18 名称不明 魂の商人 契約の対価

 繰り広げられた刹那の攻防は、まさしく刹那という言葉を当て嵌めるに相応しい程に人並外れた速度で、それ故にこちらから確認できたのは拳に紙幣のような何かが握られた事と、その拳で殴りつけた事。

 そしてその結果。

 それ以上の事は何も分からない。


 だが結果として、派手な一撃が決まったのは事実な訳で、これで終わりという事は無いのだろうか?


 一瞬そう思わせるだけの光景ではあったが……おそらく、それは無いだろうという事は、知識の無い自分でも理解できた。


(……確かに、これは分が悪い)


 この場を必死に観察しようとしていた故に、違和感にはすぐに気付けた。

 怪異を弾き飛ばした事により空いた大穴。

 その先には横たわる怪異と、その怪異が横たわる部屋が見える。


 そう、部屋が見えるのだ。


 この貸しテナントは決して広くはない。

 いや寧ろ狭いと言っても過言ではない。


 1K。突き抜けた壁の穴の近くに窓がある通り、その先は外だ。

 にも関わらず、穴の向こうには部屋がある。


 ある筈の無い空間が存在している。


 そしてそこに不用意に入ろうとはせずそのままこの場に留まった霞は、正面を警戒しながら呟く。


「流石に一発ぶん殴って、人間様を舐めるなオラァ! って感じでは終わってはくれないみたいだね……」


 そう言う霞の声音からは焦りの様な物を感じる。

 やはり霞から見ても、目の前で起きている事は決して良い物ではないらしい。

 そんな霞に真は問いかける。


「黒幻さん、右手のそれ……」


「ん? わ、いつの間に」


 霞がその手を開いて視線を落として言う。


「一万円札だ。五枚……五万円。提示された額面だね……これっぽっちで私の魂持っていこうって訳か」


 そう呟いた瞬間、五万円の対価を取り立てる為に再び怪異が動き始める。

 起き上がり、体を動かす初動。

 その初動に反応するように、霞は勢いよく左腕を振るった。


(……結界)


 空いた大穴を塞ぐように、薄い黄緑色の結界が展開される。

 そして続けざまに一万円札を握った右手の人差し指と中指を怪異の方角へと向ける。


「此処が【そういう空間】になっているなら、多少の大技も構わないだろう!」


 霞のやりたい事は理解できた。

 何も分かっていない状況から壁をぶち抜いている時点で行き当たりばったりな発言だとは思うが、実際戦う上で周囲への影響は考慮して立ち回らなければならない。

 例えば怪異が居て、その怪異に対し物理的な攻撃が有効なのだとしても部屋を爆破するなんて行動は常識的に考えて絶対にやってはならない事だ。


 だが、もしも……今立っている空間が、本来此処に有るべき形をしていなければ。

 壁の向こうに部屋があったように本来の空間とは違う、いわば異空間のような物を怪異が作り出しているのだとすれば。


 それで被害者を閉じ込めようとしているのであれば。

 逆に被害者側も、やりたい放題できる。


 この部屋の中を滅茶苦茶にしても、実際には何の影響も残らない筈だから……おそらくは。


 そして霞はやりたい放題するつもりだ。


 穴を結界で塞ぎ、足止めしている内に準備を済ませ……壁が消し飛ぶような大技を打つつもりだ。 


 ……だが。


「「……ッ!?」」


 怪異は障子でも破るようにあっさりとそもまま結界を素通りし破壊してくる。


「くそッ!」


 果たして本来想定した破壊力を伴っているのかは分からないが、霞は指先から光の球体のような物を、銃弾を撃ち込むように怪異に向けて放つ。

 ……だが。


「……おいおい。それは流石に無しだろう。いやほんと、えぇ……」


 直撃。

 だがしかし、全く効いている様子も無ければ霞へ向かってくる歩みが止まる様子も無い。


 初撃の拳も含め……全くの無傷。

 まるで通用していない。


 霞が最初に想定していた通りか……もしくはそれ以上に。


 あまりにも分が悪い。


「……タマシイヲ」


 おどろおどろしい声が怪異から溢れ出る。


「ケイヤクの……タイカを……」


 そう言った次の瞬間怪異は……霞の目の前まで一気に距離を詰めて来た。

 だがそれとほぼ同時に、霞もバックステップで距離を取り……勢いよく踵を返しす。


 カウンターを打ち込むような素振りは無く、全身全霊の逃げの構え。


 凄まじい速度で真の前へと戻ってきて腰に手を回して抱え込み、そのまま勢いよく加速して玄関のドアを蹴り飛ばした。


 一旦体制を整える為の戦線離脱。

 やりたい事がそれである事は理解できた。


 ……だが。


「……やはりまともな空間じゃないねぇ!」


 部屋の外に広がっているのも、またどこかの屋内である。


「廊下……屋内!? 出口どこだ出口!」


「多分無いよこれは……だからさっきの攻撃を打っても良いと思ったんだけども」


「……マジですか」


「マジだよ。舌咬まないようにね白瀬君!」


 言いながら霞は全力で走る。

 どこまでも続く様な異空間の中を。


 その先に生き残るビジョンが見えているのかも分からない、そんな表情と声音で。

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