分からないが、その事に少し残念だと感じる自分が居た。


「早く行こう? 結城くん」

「あ、あぁ」


 俺はその感触を意識しない様にするが、それがかえって感触を強く意識してしまう。不味いな。このままでは俺の聖剣(意味深)が抜刀してしまう。


 煩悩を抑え込むために俺は、自身の太腿を抓って、痛みで煩悩を掻き消す。

 親鳥は友人なんだ。そんな友人に欲情するなんて、最低だぞ。

 落ち着くんだ俺。深呼吸だ、深呼吸。


 ひーひーふー。ひーひーふー。

 てこれはラマーズ法じゃねえか。


 気が付けば、ウォータースライダーに並ぶ列の先頭。つまりは俺達の番が回って来た。腕の拘束が解かれ、俺は安堵の溜息を吐く。


「よし。俺達の番だな」

「うん」


 俺は浮き輪の前に乗り、親鳥が後ろに乗る。

 ふにゅんと背中に柔らかいものが押し当てられた。

 ヤバい。これはさっきよりも刺激が強い。


 目で見えない分、感覚が鋭敏になって鮮明に胸の感触が感じられる。


「どうしたの? 結城くん」

「な、なんでもない。……行くぞ」


 耳元で親鳥の声がさえずる。

 俺達はゆっくりと滑り出し、一転して速度が上昇。


「きゃぁぁぁぁぁぁッ!」

「おぁッ!」


 親鳥の胸が強く押し当てら、思わず変な声が出てしまう。

 ヤバイヤバイッ!

 やわらかい。ふわふわ。むにむに。


 と過熱する思考を冷ます様に、水飛沫が頭に掛かる。


「結城くん。怖か――」

「――さ、さぁ早く出よう。次の人の邪魔になるし」

「あ、うん……」


 これ以上は俺の身体が持たない。

 素早く親鳥から離れる。


 ローザと合流した後、俺はトイレに行く。

 個室に入り、気持ちを落ち着ける。


「……ふぅ。危なかったな」


 もう少しで聖剣(意味深)が抜刀するとこだった。

 いや、抜刀しかけたか。

 だが、何とか耐える事は出来た。


 暫くして気持ちを落ち着けた俺は、ついでに用を足してからトイレを後にする。





 ***





 たつのこリゾート内にあるフードコートで昼食を終えた俺達四人は、アスレチックエリアに来ていた。


「よぉしッ! 四人で競争しようぜッ!」

「良いわよッ! 掛かって来なさいッ!」

「怪我するなよな」

「私も負けないからね」


 俺達四人の前には、水に浮かぶ不安定な足場。頭上には格子状に編まれた縄があった。縄に掴まりながら、不安定な足場を進むアトラクションだ。


「それじゃあ、行くぞッ! ……よーい、ドンッ!」


 牙央の掛け声で、俺達は一斉にスタートした。

 俺は一つ目の足場に乗る。

 うおッ!?


 意外とバランスを取るのが難しいな。

 だが、コツを掴めば簡単だ。

 よッ!


 二つ目の足場に乗った。

 横目に他の三人の様子を伺う。


 ローザはもうすでに三つ目の足場に乗っていた。

 牙央は苦戦しつつも二つ目の足場にいた。

 親鳥は未だに一つ目の足場に居た。


 本当。親鳥って運動が苦手だよな。

 よし。ここはアドバイスの一つでもしてやるか。


「親鳥。もっと力を抜くんだ」

「う、うんっ」


 親鳥は俺の助言に従い、力を抜く。

 すると今まで、グラグラと揺れていた足場が安定する。


「その調子だ」

「うんっ」


 やがてゆっくりと次の足場に乗った。


「あとはそのまま進めばいいだけだ」

「あ、ありがとう結城くん」

「どういたしまして」


 言って視線を前に向ける。

 そして――。


「――ふふんッ! どう? アタシが一番よッ!」

「よッ! さすがダクネスちゃんッ!」

「オー、スゴイナー」

「ハァ……ハァ……」


 ローザが一番に着き、ドヤ顔で胸を張り。

 二番手の牙央が、拍手をしておだてる。

 俺は三着で、棒読みで返事を返す。

 最後に着いた親鳥は、息も絶え絶え。


「という訳でッ! ダクネスちゃんッ! もう一回勝負だッ!」

「望むところよッ!」


 といってローザと牙央の二人は再びスタート位置に戻って行った。


「大丈夫か? 親鳥」

「……駄目かも」

「なら、あっちで少し休むか?」

「うん」


 親鳥を伴って、俺は近くにあったベンチに向かう。


「ほら、飲み物だ」

「ありがとう」


 俺は最寄りの自販機で買ったスポーツドリンクを、親鳥に手渡す。

 ゴクゴクと、スポーツドリンクを飲む親鳥の隣に座る。


「……ふぅ。元気だね、二人とも」

「本当だよ。子供かっての」

「ふふっ。私達もまだ子供だけどね?」

「そうだったな。……なぁ親鳥。ソレ、貰って良いか?」

「え? う、うん……」

「さんきゅ」


 親鳥から受け取ったスポーツドリンクを、喉を鳴らして飲む。


「……ふぅ。ありがとう。ほら、返すよ」

「う、うん……」


 親鳥にペットボトルを返す。

 と、そこで俺は重大な事をしていた事に気づく。

 間接キスだ。


 そのことを謝ろうにも、ここでそれを言ってしまえば、俺が変に意識していると思われかねない。

 チラリと親鳥の様子を盗み見る。


 親鳥はペットボトルをじっと見ていたかと思ったら、口に運んで一気に中のスポーツドリンクを飲み干した。


「……ふぅ。コレ、ゴミ箱に捨てて来るねっ!」

「おう……」


 ベンチから立ち上がり、急ぎ足でゴミ箱に向かう親鳥。


 俺はベンチに深く凭れ掛かり、天を仰ぎ見る。


「……ふぅー」


 如何やら、間接キスの事には気づいていないらしい。

 なんだ。俺だけか。このことを気にしているのは。


 そうだよな。確か前には、俺にあーんして来てたしな。

 きっと気にしていないのだろう。

 何より、俺と親鳥は友人同士じゃないか。


 友人同士がこんなの気にしてたら可笑しいよな。

 なのになんで俺だけ、こんなにドギマギしてるんだよ。


 きっと夏の熱気に、浮かされているからに違いない。


 それに俺はローザの事が……。

 




 ***





「……すぅ……すぅ……」


 ひぐらしが鳴く、茜色に染まった空。

 俺は眠ったローザを背負って、家路を歩く。


 無理もない。たつのこリゾートであんなにはしゃいだんだ。

 相当疲れたに違いない。


 かく言う俺も疲れてるし。


「……んっ……ゆうと……」

「ん?」

「……だいすき……むにゃむにゃ」

「ッ! ……て、何だ。寝言か……」


 大好き、か。

 俺はローザの事をどう思っている?


 嫌いではない。寧ろ気に入っている。

 だけどそれは、ライクであってラブでは無い筈だ。


 ……けど。最近はそうじゃない気がして来ている。

 でも。それを認めてしまえば、この関係はきっと壊れてしまう。


 それが怖い。怖くて仕方が無い。

 だから俺は……。


 と、我が家に着いた。


 遣戸を引き、玄関に入る。

 ローザをゆっくりと降ろし、壁に寄り掛からせて編み込みのサンダルを脱がす。


 玄関に足が付かない様に上げ、俺も靴を脱ぐ。

 今度はローザを、お姫様抱っこで抱えて部屋に運ぶ。


 布団に寝かせ、ローザを見下ろす。

 白いワンピースの胸元が、ゆっくりと呼吸に合わせて上下している。


 俺は徐に、ローザの深紅のツインテ―ルの片方を手に取った。

 サラサラと指の隙間から零れ落ちる髪。


「……ローザ」

「……んぅ……」

「ッ!」


 髪を触っていた手を素早く引っ込める。

 バレたか?


 ローザは身体を捻り、寝返りを打った。

 何だよ。びっくりさせるなよ全く。


 念の為、ちゃんと寝ているか確認する。

 よし。ちゃんと寝ているな。


 確認が取れた俺は、改めてその言葉を呟いた。


「……どうやら俺は、お前の事が好きらしい」


 その言葉は、伝えたいのに伝えられない。

 俺の本当の気持ち。

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