魔界王女と勇者の末裔

百鬼アスタ

第一章 魔界王女とホームステイ

魔界王女と第一話


 俺は平穏で平凡な、普通の日常が好きだ。

 朝起きて飯食って学校行って。学校帰りに時折、友人と遊んだりして。


 そんな代り映えしない、普通の日常が好きだ。

 だと言うのに。


 目を覚ましたら、俺の身体を跨いで仁王立ちしている少女が居た。

 見知らぬその少女は、俺が通っている高校のグレーのブレザーを着ている。

 そしてこの角度だと丁度――。


「やっと目が覚めたようね。人間」

「――黒、か……」


 赤いチェックのスカートから覗く、神秘の布が丸見えだった。

 見る見るうちに、熟したリンゴのようになっていく少女の顔。


「……ヘ、変態ッ!!」

「ふごッ!?」


 俺の顔を黒ニーソックス越しの足で踏みつけた来た。


「……って~な。なにすんだよ」

「なッ! 何ってアンタがアタシの下着を覗いたからでしょッ!! この変態ッ!!」


 再び少女が踏みつけてくる。だが俺は片手でその足を掴んで押し返す。


「きゃッ!?」


 よろけた少女は布団に尻餅を付く。

 俺は起き上がり、まだ痛む鼻を擦った。


「痛ったいわねッ! 何するのよッ!」

「それはこっちの台詞だ。パンツを見せびらかしといて。覗いた? あれはお前が見せ付けてたんだろ」

「なッ!」

「変態? それはお前だろ。こんな高校生男子の部屋に入ってきて」

「ッ!」

「……ていうかどうやって入って来たんだ? それにその制服。お前は誰だよ」

「黙って聞いていれば……見せびらかしただの、変態だの……。いいわッ! アンタとアタシの格の違いって奴を教えてあげる」


 言って少女は立ち上がると、腰に手を当てて肩に掛かった深紅のツインテ―ルの髪を掻き上げる。


「――刮目しなさいッ!! アタシの名前はローザディア・ダークネスロードッ!! 魔界を統べる王、魔王の娘よッ!! そして今からアンタはアタシの下僕よッ!!」


 ビシッと人差し指を突き付けてポーズを決める、赤髪の少女。

 これはあれか? 中二な病気か? こいつは痛い子ちゃんなのか? 


 だが目尻の吊り上がったその金の瞳は、嘘を付いている様には見えない。

 ダークネスロードに魔王の娘、ね……。


「……で? 魔界の王女様は何しに人間界へ?」

「留学よ。人間界のことを知るために、アンタの通う学校に転校生として入ったわけね。そしてアンタの家はそのための活動拠点よ」

「マジ?」

「えぇ。マジよ。というかご両親からは何も聞いていないワケ?」

「あー」


 両親と言っても、母親は俺が産まれて間もない頃に亡くなっている。父親と言えば、仕事で世界中を飛び回っていて家にはほとんど帰ってこない。

 だったら親父。連絡の一つぐらい寄越せよ。全く。


 俺は布団の横に置いてあったスマホを取って、親父に電話を掛けた。


「……もしもし。俺だけど」

『おー! 優人かッ! 珍しいなお前から連絡してくるなんて! どうしたんだ?』


 スピーカーからは、親父の陽気なバリトンボイスが聞こえてくる。


「あのさ親父。家に魔王の娘とか言っている痛い子ちゃんが押しかけてるんだけど。これ、マジの奴?」

『あーその話か。そう言えば言ってなかったな。マジだぞ。マジマジのマジだ』

「だったら連絡寄越せよ。まったく」

『すまんすまん。勇者の仕事が忙しくてな』


 勇者。そう親父の仕事とは勇者だ。

 漫画やアニメみたいな話だが、この世界の裏では百年前までは人と魔が戦争をしていた。そしてその戦争を終わらせたのが俺たちのご先祖様だ。


 以来、俺たち結城家は人と魔の仲介者にして、人類最高戦力として活動してきた。


「あんまり無茶するなよ。もう歳なんだからさ」

『そうだな。ならそろそろ勇者の座を優人に渡そうかな?』

「あー。やっぱ親父にはまだまだ無茶してもらおうかな~」

『うえ~ん。優人ちゃんが苛めるよ~。しくしく』


親父は声を高くして言った。 


「気持ち悪いから泣き真似は止めろって」

『ハハハ。辛辣だね優人は。……だけどいつかは優人だって勇者になるんだよ?』

「……それは分かってるって」

『……優人はさ、昔から争いごとが嫌いだったよね?』


 真面目さを帯びる親父の声音。

 たしかに俺は争いごとが嫌いだ。一つのパンを巡って争うぐらいなら、俺はパンをソイツにあげる。


「何だよ急に」

『自分が手に入れたいモノや、守りたいモノの為には時に争う事も必要なんだよ』

「……それは」


 言いたい事はだいたい分かる。でも俺は出来る事なら争わずに解決したい。


『おっと。もうこんな時間だ。じゃあまたな優人。健康には気を付けるんだぞ?』

「あぁ、うん。親父もな」

『おう。じゃあまたな』

「うん。じゃあまた」


 そこで電話が切れた。


「さぁ、これで分かったかしら? アンタはアタシの下僕だという事に」

「……はぁ~」

「何よ。溜息なんか吐いちゃって」

「何ってお前のせいなんだがな」


 魔王の娘と一緒に暮らすとか、勘弁してくれよ。

 これじゃあ平穏で平凡な、普通の日常を送れないじゃないか。


「どういう事よ」

「自分のその薄い胸に聞いてみるんだな」

「なッ!? こ、この――」


 ぐぅ~。

 言い終わらない内に、ローザディアの腹の虫が鳴く。


「……そろそろ朝飯にするか」

「~ッ!」


 ローザディアはスカートの裾をぎゅっと両手で握り締め、耳の先まで真っ赤になっていた。





 ***





 俺たちはちゃぶ台を挟んで向かい合っている。

 ちゃぶ台の上には二人分の朝食が並んでいた。

 焼き鮭にだし巻き卵、ほうれん草のおひたしにご飯とレタスの味噌汁。


「……いただきます」


 手を合わせ、命に感謝する。


「なによ、それ」

「ん? あぁ、人間界。いや日本ではこうして食べる前に、命に感謝するんだよ」

「へ~。そうなの。……いただきます」


 ローザディアは見様見真似で手を合わせた。

 それを横目に俺は味噌汁を啜る。

 あぁ、ほっとする味だ。日本人に生まれて良かったと思える瞬間だな。


 次に焼き鮭に手を付け、身を解して小骨を取り除く。一切れの身を口に入れ、ご飯と一緒に咀嚼し、嚥下する。絶妙な塩味が効いていて美味い。


「よくそんな棒切れ二本で食べれるわね」

「こんなの慣れだよ。……ほらまず、こうやって持つんだ」

「こ、こうかしら?」

「違う違う。こう持つんだよ」


 俺はローザディアに近付き、その白く細い指に触れる。


「ちょッ! ちょっとッ!!」

「教えてるんだからしょうがないだろ? 少し我慢しろ」

「……ッ!」


 そうして何とかぎこちないながらも、モノを掴めるようになった。


「おーそうそう。上手い上手い」

「ふんッ! 当然よ。これくらい」

「さすがです。王女様」

「ふふん。褒めたって何もでないんだからね?」


 薄い胸を張り、ドヤ顔を決めるローザディア王女殿下。

 もっと胸があれば迫力が出たんだがな。残念だ。


「ん~ッ! このダシマキ? ていうの美味しいわね」

「そうだろ。これはな? 隠し味に刻んだネギを入れてあるんだ」

「アンタ料理上手なのね? なかなかやるじゃない」

「有難うございますローザディア王女殿下」


俺は恭しくお辞儀をする。 


「ぷっ! アンタにその言葉遣いは似合わないわね。アタシの事はローザって呼びなさい。特別に許可してあげる。感謝しなさい下僕」

「俺の事は下僕なんだな」

「当然でしょ。アンタはアタシの下僕なんだから」


 ふんッと薄い胸を張るローザ。その胸は相変わらず残念なままだった。





 ***





『うん。じゃあまた』


 優人の声を最後に、オレは通話をオフにする。


「……なぁ、勇者よ」


 威厳あるその声に振り返れば、赤い月を背後に竜骨の玉座に座る男が視界に入った。


 燃え盛る炎の様な深紅の長髪に、短く尖った耳。瞳孔が縦に割れた金の瞳を縁取る目尻には、朱が差している。そして左右の側頭部から生える、漆黒の角。さらにはマントの様に身体を覆う竜の翼に、尻から生えた竜の尾が足元で揺蕩う。


 極め付きは同じ五十代とは思えない、若々しい彫りの深い顔。


 当代の魔王――ディブロア・ダークネスロード。


「どうした。魔王」


 対してオレは、まるで南国帰りの観光客のよう様相を呈している。


「お主の息子は我の娘の事を思い出せるのか?」

「なんだよ。我の娘はお主の息子になんかにくれてやるもんかー! て言ってたくせに」

「む。お主が言ったからではないか。親なら子を信じて願いを叶えてやるべきだと」

「そうだな。……まぁ、優人なら絶対に思い出せるさ。ここぞという時はやる男だからな」

「なぜそこまで言い切れるのだ?」

「それこそお前が今言ったオレの言葉通り、オレは優人の事を信じてるからさ」


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