もののけ話集

ロジーヌ

河童の皿(1)

 相撲を取らんか。

 唐突にそう言われ、太郎は驚き、手元の魚籠を落としてしまった。ああ、魚が逃げてしまう。そう慌てて手を伸ばしたが、ろくに肉も付いていない痩せた子供の腕力を、魚は全力で振り切り、ぴちぴちと器用に跳ねて、その勢いのままに川へ落ち、流れ泳いで行った。

 せっかく釣れたのに。太郎がそう溜め息を吐くと、河童は笑った。

 魚なんぞ、いつでも捕れるだろう。

 その嗄れた声は妙に太郎の癇にさわり、怒りに任せて体をぶつけた太郎は、思いがけず河童と相撲をとる格好になった。

 太郎は4つ。河童も小柄とはいえ、1尺ほど身丈が違う。えいや、せい、など楽しそうに河童は声を上げるが、太郎は顔を真っ赤にして必死に抵抗する。がっぷり四つに組んでいるはずだが、そもそも河童の体はぬめりとしていて上手く掴めない。

 汗だくになり、ふうとひと息ついた拍子に太郎の体からは力が抜けて、その隙を待ち構えていた河童は両の腕を回した。太郎はどうと派手な音を立てて背中から地面へ叩きつけられ、息を詰まらせる。

 おいの勝ちじゃな。

 河童はからからと陽気に笑った。

 痛む背中をさすりながら起きあがろうとした太郎は、その剽軽な顔を軽く睨み、そして村の大人達が言っていた事を思い出した。河童と相撲を取るな。負けたら尻子玉を抜かれるぞ、と。

 わあ、と思わず涙目になった太郎を見て、慌てたのは河童だ。なんじゃ、おいが虐めたみたいじゃろう。よしよし、ああ、泣くな。そうか、尻子玉を取られるかと思うとるんじゃな、いやいやおいは、そんなものは取らん。安心せえ。

 そこまで聞いても、太郎はまだ泣いている。どうしよう、尻子玉を抜かれたら死ぬんじゃろう、怖いよう、と。

 河童は更に困り、どうしようかと考えた。すると太郎の魚籠が目に止まり、これだ、と川へざぶざぶ入る。ぴしゃんぴしゃんと水音がするので、太郎が何事かと見ると、河童が水面を叩いている。不思議なことに、河童が触れてもいないのに、魚がひとりでに魚籠へ入るのだ。太郎が目を丸くしていると、魚で一杯になった魚籠が目の前に差し出された。

 ほうら、これで親にも申し訳がたつじゃろう。

 河童はけけっと笑い、魚籠を太郎の胸元にずいと押し付けた。ありがとう、とやっと言葉を発した太郎に、河童は、また来いよ、と声をかける。また相撲を取ろう、と。

 うん、と太郎が首を縦に振り終わる前に、河童はざぶんと川に飛び込み、そのまま上がって来なかった。


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