20.雨

*****


 部室。


 俺がスマホを見て、「これから雨が降るそうだ」と言うと、風間は「そうなの?」と発し、桐敷は「うげっ、マジかよ」と忌ま忌ましそうな声を上げた。香田はフラットなままである。


 そう言ってる間にも降ってきた。

 大きな窓が濡れる。


「とっとと帰ったらどうだ?」

「あーらら、神取くんはあたしたちに濡れて帰れと?」

「そうだぜ、神取。――って、だったらどうしろって話なんだけど……」


 風間が言うことも桐敷が言うことも、まあもっともなのだが、それだけだ。


「タクシーでも使えばいい」

「やだ、そんなの。学校の行き帰りでお金使うなんて」

「そうだぜ、神取。まったく、おまえはセンスってもんがねーよ」


 センス?

 そういう問題なのだろうか。

 というか桐敷の中途半端なイエスマンぶりときたら――。


「で、実際のところ傘は?」

「あたしは持ってる」

「あたいはないぜ」

「わたしもない」


 だったら、まあ、そうなるか。


「風間は香田と帰れ。女同士の相合傘。また一興だ。桐敷には俺の傘を貸してやる」

「えっ、えっ? どういうことだ? あたいはべつに濡れて帰ったってなんとも――」

「それじゃあ、俺の気が済まないんだよ」


 俺は机の上に置いてあるスクールバッグから傘を取り出した。紺色の、無愛想な折り畳み傘だが、人一人を雨から守るくらいの能力はある。


 俺はスクールバッグにどうでもいい小説を放り込み、席を立った。


「ままっ、待てよ神取、言ったじゃんかよ、あたいはべつに濡れて帰ったっていいんだってば」

「俺も言ったぞ、桐敷。それじゃあ俺の気が済まない。もはや異論は認めない。俺はとっとと帰ることにする」

「だ、だから、待てよ。もう少ししたら止むかもしんねーぜ?」

「いや。止まないそうだ」

「うっ、で、でもよ――」

「俺は速やかに帰るんだ。家に帰るんだ」


 校舎から出て、まだ本降りではない雨を浴び、雨空を見上げながら、俺は「最近、大した日常を送っていないなぁ」と感じさせられた。それは悪だろうか。目も当てられないようなしょうもない事実だろうか。そのへん、よくわからなくなりつつある――ような気がする。



*****


 翌日、一限後の休み時間のこと。


 我が2-Aの教室の前部の出入り口に見知った女性の姿を見つけた。どこにいても目立ちまくる桐敷だった。桐敷は教室中に響き渡る大きな声で「神取!!」と名を呼んだ。俺がいよいよ目をやると、桐敷は右手を振って激しくこちらのことを招いてみせる。左手には傘。俺が貸してやったものだ。返しにきたのだろう。


 俺が近づくと、桐敷はどことなく恥ずかしげに頬を赤らめた。


「た、助かったよ。濡れないで済んだ。ありがとーよ」


 いつもいつも強気で――いっぽうで愛らしい桐敷。

 彼女が照れたように振る舞う姿は――否、ツンデレの一言で説明がつく。


「皺がない」

「えっ?」

「傘に皺がいっさいない。丁寧に乾かしてくれたんだな」


 桐敷は顔を真っ赤にした。


「ばばっ、馬鹿言えっ。勝手にうまいこと乾きやがったんだよ。傘がすばらしいんだ。すばらしい傘なんだ!」


 馬鹿みたいな言い分だが、言いたいことはわかる。


 俺が「ありがとう」とだけ言うと、桐敷は「う、うん」とぎこちない返事をしながらこくりと頷いた。それから「じゃあな!」と言って、向こうに駆けて行った。


 ――自席に戻った。


 隣席の風間が寄りかかるようにして「ちょっとちょっと」と話しかけてきた。手にはグルメ雑誌。「これなんてどう?」と言うのである。目当ての品はどうやら天津飯であるようだ。値段は二千円もする。二千円? だったら俺は近所の中華料理屋でラーメンとチャーハンを食べて餃子まで注文する。


「ねぇねぇ、今度行こうよ」

「馬鹿言うな」そもそもだ。「俺は親の金で食っている身だ。贅沢するわけにはいかないんだよ」というわけだ。

「親の金で食ってるって、それは少なからずみんなそうじゃない」

「それでもという話だ」

「たとえばウチなんて、バイトをするにあたってはいい顔してくれないよ?」

「それもまたすばらしい一般論だ。順守したほうがいい」

「相変わらず謎めいてるなぁ、神取くんは」

「そういうニンゲンなんでな」


 ――期せずして少々考えに変化が見受けられた。二千円の天津飯、か。それはもう公明正大にして理路整然とうまいのだろう。食べたいように感じられるし、食べてやってもいいような気がしてきた。こちらのそんな心境の変化を目ざとく読み取ったらしい風間は「決まりね」と言い、「近いうちに、四人で行こうね」とウインクまでしてみせた。


 なんと仲良く微笑ましい我が部活動。


「サキの奴がごねるようなら、お願いね?」と風間は言う。「あいつ、あんたの言うことだけは聞くみたいだから」


 次は香田が訪ねてきた。その美貌に教室中が「わっ」と湧く。しかし俺は思うのだ。すらりとした金髪碧眼の人物に黒いセーラー服はいかがなものか、と。抜群に似合うような気もするし、とことん似合わない気もする。――ま、そのへんはどうでもいいといしよう。なんでも正しく割り切ることは不可能だし、それを試みる行為自体が意味不明で時間の無駄だ。


「リリ、どうしたの?」


 香田はびっくりしたように「あっ」と発して、右手で風間が持つグルメ雑誌を指差した。


「ひょっとして、天津飯?」

「うん、そう。サキも入れて、四人で行きたい」

「だったら、今日行くしかないね」


 風間と香田はハイタッチをかわしたのだった。

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