第8話 まずいことに

 その頃、二階から鳴き声やら怒鳴り声やらが響いていたと思ったら突如として静かになり、なんだなんだと一階にいた四人は混乱していた。


「やっと静かになった」


 地震でも起こったかのように頭を抱えしゃがみこんでいた優奈はようやくその体制を解く。


「姉弟喧嘩かなんかだったのか……?」


 慶がそう言って悩んでいるところに、いやいやと夏南が声をかける。


「……多分岳が打ち明けたんだよ、美波さんに」

「打ち明けた?」

「ずっと風邪だって言っていたけど『本当は違った』って話をさ」

「あー、なるほど」


 慶がうんうんと頷く。


「あ、降りてくる」


 ももが振り返りながら言う。

 その言葉に反応して、三人も振り返った。

 ──しかし、人が降りてくる気配は無い。


「おっかしいなぁ。足音がした気がするんだけど」

「マジで?俺は全然聞こえない」

「マジマジ!ほら、聞こえてるって!」


 また皆で耳を澄ますが、やはり慶には聞こえない。

 夏南にも、優奈にも。


「……あ、ノックしてる」

「なんで急にノック!?」


 何も聞こえない三人は同時にツッコむ。


「私だってわかんないよ!でも、コンコンってノックして」


 ももの言葉を遮るようにチャイムの音が鳴る。


「あー、外にいたのか!」

「ももお前、外の足音に反応してたのか!?」


 一人で納得した聴力の怪物は、立ち上がって玄関に向かう。


「ちょっと、人の家で応対するのはおかしいでしょ」


 夏南が至極真っ当なことを言う。


「大丈夫だって。どうせセールスか宗教勧誘でしょ。姉弟の時間の邪魔はさせないよ!」


 ももは楽観的に言う。そして、彼女が扉に辿りつく直前、ひとりでに扉が開く。


「お邪魔します……」


 ぜえぜえと息を切らしながら中に入ってきた女は、ももをみて目を見開いた。ももはももで目を見開く。


「もも!?」

間壁まかべ先生!?」


 まずい。非常にまずい。今年うちの学校に新卒でやってきた、三学年の体育教師かつ、『脳筋の良心枠』『脳筋美女』など二つ名の多いことで有名な間壁まかべたまき。まさか彼女と学校外で出くわしてしまうとは。いや、道端ばったり会うなら別に構わないのだ。悪い人では決してないから。ただ、学校を抜け出してやってきた友人の家で出くわすのは、ちょっとだけ、いや、かなりまずい。


「まさか、こんなところにいたとはねぇ…」


 ももは耐えきれずに彼女の顔から目を逸らした。あの般若のような顔は、見るだけで寿命が縮む。


「それに、慶と優奈もここにいるね?」


 ももが言い訳する暇もなく、ずかずかと奥に進む間壁。


「ほらみろ、やっぱり!」


 呆れたような顔で叫ぶ。


「ええっ、間壁先生!?」

「どうしてこんなところに!?」

「やっぱり授業サボったらバレるんだって!」


 優奈は今更焦って慶の肩をバシバシと叩く。


「……それで、なんで岳の家にいるの?」


 間壁は四人に問を投げかける。


「お見舞いなら、放課後でも来れたよね?」


 静かに、圧をかけた。

 生半可な答えは許されないと直感的に理解する。

 正直に話すか?いや、岳のイジメの話は岳の口から話されるべきである。ならば嘘をつくか?いや、この脳筋美女を怒らせたらどうなるかわからない。

 三人は頭を抱えた。


「……お見舞いじゃないって感じの顔だね」


 間壁は脳筋の癖に察しがいい。


「ま、いいんだけど。ほら、早く学校帰るよ?」

「いやいやいやいや」


 慶は全力で首を横に振った。


「間壁先生は何しに来たんですか!」

「それがねぇ……」


 間壁曰く、つい先程唐突に呼び出されたらしいのだ。女性の声で「岳のことでお話があるのですぐに来てください。鍵は開けておきます」と言われたとのこと。


「じゃあなんでノックしたんですか?」

「そりゃあ、ノックくらいはしないと泥棒だと思われちゃうかもしれないじゃん」

「ノックしても勝手に入ったら泥棒に見えるのでは……?」


 そう言う優奈の目の端に、階段から誰かが降りてくるのが映る。


「……あ、お邪魔してま」

「岳の担任の方ですか?」


 美波は食い気味に訊く。


「すみません、担任は授業中でして。私は副担です」


 間壁は軽く頭を下げながら返す。


「そうですか。なら担任を呼んで下さい」

「いやその、担任は今」

「呼んで下さい」

「いえ、現在C組で授業を」

「岳のイジメに担任の内田うちだ先生が関与しているので、呼んで下さい」

「え」


 間壁は声を漏らす。


「それともイジメを揉み消すのが日下部高校の教育方針なんですか?でしたら警察に相談させて頂きま」

「ちょ、ちょっと待って下さい!イジメ!?」


 間壁は本当に何も知らなかっけかけけささたようで、心臓か何か出てきそうな位口を開いて叫んだ。


「知らなかったんですか?」


 美波は心底軽蔑するような視線を間壁に送る。


「え、ええ。今、内田先生呼びます!」


 素早く携帯電話を取り出して電話をかけたのはいいが、授業中なので繋がらない。


「いっつも肌身離さずスマホ持ってるくせに……!」


 間壁は次第に苛立ち始める。


「ああもうっ、出ない!!」


 四コール程で我慢できなくなり、電話を切る。


「ちょっと、内田先生呼んできます!!」


 そう宣言すると、家から飛び出していった。


「なんか、嵐みたいな人だったね」


 間壁が出て行った後、美波は失笑する。


「……さっきの美波さん、別人みたいだった」


 夏南がぽつりと呟く。


「万一学校にイジメを揉み消されたりしたらたまんないからね、強気に行かないと!」


 美波がにかっと笑う。


「にしてもさっきの……間壁先生って言ったっけ?あの人来るの早かったなー」

「早かった?」

「うん。二分前に連絡したばっかりなのにもう来たから、びっくりしちゃった」


 四人は愕然とした。

 岳の家から日下部高校までの距離は約四キロ。四キロを二分となると、時速百二十キロメートルである。

 しかし人は電話を手に取った瞬間走り出すことなどできないので、実際にはもっと早かった可能性が高い。

 高速道路で自動車と並走できるレベルの走りは、人間業では無い。


「あの人バケモンでしょ!?」


 そう言う夏南の声に紛れる、誰かの足音。


「姉さん、さっき間壁先生の声が聞こえた気が──」

「あっ!岳!!」

「えっ!?はっ!?何でいんの!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る