魔術師の日常 後編

 ――精霊だ。

 間違いない。


 地の精霊は好んで哺乳類の姿を取ることで知られており、特にネズミは下級の地霊がとる姿の代表格だ。

 しかし、ようやく下級の地の精霊が俺の呼びかけに答えてくれるようになったのか。

 思えば、けっこう時間がかかったな。


 さて、なんで俺が下級の精霊を呼び出すのに成功して喜んでいるかというと……。


 そもそも、俺は神であったりとんでもなく格の高い地の精霊の祝福を受けている。

 だが、この手の格の低い地の精霊と話をするとき、それが不利に働くのだ。

 要するに、俺が声をかけると体に染みついている上位存在の気配に精霊がビビッて逃げてしまうのである。


 なので、俺の気配に慣れて声をかけても逃げないようにするまで儀式を繰り返すという作業が必要だったのだが……ようやく報われたってことだな。


 むろん、上位存在の名において下位の精霊に命令を下すことはできる。

 基本的に今使っている精霊魔術は全部そんなやり方だ。


 だが、そう言うやり方はブラック企業を思い出すのでどうしても嫌なのである。


 しかし……今日は師匠に良い報告が出来そうだ。

 結界を張って儀式の邪魔をしそうな精霊が入り込めないようにした甲斐があったというものである。


「ありがとう、善き精霊よ。

 クッキーはたくさん用意してあるから、心行くまで楽しんでいってくれ」


 俺はクッキーの小瓶を開くと、その瓶ごと祭壇の中に置いた。

 すると、ゴトンと大きな音がして、祭壇から大人の拳よりも大きな白い石が転がり出る。


「えっと……もしかして、くれるのか?」

 俺の問いかけに、精霊はチィッと機嫌良さそうな声をあげた。

 おお、まさかお礼の品まで貰えるとは。


 これ、たぶんコモンオパールだな。

 コモンオパールとは、虹色に輝かないタイプのオパールの事だ。

 そのぶん色にバリエーションがあって、これはこれでなかなか綺麗なものである。

 透明度の高いものは特にジェリーオパールと呼ばれることもあるらしい。


 あ、そうだ。


「せっかく来てもらったんだし、一つ手伝いを頼んでもいいだろうか?

 この貰った石を綺麗に研磨しようと思うんだが」


 すると、それは良いと言わんばかりにテンションの高い声が帰ってくる。

 よし、さっそく今日の授業の内容が活かせそうだ!


 さて、まずは状態の良い部分だけを切り出す必要があるな。

 精霊が手伝ってくれているので、まるでバターのように石を切ることができる。

 この手の細かい術は、下位の精霊にお願いして発動したほうが色々と使い勝手がいい。


 言うなれば、普段の俺の魔術は台所に出たGを一匹抹殺するのに軍の派遣を要請するようなものだ。


 さて……研磨についても少し語らせてもらおう。

 あまりピンとこないかもしれないが、大きな原石があるからといって、そのまま大きな宝石に出来るわけではない。

 と言うのも、天然の石は中に穴や亀裂が入っているのが当たり前だからである。

 なので、適当に切ると……。


「あ、ダメだ。

 カットした面に大きな穴が開いてる」


 俺がカッティングした石の表面には、見過ごせないほど大きな欠落があった。

 これじゃ綺麗な形にできない。


 そう、綺麗な形でカッティングをしたいなら、亀裂や穴のある部分を避けてカットしなくてはいけないのだ。

 後から欠けた部分を削ろうにも、全体のバランスがゆがむのは避けられないし、そもそも穴が大きくて削った程度ではどうにもならない事もおおい。


 透明な石ならばともかく、これが不透明な石ともなればもはや天に祈りながら削るしかないのだ。

 皹や内包物が多い石の代名詞であるエメラルドなんて、今の俺からすると悪夢でしかない。

 あれは熟練の職人だけが手を付けて良い代物である。


 あー、これどうしよう?

 ある程度の皹や欠けは妥協するしかないのかな。


 そもそも、俺は素人だし。

 どこをカットしたら綺麗な面になるかなんてわかんないよ。


 すると、突然石の一部が光りだした。

 おや、全体が光っているわけではないな。


「もしかして、ここをカットすればいいの?」


 俺の問いに、精霊が頷く。


「よっし、じゃあ改めてカッティングしてみようか」


 精霊の助言に従って切り取ると、こんどは綺麗な面があらわれた。

 いいね!

 滑らかに切り取られた面は艶々として、白くて半透明なこの石の魅力を存分に引き立てる。


 さて、格段の進歩はあったものの、まだ一面を削っただけである。

 カッティングの作業はむしろこれからなのだ。


「えっと、まずはこのぐらいの大きさの四角形に切り出そうと思うんだけど」

 返事のかわりに、再び宝石の一部が光りだす。

 よし、この光に沿って削ればいいってことだな。


 いい調子だぞ……ん?


「あ、こんどはちょっと傷が残ったな」

 見れば、カットした表面に芥子粒よりも小さな傷がある。


 すると、精霊のおもむろに近づいてきて、石の破片を拾い上げた。

 そして石の欠けた部分に、その破片をあてがう。

 

「あ、傷が消えた……」


 さすが地の精霊。

 感心する俺の視線の先で、小さなネズミの姿をした精霊が胸を張った。


「いや、すごいね!

 ……って感心しているだけじゃ作業が進まないな」


 石を切り出した俺は、荒いやすりで大まかな形を整える作業にはいる。

 まずはその尖った角を削って、全体に丸みをつけるのだ。


 ……おや?


「なんか増えてる?」


 気が付くと、周囲に真っ白な動物たちが群がっていた。

 兎、子犬、猫、栗鼠やモモンガ、蝙蝠までいるじゃないか。

 これ、全部地の下級精霊!?

 たぶんご近所の地の精霊大集合だな。


 しかし、ここまで数が増えるとクッキーの量が足りない。

 せっかく来てくれたので、ちょっとおもてなしさせてもらおうか。

 俺は厨房から卵と牛乳を強奪し、時間がないから手抜きではあるが簡単なクレープを大量に焼いた。

 むろん、ジョルダンの分も忘れない。

 さっきからひもじそうな目で訴えかけていたからな。


 さて、焼きあがったクレープにジャムをそえてお茶と一緒に出せば、誰が合図するわけでもなく動物たちのお茶会が始まる。


「これは……モフモフ天国!?」

 声がしたので振り向くと、それは様子を見に来た師匠だった。

 あ、鼻血を出てる。


「はいはい、体に悪いからお部屋に戻りましょうね。

 あと、精霊さんにおさわりは禁止ですよー」


「だ、ダメよユージン!

 離しなさい!」


「師匠、貴方の拙い触り方でモフったら、精霊に祟られちゃいますよ?」


「祟りを受けてもいいからモフリストの本分を……」


 意味不明な事を言って暴れる師匠を無理やり寝室に押し込めると、俺は気を取り直して作業を再開した。


 鑢の目を徐々に細かなものに変えて仕上げの段階にはいると、石の表面は鏡のように艶々に輝き始める。


 その美しさに思わず手を止め、精霊たちと一緒にホゥッとため息。

 出来上がったのは見事なカボションカットの裸石だった。


 その時、カタンと硬い物が転がる音が聞こえる。

 見れば、他の精霊たちが色とりどりの石を取り出して、なにやら言いたそうにしているではないか。


「これ、君たちのお気に入りの石なんだね」

 そう尋ねると、精霊たちが一斉に頷く。

 どうやら、これも磨いてほしいという事だろうか。


 苦笑しながら石を手に取り、俺はふたたび石を磨く作業に入る。

 最初に手に取ったのは、緑のかかった石。

 これはチャートか。

 宝石的な価値は全くない、どこにでも落ちている石である。

 だが、それは絵画のように美しい模様をしていた。


「うん、いいね。

 実にいい石だ」


 金銭と言う価値観をもたない、精霊ならではの趣味である。

 石を愛する人は、むしろこういうものにこそ愛着を感じるものらしい。

 まぁ、俺も実はその口だが。


 俺が石の趣味を褒めると、野兎の姿をした精霊が微笑んだ気がした。


 しかし、困ったな。

 実はこのチャートという石……エメラルドほどではないだろうが磨くのはけっこう難しい。

 場所によって硬い部分と脆い部分があり、欠けたり結晶がはがれやすいのだ。

 しかも、中にヒビや穴があることも多い。


「これ、たぶん磨いてもとれない凸凹が一杯できるから、削った後に修復お願いしていい?」


 俺の言葉に、兎の精霊が大きく頷く。


 石を磨くのにかかった時間は、ほんの五分ぐらいだろうか?

 本来は何時間もかかる作業なのだが、精霊が力を貸してくれるおかげか、あっという間に石の表面が滑らかになる。

 ほとんど爪を磨くのと変わらない感覚だな。


 やがて磨き終わった石は、不透明ではあるがなかなか鮮やかな色の緑色をしていた。

 ふぅ、我ながらいい仕事をしたぜ。


 磨いた石を返してやると、精霊はその場で石をもって飛び跳ねた。

 そのままピーピーと鼻から空気の抜けるような音をたててはしゃぎまわる。

 よほどうれしかったらしい。


 さらに別の精霊が足でリズムを取り出すと、ほとんどの精霊たちは、こちらの様子をおとなしく見守っていたジョルダンの背中に乗って踊りだした。


 ジョルダン、痛くないのかな?

 思わずそう心配になったが、本人(?)はフワァと大きな欠伸をしているあたり、大丈夫であるらしい。


 ……と思っていたら。

 きゃひぃぃぃぃん!?

 ブチブチっという音と共にジョルダンの悲鳴が鳴り響いた。

 何事!?


「こ、こら、君らうちの子に何してるの!!」


 俺が思わず声を上げると、精霊たちはハッと我に返り、ジョルダンに向かって深々と頭を下げた。

 おいおい、変な事はしないでくれよ?


 優しい子だから溜息をつくだけで済んでいるけど、これがほかの魔犬だったら噛み殺されていても仕方がないんだからな?

 しかし、いったい何がしたかったんだろう?


 そう思って見守っていると、精霊たちはジョルダンから引き抜いた真っ白な毛に撚りをかけ、糸を紡ぎ始めたではないか。


 そしてその糸を編み込んで網状にすると、先ほどの石を包んでペンダントトップに作り替えている。


 あぁ、これ知ってる。

 たしか、マクラメ編みと言う技法だ。


 そしてペンダントが出来上がると、それを自分の首にかけて再び踊り始める。

 なるほど、磨いた石が気に入ったから、アクセサリーにしたかったのね。


 でも、これ以上ジョルダンの毛をむしるのは勘弁してほしい。

 俺は引き出しを開けると、先日の課題でイラクサから取った繊維の束を精霊に差し出した。


 自分のローブを作るためにとっておいた奴だが、時間が無くてそのままにしていた奴である。

 イラクサはまた取りに行けばいいしな。


 すると、妖精たちは軽快な歌を歌いながらみんなで力をあわせて糸を紡ぎ始める。

 少し紡いだ糸の先端を石に括り付け、それをくるくると回して撚りをかける方法だ。

 糸車が生まれるずっと前に使われていた、とても古い糸紡ぎの方法だな。


 そんな古臭い方法であるにも関わらず、イラクサの束はみるみる糸にかわってゆく。


 よし、俺も負けてられないな。

 精霊たち歌に鼻歌で参加しながら、俺は石をせっせと磨き始めた。

 ジョルダンの長い尻尾もリズムに合わせてパタパタと動き出す。


 うむ、今日の作業は実に楽しいな。


 そんな事を思っていると、ふいにネズミが腕を登ってきて、俺の鼻の先にキスをした。


「んっ……これは?」

 自分の中の何かが、別のどこかに繋がったような感覚。

 いや、これは目の前の地の精霊と魔力でつながったのか?


 どうやら、地の精霊から契約がもらえたようだ。

 すると、その行動に刺激されたのか、他の精霊たちも次々に俺の鼻にキスを死に来たではないか。


 うっ、まって、これ、誰と契約したか把握できないし!

 君たち、順番!

 列を作って順番にお願いします!


 えっと、こういう時はどうするんだっけ?

 あぁ、そうだ。

 羊皮紙を用意して、契約とサイン、あと呪文を記してもらうんだ。


 そして記された羊皮紙は後で編集し、まとめて魔導書にするのである。

 出来上がった魔導書は、契約者が呪術を使うため重要な資料であり、同時に術を発動するための触媒だ。


 ちなみに精霊との制約が多くなり、魔導書一冊を完成させることでようやく呪術師として一人前とみなされる習慣があるらしい。

 あくまでも習慣であり、規定があるわけではないんだがな。

 俺みたいに契約書も無しに魔術を使い、しかも出力が戦略級っていう例外もいるし。


 もっとも、今の契約書で作ることの出来る下級精霊との契約で埋め尽くされた魔導書では笑われかもしれないけど。


 俺は全ての羊皮紙を回収すると、自分の初めての魔導書を作ることにした。

 さて、題名は何としよう?

 実はこれも魔導書を作るにおいて大事な作業なのである。


 他人から見たら大したことのない魔導書でも、俺にとっては特別だ。

 がんばって、精霊たちが誇らしげに語れるような魔導書にしよう。


 それにしても……今日は本当にいい報告が師匠に出来そうだ。


**********

 注釈)チャートという石を「実にありふれた石で昨朝では無価値」と明記しましたが、特に美しい模様のあるものは水石と呼ばれる物の一種として珍重され、非常に高価です。

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