3 通貨の価値について

「聞いてない! こんなの聞いてない!」


「……」


「助けて! 助けて! ネオアルティメット助けてぇッ!」


(……これがスポーツ観戦している若い女性の姿か?)


 現在最終直線。

 スタートからずっと後ろの方に居て、今現在も一向に前に出てこない4番ネオアルティメットの姿を見て、まるで命乞いでもしているかのように哀れな姿を晒す霞。


 そして無情にもそこから大きく展開が変わる事も無く、最終的にかなり後ろの方のままゴールイン。

 一体いくら賭けたのか具体的な金額は聞いていないが、かなりの額が無になったと考えて間違いないだろう。


(可哀想だけど……まあそううまくはいかないよな)


 第一そう簡単になんとかなるなら、先々月に居酒屋でアルバイトなんてしていなかった訳で。

 そもそも霞の言う少数の勝ち組だって八百長でも仕組んでいなければ全てのレースで勝つ事などできはしない筈で。


 きっと何回かの勝負で一定の割合で勝ち、トータルでプラスを作る。

 まさかたった一度の勝負に全てを賭けはしないと思う。

 つまり黒幻霞という人間は、少なくともこういう世界では大多数側の人間なのだ。


「うぅ……なんでぇ……前走私の買った馬を凄い勢いでぶち抜いただろぉ……」


 馬の選択理由もおそらく大多数のソレだ。

 というかそもそも前回も負けてしまっている。

 とにかく、根本的にギャンブルに向いていないのだ。


「怪異の……怪異の仕業だぁ……」


「なんでも怪異のせいにするもんじゃないですよ」


「たった一月で怪異の専門家みたいな事言うねぇ!」


「あなたはもっと怪異の専門家らしい言動をしてくださいよ」


 ……とにかく。


「これに懲りたらギャンブルで金増やそうなんて考えるのは止めましょう」


「うぅ……でも此処で止めたら私しばらくもやし生活なんだが……?」


「次ミスったらそれ以上に酷い事になるでしょうよ」


「……」


「……はぁ」


 項垂れる敗北者の霞を眺めてため息を付いてから真は言う。


「とりあえずこれから仕事で頑張って取り戻そうって事で、その決起も兼ねて焼き肉でも食べに行きます?」


「……へ?」


 理解できないという風に霞は間の抜けた声を出す。


「そ、そんなお金私には……」


「出しますよ俺が」


「……いや、ちょっと待て白瀬君」


 霞がフラリと立ち上がり、こちらの肩に手を置いて言う。


「キミは私に同情してそう言ってくれているのかもしれないが、大事なお金だ。もっと使い方を良く考えたまえよ」


「今の黒幻さんが言うと重いのか軽いのか……」


「というかそもそも、キミだってそんなに余裕は無いだろう。料金は取らなかったが、キミは縁喰いの一件で報酬を分割払いしようとしていた位の懐事情だろう? それにウチの給料は現時点で最低賃金だ。ギリギリとは言わないが、人に焼肉をポンと奢れるとは思えないんだが」


「ええ、まあそれはそうなんですけどね」


 霞の言う通り、真もあまり余裕のある生活をしていない。

 先月は余裕が有ったとは言えない状況で急遽埼玉への旅費を捻出し、今月は黒幻探偵事務所の給料が先日入って来たとはいえ、霞の言う通り最低賃金。

 もっとも怪異についての勉強をしている時間が当たり前のように労働時間に組み込まれているのでかなり良心的だとは思うが、それでも裕福な状況ではない。

 元々やっていたコンビニのバイトを入れ替わりで止めた事も有り、先行きも不安定。

 だが。


「実は一昨日大学の友人に誘われて初めてパチンコに行きましてね。そしたらなんか良く分からない内に一万位勝ちまして……」


「……キミ、私を止めておきながら普通にギャンブルやってるじゃないか。同じ穴のムジナだよ。キミも立派なギャンブルカスだ!」


「誘われてちょっと触ってみたのと、生活賭けた大博打やるのを同列で語らないでくださいよ。俺は自分からはもう行かないんで。次勝てるとは思わないし」


「そういう奴程ハマるんだよ。ビギナーズラックでちょっと勝っていい気になって次に倍以上負けて、もう二度とやるかって思ってるのに後日足を運ぶんだよ! SNSに引退宣言したらおう、また明日な! ってリプが飛んでくるんだよ!」


「自己紹介ですか?」


「ま、まあとにかく!」


 軽く咳払いをしてから霞は言う。


「冗談は置いておいて、焼肉なんて奢ったら一万円なんて殆ど吹っ飛ぶだろう。本当に良いのかい?」


「そりゃあぶく銭ですからね。降って湧いたみたいなものだし、こういう使い方が寧ろ適切じゃないですか?」


「キミ……仏か何かか? 神様仏様白瀬様!」


「こんな事で仏になれるなら世の中仏だらけですよ」


「確かに……なんて言うけど、実際全く無いとも言えないさ」


 今までの駄目人間モードから打って変わって、どこか真面目な表情と雰囲気を醸し出す霞。

 いくら駄目人間でも霞にはこれがある。

 しっかりとした、怪異の専門家としての顔が。


「私達は一万円では神にはなれない。仏にはなれないと考えはするけれど、それはあくまで人間が決めた価値観だ。神様仏様……怪異。そうした人ならざる者達からすれば、果たして人間社会で流通している貨幣の価値はいかほどの物なのだろうか」


「何の価値も無かったりするんじゃないですかね」


「その逆もまたあり得るよ」


 言いながらテーブルの上の財布を手に取り、霞は言う。


「彼らに取ってみればその価値はとても重いものである可能性も十二分にある。それこそやり方を間違えなければ人を何かしらの神にできる程にね」


「神に……」


「そう真面目に受け止めるな白瀬君。全てたらればの話だ。実際の所は分からない。私達怪異の専門家も全ての怪異を知っている訳では無いからね。いざという時に固定概念に捉われず柔軟に頭をまわそうという話だよ。真面目になるのはその時で良い」


 そう言いながら霞は手にしたばかりの財布を何事も無かったように元の位置に戻した。


「あの、霞さん」


「なんだい?」


 財布を戻すと同時に元の雰囲気に戻った霞に問いかける。


「今なんで一回財布手にしたんですか?」


 その問いに小さくキメ顔の様な笑みを浮かべて言う。


「話の流れの中で意味ありげに一万円をピっと出してみようかと思ったけど、そう言えば今680円しか入っていなかった事を思い出してね」


「……」


(流石に生活費、口座にもう少し入っているよな?)


 そんなどこか無軌道気味な会話を交わしていたその時だった。


 事務所の固定電話に着信が入ったのは。

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