第2話

 さて、事務処理用の魔術を使って仕事を片付けはじめておよそ50分。

 残る書類の厚みが二十センチほどとなった頃の事である。


「ユージン様、そろそろ時間でございます。

 お茶のご用意をいたしました」


 そんなセリフと共に入ってきたのは、俺専属のメイドであるダークエルフ。

 名を、アンネリーという。


 彼女は仕事上の部下ではなく、俺の生活を支える使用人だ。

 本当はフォーセルの奴もそちら側なのだが、あまりにも優秀なので『個人で雇った秘書』という扱いにして仕事を手伝ってもらっている。


 実はそんな人間が、俺にはあと十人程いて、先日のミーフィアも、実はそんなスタッフの一人だ。

 つーか、俺の使用人、師匠が厳選しただけあってみんな優秀過ぎるのよ。


 そして全員が人間ではない。

 そもそも、この塔の住人のほとんどが純粋な人ではないのだ。


 原因は、塔の周囲に充満する高圧の魔力に耐える事が出来ないからである。

 自分が全く問題ないから、魔力の圧力と言われても全く実感が無いけどな。


 さて、次の報告書は……と。

 眉間を爪の先で揉み解しつつ次の書類を広げれば、それは俺の嫌いなタイプの依頼に関するものだった。


「ありゃ、フォーセルの奴……貴族からの依頼は全部はじいたって言っていたのに」


 しかも、地卜課の仕事ではなく、魔術師としての俺個人に対する依頼だ。

 ここに届けること自体が間違っている。


「おそらくですが、故意でしょう。

 ユージン様がこの手の依頼を嫌って後回しにすることはわりと有名ですから。

 それを見越した誰かが、フォーセルの仕分けの後にその書類をこっそり紛れ込ませたのではないかと」


「だろうな」


 あのプライドの高い男が、こんなヘマをするとは思えない。


「ええ、あの男がそんなミスをするはずがありませんし」


 そう言いながら、アンネリーは俺の後ろに回って肩や首の根元を優しく指圧し始めた。


 まったく……誰だよ、こんな事する奴は。

 とりあえず、この件はフォーセルにも報告しないとね。

 おそらく激怒するだろうけど。


「あ、そこ気持ちいい」


「お褒めいただき恐悦です」


 実はこのダークエルフ、整体やマッサージの達人でもある。

 何かと疲れがちな俺のために、師匠がわざわざ探して用意してくれた人材なのだ。


 その他の能力に関しても非常に優秀で、今では俺に仕えるメイドのまとめ役であり、母と姉を合体させたような最強生物と化している。


 ……つまり、俺の逆らえない相手の一人だ。

 慎ましい性格なので、ある一点・・・・に関する事を除いてめったに要求などはしてこないけど。


 だが、今日に限ってその珍しい事が起きた。

 

「その案件、出来れば話し合いだけでもしていただくことはできないでしょうか」


「アンネリーの口からそう言う台詞を聞くとは思わなかったよ。

 何かあるのか?」


「はい。

 私個人ではなく、拝樹教ハオミズムの問題に関わりかねない事でございますから。

 話を聞いたうえで潰すべきでしょう」


 なるほど、それならばアンネリーが口を出すことも納得である。


 拝樹教ハオミズムとは、俺が信仰する宗教の名だ。

 遥か天空の彼方、黄道十二星座をのいずれかに座するという十二の神々を主神とする宗教で、樹木を神の降りる神聖なものと崇める事からこの名前がある。


 ちなみに俺の守護神である愛と美の女神アフラシアは金牛宮に座し、聖なる樹木は林檎だ。


 さて、ここで疑問が生まれる。


「貴族の都合に、なんでウチがかかわるんだ?」


 完全に無関係とはいかないが、魔術師の大半は世俗の権力に興味がない。

 逆に言えば世俗に対しての権力がかなり限定されており、したがって貴族の連中と利害の衝突はほとんど起きないのだ。


「その依頼の内容をご確認ください。

 有象無象の挨拶文は無視して、ここから先の部分だけで結構でございます」


 まるで不憫な者をみるような声で、アンネリーは書類の一点を指で示す。

 その内容を確認した瞬間……。


「アホかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 気が付くと、俺は立ち上がって大声を上げていた。

 集中が途切れ、動いていたフェーブがそろってコテンと倒れる。


「お気持ちはわかりますが、どうぞ落ち着いてくださいませ」


「これが落ち着いていられるか!

 ウチの神に関わる禁足地に立ち入りたいから力を貸せだと!?

 ありえなさ過ぎて正気を疑うレベルだろ!」


 しかも、その理由が禁足地に住む魔獣の子が欲しいからだと言う。

 頭が悪すぎて、自分が正気かどうかを疑ってしまうほどだ。


 とりあえず、これは師匠にも相談してその後に神殿へ報告だな。

 おそらくすでに拝樹教ハオミズムの神殿に交渉して断られた後の話だろうが、だからと言って同じ拝樹教ハオミズム魔術師に依頼をして通ると思っているのだろうか?


 そして事の問題をややこしくしているのは、この禁足地が依頼主である貴族の管理する領地の中にあることだ。

 自分の管理する土地だから、何をしても許されると思っているらしい。

 たまにいるらしいんだよ、この手のアホが!


 さて、この依頼をなぜ俺に持ってきたかだが、一応の心当たりはある。


 神に捧げるための料理を神饌しんせんと言い、自慢ではないがこいつを作ることにかけては、俺より優れた者はいない。

 少なくともこの大陸には。


 ……と言うより、専門にしている魔術師がまずいない。

 逆に神官たちは興味深々で色々と話しかけてくるんだどな。


 というのも、神を喜ばせる事において神饌ほど有効なものは無いからだ。

 神様だって美味しい食べ物は大好きなのである。


 だから神官たちは、神を喜ばせる能力を持つ俺のことが大好きだ。

 大好きすぎて、油断するとすぐに拉致されそうになるぐらいには。


 そして禁足地である聖域に入るには、神の赦しが必要になる。

 赦しなくば、足を踏み入れた瞬間に神罰を食らって人生終了だ。


 さぁ、賢明なる諸君にはもうお分かりだろう。

 最高の神饌を作ることのできる俺は、全ての禁じられた聖域の扉をこじ開ける魔法の鍵なのである。


 ゆえに、俺の事を厨房魔術師と呼んで馬鹿にしながらも、利用しようと考えている連中は非常に多い。


 さて、問題のアホについて話を戻そう。

 たかが魔獣の子を手に入れるために、禁足地をこじ開けろと言ってくる奴だ。

 俺が断ったところで、次に何をしでかすかわかったものじゃない。


 ここはひとつ、馬鹿な事をしないようしっかりとした処置をしなければ。

 ……場合によっては、例の切り札を使ってでも没落してもらわなくてはなるまい。


 ううっ、嫌だなぁ。

 やっとあの地獄のような鬱から解放されたのに。

 正直、涙が出そう。


「仕方がないから、話し合いだけはするよ。

 フォーセルに言って、日程と場所を調整してくれ。

 あと、話し合いにはジョルダンと護衛を全員連れてゆくからそのつもりで」


 下手をすると、暴力が必要になるかもしれないしね。

 すると、アンネリーはマッサージの手を止めて、俺の体を抱きしめた。

 

「わたくしたちメイドもお連れくださいませ。

 きっとお役に立てるはずです」


「うん、頼りにしている」


 彼女たちの能力について疑問は無い。

 たとえ向こうが暴力をふるってこようとも、そう簡単に屈する連中ではないのだ。


 むしろ俺が悩むべきは……アホを相手になんと説得すれば良いかである。

 そのあたりはフォーセルとも事前に相談しなくてはな。


「ところでアンネリー」


「はい、なんでございましょう」


「もう肩こりは治ったみたいだから、仕事に戻っていいよ?」


「そうですか。

 それはようございました」


 だが、彼女が動く気配はない。


「そろそろ自分の仕事に戻りたいから、離れて?

 あと、背中にいけないものが当たっているから」


「ユージン様の柔らかい物けがわも当たっているから、お互い様でございましょう」


 そう答えると、彼女は俺の背中に顔をうずめ、大きく息を吸った。


「アンネリー?」


「わたくしの気持ちはご存じでしょうに……いけずなお方」


 それ、子熊に対して言う台詞じゃないよね?

 中身は人間の雄なんだけどさ。


 俺の背中に頬をすりよせ、甘い声を俺の耳にこすりつけてくる。

 石像ですら発情しそうな色気だが、あいにくとおれの体はお子様だ。

 どこも反応したりはしない。


「正気に戻れ、この狂的モフリスト!」


 このメイドのたった一つの欠点。

 それは、幼くて可愛くてフワフワした生き物が好きすぎて、時折我慢ができなくなる事である。


 そのあとフォーセルを呼んで何とかアンネリーを引きはがすと、彼女はこの世の終わりのような悲鳴と共に仕事へと戻っていった。


 はぁ、あの性癖さえなければ完璧なメイドなのに。

 さて、アンネリーはしばらく役に立ちそうにないので、フォーセルに仕事をしてもらおう。

 今回のスタッフを集めてミーティングを開かなくては。


 やがて集められたスタッフに今回のあらましを説明すると、全員がなんともいえない顔になった。

 うん、面倒だよね?

 でも、俺はもっと面倒なんだよ。

 分かってくれるね?


 そんなわけできっちりとスタッフと打ち合わせをし、覚悟を決めてアホの巣窟へと話し合いに言ったのだが……。


 俺を出迎えたのは、渾身の土下座だった。

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