第3話 両親のこと

 祖母の運転する車の助手席からは、音楽に混じって母の声が聞こえてくる。何を話しているのか分からないけれど、雰囲気的に父の悪口を言っているんだろう。ブエノス・アイレスに来る飛行機の中で機内食をつついている間もずっとこの調子だった。機内食が美味しくないから始まって、父と結婚しなければ良かったとか、自分の人生は後悔と失敗ばかりでろくでもないとか。ここ数年で母は以前に輪をかけて愚痴っぽくなった。きっと彼女は一生こうやって愚痴をこぼし続けるんだろう。父のことだけじゃなく、父と一緒に生きることを選んでしまった自分の人生への後悔や不満、他人への恨みつらみなんかを。


 両親が離婚したきっかけは、父親がラスベガスで羽目を外し過ぎ膨大な額の借金を作ったことだった。それだけならまだしも、その夜に出会った女性と酔った勢いで結婚式まで挙げ、一夜を共にしていたことまで発覚した。翌日2人とも我にかえって結婚は取り消されたものの、黒歴史は残った。消えることのない、母の深い傷とともに。


 夫婦仲が悪くなったのは最近のことじゃない。良くも悪くも彼らは似た者同士だった。頑固でプライドが高く何事も行き当たりばったりで、何か上手くいかないことがあるたびにお互いのせいにしあった。いつからか2人の間に横たわっていた空気感ーー生ぬるく濁った水槽の水のようなそれを、両親は私に気づかせまいとしていた。それでも子どもというのは敏感なもので、私も例外ではなかった。その空気感は私が成長するにつれて顕著なものになっていき、感情的に言い争う父母の姿を目にすることも増えた。いつかこの2人は別れるだろう。その予感は当たった。だから二人の離婚に対してそれほど動揺はしなかった。


 いつも私の心の中には一つの質問が存在していた。今だって考える。


ーー母は、私を産んで本当に幸せだったんだろうか?


 母はよく自分の人生に対して後悔を口にする。もしあの時父を選んでいなかったら、もしソーシャルワーカーになっていたら、もっと真剣に勉強していたら、もしあの家に生まれていなかったらーー。


「あなたを産んだことは後悔していないわ、あなたは私の宝物だもの」


 数々の後悔の念をこぼしたあとお決まりのように言うけれど、本心はどうなんだろう。もし私が生まれていなかったら母は自分の夢を叶え、父ではない相手と結婚して今よりも幸せな人生を歩むことができていたんじゃないか。私は母のお荷物なんじゃないか。


 そんな私の髪は今、カラーやパーマのやりすぎで傷んでいる。1ヶ月前、肘のあたりまで伸びたストレートの髪をさくらんぼのような赤に染めて下半分に緩くパーマをかけ、所々にプラチナの細いメッシュを入れた。ついでに前髪の真ん中らへんにも。硬くなった髪を人差し指に巻き付けてくるくるといじりつづけながら、思う。


 もう一度、人生をやり直せたらーー。


 

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