第三十話 好きな人は、自分の力で手に入れたい

 フラれた、というべきなのだろうか。

 はっきりとした拒絶はされていない。だが受け入れられることもなかった。

 予想はできていたのに辛い。胸が焼け焦げているように痛み、思わず涙がこぼれそうになる。


 再会したアルトは、私の来訪に驚いていた。

 もしかすると門前払いされる可能性すら考えていたのに、すんなりとウィルソン侯爵邸の中、応接間に通してくれて。表面上は平然と振る舞っていたものの、少なくとも嫌われてはいなかったと、今でも私を好きでいてくれているのだと思って心から安堵してしまったというのが本音だった。


 そこで私は事前に決めていたように全てをぶちまけた。

 フォンスト伯爵家での辛い日々のことから、私が今こうしてここにいる理由まで。これを聞いたら優しい彼は少なからず罪悪感や自責の念を抱き、苦しむだろうということもわかっている。でもそれでも告白したかった。この胸にある気持ちを吐き出した私に後悔はなかった。


「あなたに嫌われてもいい。ただこれだけは覚えていてください。いつか必ず、また好きにさせてみせます。――私は絶対諦めたりしませんから」


 そう。何があっても、私は絶対諦めない。

 全力を尽くしてでもアルトと恋をし、幸せな結婚をしてみせる。とても欲張りな願いだけれど、悪女ならばこれくらい望むのは当然のことだから。


「…………」


 アルトは、黙っていた。

 翡翠色の瞳を揺らし、何か言おうとして口を開いては閉じを繰り返している。きっと言いたいことがあったのだろう。しかし私は彼の返事を待たずに立ち上がった。


「私、ウィルソン侯爵夫妻とお話ししなければいけませんので失礼しますね。もしもあなたと本当に両想いになった時、拒まれると色々と面倒臭いでしょう? ですから先に話をつけておこうと思って。ああもちろん、外堀を埋めるという意味じゃありませんよ。愛のない結婚なんて二度といらないですから。……では」


 名残惜しくはあるが、その感情を振り切って応接間を出る。

 もう充分私の姿は見てもらえたから今日はこれ以上彼と言葉を交わす必要はない。それよりアルトに言ったように、今から侯爵夫妻と色々と交渉しなければならないのだ。面倒臭いが、全ては私の望みを掴むためである故に苦ではなかった。


 好きな人は、自分の力で手に入れたい。

 それが私の考えだった。公爵家の権力を振り翳し、無理矢理侯爵家を服従させることもできなくはない。でもそんなことはしたくない。

 かつてのようにアルトと本当の意味で好き合ってこそ、ここまでやった意味がある。

 

(たとえ彼の気持ちが何年も変わらずとも構いません。私は恋の障害を全て潰しながら、いつまでも待ち続けることでしょう)


 老婆になってもずっと愛されなければ、それはそれで仕方がないと思う。

 それはつまり私の力不足なわけだからだ。だがもちろん、そんな風に悲恋で終わらせるつもりは毛頭ないけれど……。


「もし可能なのであれば今すぐにでもウィルソン侯爵様にもお会いできますでしょうか。どうしてもお話ししたいことがあるのです」


「旦那様に、ですか。旦那様は現在多忙であります故、難しいかとは思われますが、お聞きして参ります」


「よろしくお願いします」


 執事長の初老の男性にそう頼むと、手持ち無沙汰になって私は廊下で一人ぼんやりと立ち尽くす。

 そしてふと周囲を見回した。


 一体何年振りにこの屋敷へ足を踏み入れただろうか。婚約者としての交流の際に招かれた時と屋敷の内装は大して変わらないように見える。アロッタ公爵家ほど豪華ではないが品のある装飾の数々には見覚えがあった。

 使用人の顔ぶれも覚えがある者が少なからずいた。


 懐かしい。本当に懐かしい。まるで幸せだった幼少期に戻ったかのような錯覚を覚え、思わず目に涙が浮かんでしまいそうになる。

 悪女に涙なんて似合わない。そう思ってすぐに涙を拭いたけれど、それでも溢れ出す思い出は止められない。


 屋敷の庭でアルトと一緒にお茶をしたこと。侍女の焼いたウィルソン侯爵領の特産品で作られた甘い茶菓子の味。屋敷を探検と称して二人で徘徊し、侯爵夫人に怒られたこと。エメリィ嬢はいつか私たちの娘になるんだなと言って、ウィルソン侯爵に可愛がられていたことも。

 まるで昨日のことのように鮮やかに情景が蘇る。十年間、ずっと忘れようとしていた過去。悲しくなってしまうからと自分の胸の中に仕舞い込むしかできなかった、とても楽しくてキラキラと輝いていた日々の記憶。


 でももうそんな心配はいらない。今から私は幸せになる。なってみせる。そしていつかあの幸せな日々のようにアルトと笑い合うのだ。

 だから、もう大丈夫。


「ふふっ」


 明るい未来を想像して、私は静かに笑みを漏らした。

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