私たちの父母とは

「今日の夕食は」

「私が作ります」

 休みの日になるとおはようございますの代わりにこんな言葉から始まる事も珍しくない。

 何も言わないと夫が勝手に作るからだ。

 しかも栄養バランスはともかく味は十分で私の面子が汚される気がする。

 それを趣味嗜好の範囲でやるからたまったものではない。

 どれだけ仕込まれて来たのかわからないが、夫の包丁はやけによく踊った。しかも掃除や洗濯もまたしかりであり、溶接工よりも家政夫の方が才能があるんじゃないかとさえ思えて来る。布団敷きで寝ていたからかベッドメイクだけは下手だが、そんな事でマウントをとってもどうにかなる訳でもない。

 こんな事をよそ様の奥様に言えばうちの亭主は、仕事から帰って来ると、私の苦労を、の合唱が来るのは目に見えていた。だが祐介は子どもでありどうしてもその口から秘密を話してしまう。

 そのせいでご近所の皆様にはご迷惑をおかけしてしまっているが、その度に私が生贄を作ってよそのご亭主様の擁護にかかる。私はその生贄を作る事に対し、罪悪感などない。噓つきは泥棒の始まりとか子供に言い聞かせる訳でもないが、今の夫にそんな色の消えない絵の具を塗りつけてのはその生贄のせいであり、私の責任ではないと感じたからだ。


「で、昼間は」

「たまにはゴロゴロしていてください!」

「でも」

「でもじゃありません!」

 私の言いつけを破って朝から掃除を始めた夫を強引に掃除したばかりのソファーに押し込む。妻として、肉体的な疲労はないとしても精神的な疲労はある。そして夫はこの点においては落第点に近い。

(浅野さんは本当にすごい人よね……)

 もし浅野さんが私たちの親類であったり、あるいは祐介の彼女だったりしたら人生は楽だろう。私は特に友人の多い方でもないが、浅野さんにはそれこそとんでもない数の友達がいてもおかしくない。単純に知識が豊富だし、引き出しも多ければ回転も速い。いったいどこからそんな知識が出て来たのかと言う事については、考えたいし考えたくない。奥さんの康子さんもまたしかりで、いい親になるのがすぐわかるほどだった。

 だが私の夫を前にして、仕事場ならまだしも家庭でその力を発揮するのは難しいだろう。夫は課長であり、家長である。そんな人間が我先にと家の事をやっていては、長でない人間が逆らうのは難しい。



「——————————有能な働き者は参謀にしろ、有効な策をどんどん提案するから。有能な怠け者は忙しい所に置け、楽に済ませたいからどんどんそのためのアイディアを出して解決する。無能な怠け者は一般社員か連絡役、さもなくば社長にしろ。言われた通りのこと以外しないからそれでいい。無能な働き者は放り出せ。働き者ゆえによく動くが無能ゆえに問題を起こしてばかりだから。」



 浅野さんに聞いた言葉からすれば、家庭内の夫はまさに有能な働き者だった。でもそれが家長であっては部下である私たちの心を痛め付け立場を悪くし、なんとなく空気を悪くする。


「そう言えば今日この後うちの両親が来るんだけど」

「えっ!」

「大丈夫、ウパーフードで頼んでるから」


 そんな人間を出し抜くのは、私たちの役目である。

 ウパーフードと言うサービスであらかじめ五人分、私と夫と祐介と私の父母の料理を注文しておく。もちろん代金はアポなしで突撃して来た私の両親持ちだ。ぐうたらな姿を見せるのが親孝行になると言うのが紛れもない現実であり、今の夫だった。

 それこそだらしのない、着古したにもほどのある部屋着を身にまとわせ家事をさせない—————。

「申し訳」

「それはこっちのセリフだよ譲君、こっちが言い出したのはもう駅に着く間際だからね」

 そしていかにも焦った風を装わせる。

 手のかかる夫だ。




「それで仕事の方は」

「今はアイディアを練っている段階です。会社からも一発大当たりしたからしばらくはメタルミューのヒットで凌げる、その間に次への段階を考えておけって」

 私たちの分のスパゲッティを口に運びながら、ようやく頬の筋肉が緩んだ夫の舌が動く。

 ペットロボと言う商品が世に出てから、どれだけの時間が経っただろうか。夫はそのペットロボの大幅な改良を行い、メタルミューと言う名前を命名した事により半ば食傷気味とも言われたその市場にて既存の市場を一気に支配するまでに至った。


 メタルミューには、AIがある。ご主人様の動向をしっかりと伺っては健康状態をも探知し、危なくなれば登録した存在へと助けを求める機能もある。一般的な市販品ではそこまでが限界だが、高級版だとそれこそ家を出て近隣住民に助けを求めたり、自ら110番及び119番をする機能まであるらしい。

(そして近々災害救助犬ならぬ災害救助猫になるとかならないとか……)

 そしてまだ噂の段階だが、メタルミューの体温関知に目を付けた行政機関が災害などの後の生存確認の際に、小柄で丈夫なメタルミューを採用するとか言う話がある。その開発に夫が携わっているとしたらそれこそ偉業と言うレベルであり、国民的を通り越して世界的になるかもしれない。だがそれでも、私たちの目の前でだけはだらしのない、情けない夫でいてもらいたい。

 あるいはこのまま、メタルミューだけで夫は生きていけるのかもしれない。だがそうなった場合、夫はおそらくどこかで仕事に見切りをつけてしまう。そうなればその穴埋めのように家族と言う名のもっとも高尚なコミュニティに依存する。もちろんボランティア活動などに行くかもしれないが、仕事がない日にわざわざ社会貢献ばかりされても本人は満足でもこっちは困る。三大欲求まで否定する姿は、まさに社畜。そんな存在を伴侶に持って心が痛まないのは、心を痛める余裕がないか、伴侶を金を持ってくる存在としてしか見ていないかのどちらかだ。後者は人間として落ちてはいけない所まで落ちている気がするが、前者も前者でなりたくはない。

 

「でさ、おばあちゃん」

「ああ祐介、また大きくなったね」

「うん。それで来月の第二日曜日さ、陸上競技の大会があるのー」

「そうか。だったら勝利のお祈りでもしようかなって」


 祐介の食べっぷりを見つめる私の父母は、とてもきれいな目をしている。私を産まれてから今まで見守って来た目、この家に入った譲を見る時と何も変わらない奇麗な目。ほどなくして企業から離れる事となる父の髪の毛は量こそ減らなかったがまったく黒さを失っていた。でもそれこそある種の苦労の証であり、同時に若さの証でもある。第二の人生を楽しむにはまだまだ時間があると言う嬉しい証左。こんな顔ができる老人になりたい。

 それが、私の目標であり、果たすべきノルマだった。

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