黒蜥蜴

第11話 悪者?

 三階にある三年生の教室に向かう道中、四人は環の言った「あいつ」が誰なのかについて話していた。


「Bの悪餓鬼といえばやっぱり西宮にしみやくんでしょ」


 夏南が言う。


「西宮は反省文書くようなことしないよ。反省文で済むようななまっちょろいことはね」


 慶が否定する。


「なら山崎やまざきさんとかじゃない?」


 ももが言う。


「あの人狡猾だから、反省文書かされることになるようなヘマはしないと思うよ」


 優奈が否定する。


「うーん……」


 四人同時に声を出した。


「──あ、岳じゃない?」


 はじめに閃いたのは優奈。


「確かに、今朝は多分遅刻しただろうし」


 ももがぽんと手を打つ。


「ってことは、岳と一緒に反省文書かなきゃいけないのか……」


 慶が少し嫌そうな顔をする。


「岳と何かあったの?」


 夏南は不思議そうな顔をする。


「昨日、ちょっとだけね」


 苦笑。そうこうしていると、三年B組の教室の前まで辿り着く。


「失礼しまーす」


 慶、夏南、優奈、ももの準備で中に入ると、中では岳が一人で反省文を書いていた。


「……もう一度遅刻する程登校日数は残されてはいませんが、今後は気をつけようと思います。…いや、何かちょっとふざけてる感じになるから駄目だな」


 ぶつぶつと呟きながら推敲しているらしい。

 扉がガラガラと音を立てて開いたから、岳はすぐに四人に気づき、とても不快そうな顔をする。


「……何?放課後になってから学校来たの?」


 いやみったらしく言う。


「あはは、寄り道してた…」


 そのネガティブな雰囲気を真っ先に受け取った夏南は苦笑いする。


「寄り道ってのはそんなに長引くもんかね」


 わざとらしく、大きなため息をつく岳。


「なあ」


 血管を額に浮かべつつ、慶が言う。


「……何さ?」

「お前昨日から何なの?急に突き飛ばしてくるし、朝だって感じ悪かったし、今だって」

「お前が……お前らが嫌いなんだよ」


 慶の言葉を遮った岳の発言で、ぴしゃりと水を打ったように、辺りは静まり返った。教室の時計が時間を刻む僅かな音も、開け放たれた窓から入り込む風が奏でる音も、外から流れ込む下校中のクラスメイトの笑い声も、全ての音が消えた。

 否、消えたわけではない。全てが聞こえなくなったのだ。勿論、岳があまりに大きな声を出したので鼓膜が破れた、なんて話をしているわけではない。

 四人は、岳の放った言葉によるあまりの衝撃で、一時的に周りの音を聞くことすらできなくなっていたのだ。


「──え?」


 完全な静寂の中、声だけが教室に響く。


「やめてよもう、そんな嫌な冗談……」


 優奈は動揺し、夏南はなんとか場を取り持とうとする。ももは何も言葉を出せずにおろおろとしながら手を動かし、慶はただ口をぽかんと開けている。 


「ね、何か、そういうドッキリなんでしょ?」

「何がドッキリなもんか。ふざけるのもいい加減にしろよ!!」


 机を思い切り叩いて立ち上がる岳。声色も仕草も、怒っているとすぐにわかった。


「……全部、フリだったんだろ」


 信じてたのに。そう呟いて、岳は教室を後にした。

 四人が開けっ放しだった扉を岳が閉める。

 その音をきっかけに、彼らに音が戻ってきた。

 風の音がする。時計の音がする。


「──っ!?」


 それを聞いて、止められた時間が動き出したように四人は同時に息をし始めた。──岳が叫んでから、今の今まで、できていなかったのだ。

 あまりの衝撃と、藪から棒な、岳の怒りのせいで。


「なんで、岳はあんなに怒ってるの……?」


 優奈が力なくそういった後には、また沈黙が続く。


「私たち、何もしてない……よね?」


 しばらくの時間を開けてものを言う余裕が生まれたももがそう言うと、皆が頷いた。

 そしてまた俯き、沈黙が続く。


「岳おまたせー……って、あれ?」


 その重苦しい雰囲気など何も知らない、一人の教員が歩いてくる。


「──あ、君たち」


 あー、間壁先生の言っていた先生ってこの人か。

 ちょっと、ももが面倒なことになりそうだな。


「あ、やなぎ先生」


 内田が学校を去った後に代わりとしてやってきた数学教師のやなぎ倫太郎りんたろう。生徒に疎まれ気味であった中年で下心丸出しの内田とは打って変わって新任で若く爽やかな柳がやって来たものだから生徒たちからの信頼は厚く、好きな教師ランキングを作るとしたら一位は確実だろう。なんせ


「あーっ!愛しの柳先生!!」


 もものように、好きの方向性が若干皆と違う生徒がいたりするくらいなのだから。

 両手を前に突き出したももは柳に突進する。


「うおっ、危ない」


 危ないだなんて欠片も思っていない、余裕たっぷりの表情でひらりと躱す。


「おぼふッ」


 ももは黒板に突っ込む。

 ガシャーン、ガラガラ、と変な音がした。


「柳先生、本当いつもすみません……」


 保護者かのように、優奈が頭を下げる。


「いいよいいよ。好かれてる証拠だし、もう慣れたし」


 苦笑しながら、柳は言う。


「それより、その、悪いんだけど……」


 何か気まずいのか、柳は言葉を詰まらせる。


「何ですか?」


 慶が訊く。


「──坂口の為に、今日は帰ってくれないかな」


 四人、口を揃えて「は?」と言う。

 岳のために?


「その、坂口から聞いたんだけど……」


 柳は重い口を開いた。


「はぁ!?そんな訳、無いじゃないですか!!」


 途中で激昂し、机を思い切り叩いた慶の肩を夏南が抑えようとした。しかし運動部として三年間を過ごした慶の力は夏南にとっては凄まじく、かなり引っ張られる。


「ちょっと、気持ちはわかるけど……」

「だって……だってよ!!」

「ご、ごめん。僕だって君らを疑ってるわけじゃないんだよ」

「じゃあなんで俺らのこと悪者扱いするんですか!」

「僕は悪者扱いしてないよ。ただ、坂口はずっとそう思い込んでるんだ」

「なら岳の思い込みを訂正してくださいよ!」


 慶の叫びを聞いて、顔を曇らせる。


「そう軽々しく言わないでくれよ。僕にそれができるならとっくの昔にやってたさ」


 悔しげな顔で、四人を見る。


「でも、教師が訂正したって自体は悪化するだけだ。部外者なんだよ、たかが数学教師なんだよ」


 学生のコミュニティで生活する四人は、気持ちが痛いほどわかった。如何に人気な教師であっても、生徒の悩みに深入りできる程の親密さは持ちえない。教育委員会が何を望みどんなことを考え何を行おうとも、生徒にとって、教師は悩みを相談するための存在ではないのだ。それに、相手が岳であるならば、尚更。


「──ただ、もしも。もしも君たちが坂口の間違いを正して、友情を取り戻したいならば……」


 小さな紙袋を四人に差し出す。


「僕は、君たちの味方だ」


 紙袋の中は膨らんでいる。中身はなんとなく想像がついた。

 四人の顔が、少し明るくなる。

 そしてその封筒を受け取ろうと手を伸ばしたももが、何かに気がついて呟いた。


「ところで、岳もう帰っちゃいましたけど」

「……まじかよ。あいつまだ遅刻の反省文出してねぇぞ、まったく……」


 少し顔の向きをずらしてそう言いため息をついた後、岳は四人に向き直った。


「じゃあ、君たちも反省文無しで帰っていいよ。どっちも罪状は遅刻だから、君らのが派手な……ほぼサボりと同じレベル遅刻だったとはいえ坂口だけ反省文無しはフェアじゃないし。そもそも反省しても明々後日には卒業だしね」

「柳生徒……!」

「やめろ越前、そんな目で見るのはッ!突進は慣れたけどそっちは慣れてない!」

「そんなぁ……」


 ももが肩を落とす。と、同時に何かに気付いたらしく、声を漏らした。


「──あ、そういえば」

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