第五章 その3

 大型の商業施設を見つけてそこに入るとカヨを下ろした。

 ぜぇぜぇと情けないほど息が切れて、額や背中に汗が流れる。入り口から外を見るが追ってくる姿はない。

「さっきは……よくやったな」

 切れ切れに言うと、カヨは目を大きく開いて俺を見上げた。

「さっきあいつらにものを投げつけて時間を稼いでくれたおかげで、逃げられたんだ」

 そう言うとカヨは笑うように唇を動かし、ゆっくりと一つうなずいた。

 奴らが追ってこないのを確認して、商業施設の中に入る。三階建ての大きな建物で、土地の広さを存分に生かした作りになっていた。建物に入るとすぐに吹き抜けになっていて、通常であれば、上のフロアの店舗も見えてにぎやかだっただろう。いまは何も置かれていない店やシャッターの下がった店などしかなく、虚しさをいっそう引き立てた。

 エントランスから出入り口に戻り、そこにあったイスに腰をかけた。

「すまん、カヨ。ちょっと休むから外を見張っていてくれないか? 誰かが来たらすぐに教えてくれ」

 走りすぎたせいか、さっきから頭がクラクラしていた。カヨはうなずくと、開きっぱなしの自動ドアのところから顔を少し出した。

 カヨは目も耳もいいので、見張り役にはピッタリだろう。建物の中に入ってどこかに隠れるようにして休んでもよかったが、それだとあいつらが近くに来た時にわかりにくい。ならカヨを見張りに立てて、あいつらが来た時に中に逃げ込んで隠れればいい。しばらく呼吸を深くしているとすぅ、と意識が遠のいていった。


 ……目の前にはビニールシートがあった。三歩か四歩もいけば海に入る場所に。俺はその下にあるものを知っていた。太陽によって、てらてらと光っているビニールシートに手を伸ばす。

 やめろ、と小さく声が聞こえる。見ちゃいけない。

 しかし体は止まることがなかった。ビニールシートを掴んだ手は小さく、幼い子供特有の丸みを帯びていた。自分の小さな手に俺は身体中が冷たくなる。

 ダメだっ。それを見るな。悲痛な警告はしかし、体の動きを止めることができなかった。小さな手が動き、ビニールシートがずるりと落ちる。

 そこにいたのは、頬がこけ、空な目をした男だった。俺は息を呑む。茫洋とした目は何を見ているのかわからない。

 突然、その男の目が大きく開かれ、鋭い瞳を俺の方に向ける。俺は咄嗟に逃げようとするが、その前に男が俺の腕を掴んできた。男は立ち上がって俺を引きずりながら歩いていく。

 ……海の方へと。

「や……やめて」

 口からでてきた声は幼く、また弱々しかった。俺は男の意図がわかって震えた。踏ん張って進まないようにしたが、子供の力で男は止まらない。強い力で引っ張られていく。

 たまらずに叫んでいた。

「やめて、やめてよっ。父さんっ!」

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