第一章 フラッシュモブ 六話

  

「あんた、持ってんの」

 黒ガウンは自分の手にある銃をひらひら振ってみせた。

 男は腕を同じようにひらひら振ってみせた。

 照明が銀色の輝きを照り返す。

「あんた、うちが言ったこと、わかる?」

 黒ガウンの口調は心なしか、柔らかく聞こえた。

 男はそろりと腕を上げると、力なく、銃を見た。それから立ち上がった……もう一度、銃を見る。すっと、正面を見た。その先には、車窓の前に座った老人の姿がある。


 事態を見守っていた複数の乗客が、息を呑む。

 男は、自然な動きで銃を持ち上げた……立て続けに何発も火が吹く。そして弾は、予定されていた軌道上をつつがなく進行した――男の正面の車窓へと。


 他の乗客が、覆面が、あっ、と目を見張り、銃を構える、その余地を残さずに、男は弾が穿うがった車窓へ頭から突っ込み、凄まじい音を立てて、車内から消えた。


 地獄に取り残された乗客たちは、はっ、と我に返ると、恐る恐る、黒ガウンに視線を移した。

 黒ガウンは、割れたガラス窓からけたたましく吹き込む風に、かっ、かっ、と高く笑った。

「は! あんくらい、心意気があればねえ! ま、この連中じゃとても望めないか」

 その笑い声に触発されたように、赤ん坊が一層、大きく、泣き声を上げた。

 黒ガウンは泣き声の方へ、足先を向けた。


 赤ん坊を抱いた比較的若そうな女性は、赤ん坊を泣き止ませようと、必死にあやしている。しかし、黒ガウンが足を向けるのに気が付くと、その顔がみるみる崩れ出した。

 女性は何かを口にしていた。が、震えの中で声が崩れて、とても聞き取れない。

「お、おね……おね、え……」辛うじてそういったことを、女は言った。


 さらに何かを言おうと、懸命に口を開こうとするのを、黒ガウンは手で遮って、みなまで言わせなかった。赤ん坊は依然、泣き続けていた。

「みなさん!」

 黒ガウンは乗客ひとりひとりを見るように首を回した。

「みなさん! 今こそ、よーく実感したでしょう! 人間がいかにドグマに囚われざるを得ないのか! これほど長らく説かれてきたにもかかわらず、実際にそれと気付く、そのなんと困難なことか!」


 黒ガウンは如何いかにも悲しいといった風に首を振った。

「今の意味するところは、つまりみなさん、うちらのことを、残虐非道な悪人かオークのように考えてるって、そういうこってしょう? とんでもない! うちは最初に申し上げたはずです、人間の強欲なごうごうに称賛と協賛を、って!


 うちらだって、元はあんたらと同じ、銃に触れるのも恐々の人間でしたよ、それどころか、うちらほど、人倫にぎょされた人間も、この現代のなかでそうそういやしませんよ! この、泥糞塗れた……ああ、つい本音が……ごほん、いえ、この栄光に満ち溢れた現代のなかで! まあ、慣れます。すぐ慣れますよ、世渡り上手の……ああ、これ、最大限の敬意を込めて詠嘆の意味で使ってますけどね、最大限の敵意と泥炭を込めて……そうそう、世渡り上手のあなたがたなら、ほどなく!」

 黒ガウンはそこで挙措を大きく、聴衆に向き直った。


「ですからね、赤ん坊をどうこうなんてするわけがないでしょう! 生まれてきたこと以外に罪のない赤ん坊を、いやいやむしろ、うちら、赤ん坊なら喜んで大切にしますとも。でも、」

 そこで一瞬、小さく間が空いた。

「でも、大人は別。好き勝手に赤ん坊をこの残虐無比な現代に落とし込んだんでしょう、むしろ罪の源泉! 大人の勝手な都合だよ!」

 黒ガウンは勢いよく近くの椅子を蹴り飛ばした。


「そこで、ほらあんた、その赤ん坊をこっちに渡すか、あんたが他の人を撃つか、どっちかだよ」

 女性がヒステリックに叫び、赤ん坊がさらに声高に泣いた。

「人殺しの親になれって言うんですか……この子の……。この子は人殺しの親を持つことになるんですよ……」

 黒ガウンは小さい身体からだに怒気をはらませて応えた。


「なら一層、覚悟を決めな! 人を殺してでもその子を守り抜く覚悟を決めな! それくらいじゃなきゃ、この先どうしようもないんだよ、どうせいつかその子を見殺しにするよ、それくらいの覚悟がないなら! なんでそんなことがわからないかね! その子どものために人ひとり殺せないで、子どもをつくろうなんて思うな!」


 黒ガウンは今にも怒りだけで銃弾が飛んでいきそうなほどの覇気はきで、女性は座り込んでしまった。赤ん坊に負けないくらい泣いた。黒ガウンは黙ってその姿を見下ろしていた。しばらく経って、その女性は赤ん坊を抱いたまま、他の覆面が連れて来た老人を撃ち抜いた。


「まったく、撃つ相手もこっちが引っ張ってこなきゃ先に進まない、ってんだから、とんだ大人! とんまかな? これで子どもに主体性だか自主性だか教えるって馬鹿ほざくんだから、いいお笑い種だわ!」


 そう吐き捨てると、黒ガウンは荒々しく靴音を立て、次に向かっていった。

 それまでまるで気付かなかったが、覆面のひとりが、床に伏した老人のポケットから銃を引っ張り出し、自分の腰に差すのを小春は見た。



 そうして、乗客自身の手によって、ひとり、またひとりと、流血の中に命を散らしていった。いったい何人、何十人が死んだろう。百五十人ほどの定員に、約二倍の搭乗率、ひとりがひとりずつ殺していくため、百人は死んでいるかもしれない……死人は覆面監視の中、生き残った乗客が吐きそうになりながら車両の奥から積み上げていった。


 鉄分の強烈な臭いに、小春の頭はくらくらした。ホームレスらしき男が窓ガラスを撃ち抜いて、換気の役割を果たしていなければ、今頃卒倒していたろう。


 時間の感覚はとうになかった。一時は空腹を感じたこともあったけれど、その絶頂は遥か過去、もはや感覚は失われた。


 着々と、小春たちの番が近づいてきた。痴漢騒動の発端となったグレーの男とスーツの女は、今や驚くほど冷静で、彼ら彼女らの番が来ると、速やかに事を実行した。


 いや、その二人だけではなかった。事態が粛々と進行するにつれ、乗客たちのほとんどは、アルゴリズムに従うように覆面の指令の元、従順に銃を取るようになっていた。あるいは、抵抗するほどの気概を持った豪気ごうきな者たちはほとんど、既に列車から去っていた。


「ごめんなさい」

 その一言を免罪符に、乗客は目を瞑り、震えながらも、機械の腕を動かした。撃たれる側は屠殺とさつを待つ子羊同然だった。

 確かに、黒ガウンの言う通り、あまりに死に慣れすぎてしまったらしい。


 いよいよ、残すところあと数人となった段で、ドアに寄りかかっていた潤がごくりと唾を鳴らした。恵津子を除く四人は誰ともなく、顔を見合わせた。

 潤は青ざめた顔をし、恵津子はうずくまって顔を膝の間に埋めている。真也は顔色こそ良くないものの、真っすぐ前を向いている……佐和は一見すれば恐怖に身をすくめているように見えた……けれど、どこかぎこちなさがあるのを、小春は見て取った。


 恵津子はすっかり血の気の失った顔を上げた。


 黒ガウンは、決して高いとは言えない小春よりも身長が低かった。赤色がかった髪を後ろでひとつに束ねている。小さく、葉っぱのような形に切り取られた二つの目元は、とてもテロを行う者の目とは思えなかった。はしばみ色の目玉が凛々しく、輝いていた。その造形というより、真っすぐなけがれのない輝きが、小春の注意を惹いた。


 黒ガウンは小春たちを斜め上に見上げた。

「あんたら、高校生? 知り合い?」


「はい。高校生です。全員、顔見知りです」

 黒ガウンの振る舞いを子細に観察していたのだろう、真也が、背筋を固く伸ばし、微かに震えながらも、はっきりした声で言った。

 その覇気はきの良さに満足したのか、黒ガウンはゆっくりと頷いた。

「やっぱり大人は駄目ね! この子らはこれほど叡智えいちに溢れてるっていうのに、まったく!」


 黒ガウンは小春たちのひとりひとりを見た。小春はふと、黒ガウンの視線が気になった――幾分、佐和のことを長く見たような気がしたのだ。黒ガウンは最後に真也の方を向いて言った。

「じゃあ、こん中でひとり、殺しな。方法もあんたらで好きにしていいよ。ただし、十分でね。それを越したらみんな打ち殺す。次!」

 それだけ言うと、黒ガウンは振り向きもせずに去っていった。

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