第‘20話 周辺国の絶望


 鈴木が落ちてきたことでベリアルデ王国は救われた。


 だが世界にあるのはこの国だけではない。


 ベリアルデ王国からかなり離れた場所では、城塞都市に黒獄虫が波のように押し寄せていた。


「じょ、城門が突破されるぞ!? 早く! 早く防げ!」

「ダメだ!? もう……」


 黒獄虫によって城塞都市の正門が粉砕され、城塞の上にいた兵士たちが悲鳴をあげた。


 そこから先は蹂躙だ。黒獄虫は待っていたと言わんばかりに、雪崩のように街に侵入していく。


「た、助けてくれぇ!? 誰かぁ!?」

「や、やめっ、やめろおおお!?」


 人々は黒獄虫に噛まれて痙攣して動けなくなり、そのまま背負われて運ばれていく。


 広場で、教会の中で、屋敷で、民家で。至る所に黒獄虫は入り込んでは、愚かに震える人間を襲う。


「ま、待って!? お願い! 子供だけは許しっ……!」

「お母さん!? 怖いよぉ! 助け……」


 民家の奥に隠れていた母子が黒獄虫に見つかり、母は意味のない懇願を繰り返した。


 だが当然ながら黒獄虫が聞くはずもない。母を噛んで麻痺させて担ぎ上げ、他の黒獄虫が子を同じようにする。


 黒獄虫の前では誰もが平等だ。王も貴族も平民も関係なく、噛んで担いで運んで帰る。


 この凄惨な光景はこの世界では当たり前だ。今や至るところで毎日のように、黒獄虫によって人は蹂躙されている。


 ベリアルデ王国のような奇跡は起きない。


「だ、誰か助けて、助けてくれええええぇぇぇぇぇ!?」


 哀れな悲鳴に答える者はおらず、そして静まり返った。




^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 


 ベリアルデの港町メーユの広場で、人々が集まっていた。


 彼らの視線の先にあるのは、町の外で立っている鈴木だ。城壁すら膝程度の高さの巨人は、町の中からは常に丸見えであった。


「巨神様が今日も俺たちを守ってくださっている……」

「なんとありがたいことか……」

 

 鈴木を拝んで祈る人々たち。


 彼らは黒獄虫に襲われた町がどうなるかを、奇跡的に生き残った人からよく耳にしていた。


 そして王都が陥落し、とうとう自分たちがそうなる番と震えていたのだ。


 そんな状況で落ちてきた鈴木だ。人々にはもはや神の救いの手にしか思えなかった。


「あのお方がいらっしゃってから、毎日なにかを食べられるようになった」

「まさか俺が港町に住むことになるなんて、つい一週間前には夢にも思わなかった。これも巨神様のおかげだ……」

  

 人々は思い思いに話す。


 メーユに住むすべての人間は例外なく鈴木に感謝している。


 決戦で敗北して以来、ベリアルデの民の心には恐怖しかなかった。彼らは黒獄虫が王都に侵攻してくるまで、震えて待つだけの哀れな存在だった。


 それが鈴木が来てから全てが変わったのだ。


 王都を包囲した数えきれない黒獄虫を潰し、巨大な船で遠く離れた港町へと運ばれた。


 他には大量の木材を渡してくれて、魚まで取ってきてくれている。


 さらには一日で城壁の周囲に掘りを作ったり、挙句の果てには水路付きの畑まで耕してしまった。


 小人たちにとってそれらは、数十年の期間をかけて達成することだ。


 周囲の状況がたった一日で、二十年ほど変わりゆくようなもの。まさに神の御業にしか見えなかった。


「巨神様が歩くたびにさ! 黒獄虫が潰されてるんだよ! まじやべぇよ! 俺たちがあれだけ恐れた黒獄虫がだぞ!」

「俺は元農民なんだがよ、畑なんてもう作れないと思ってたよ。昔はあれだけ畑仕事が嫌だったのに今は思っちまうんだ。また耕したいなぁ……って」

「耕せるさ。巨神様が水路で囲んだ畑を作ってくださったんだから」


 人々の心に芽吹いたのは希望だ。


 彼らはみんな、今を噛みしめるように楽しんでいる。


 絶望を味わったことで、これが幸せなのだと理解した。ただ平凡に生きられるということがどれだけ得難いことなのかを。


 鈴木がやってきたからの王都の人々は本当に幸福だった。みんなが広場で談笑している。


 ――だがどこかでその笑顔は陰っていた。


「ねえねえお母さん。なんでスズキ様っていつまでいてくださるの?」


 広場にいる子供が母親へ素朴な疑問を投げかける。


「い、いつまでもよ」

「そうなの? それなら嬉しいな」

「……当たり前じゃない。巨神様は守ってくださってるの。さあ海に行きましょう。貝殻の殻でももらいに」

「わーい!」


 母親はなにかをごまかすように子供をあやしつけ、広場から去っていく。


 その声は周囲に聞こえていて、広場で談笑していた者たちの笑い顔が消えた。


 先ほどまでの幸せそうな顔から、暗く薄望を持った表情へと。


「……巨神様、いつまでいらしてくれるんだろう」

「俺たち、もらってばかりでなにも返せないもんな……」


 メーユの民たちには今の幸福はある。だが将来への希望は生まれていない。


 現状は鈴木がいなくなれば終わるだけの、泡沫の夢でしかなかった。


 そして彼らには鈴木がこの町に残る理由が思い当たらず、ふとした気まぐれで終わるような関係に見えていた。


 つまりこの幸福はいつか終わる。鈴木がこの町からいなくなった瞬間に、再び絶望の海へと叩き落されるのだ。


「そ、そんなことあるものか! 巨神様はいつまでも俺たちを助けてくださるんだ! そうに決まってるだろ! なあ!?」


 広場に響いた叫びに答える者はいなかった。


 そして周囲に鐘の音が響く。城壁の上にいた兵士たちが町に向けて、悲鳴のような叫びを届ける。


「た、大変だ! 黒獄虫の群れが! 夥しい数が! 攻めてきてる!?」

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