第5話「大切なこと」

 迎えた“決戦”当日。この姿では目立つからと、アルニラもシェダルも髪を黒色に染め、目も黒色に変えた。更にフード付きの上着を深く被り、尖った耳を隠す。


 チキュウの電車の乗り方は昔ツムギに教えてもらっていたので、多少戸惑いつつなんとかなった。

 辿り着いたシモツキヤマ霜月山のふもとには、老若男女問わない多くの観光客で賑わっていた。それはシモツキヤマが、この辺りでは紅葉で有名な山だからだという。


 ふもとには石畳でできた通りの左右に土産物屋や食べ物屋などの多くの店が長く並んでおり、通りを真っ直ぐ行くとロープウェイ乗り場がある。そのロープウェイに乗りながら眺めるシモツキヤマの紅葉が、秋の絶景なのだと。


 紅葉か、とアルニラは正面にそびえるシモツキヤマを見上げる。山全体が、所々に黄色が混ざりつつ、赤色に染まっていた。アルニラの目には、山が炎に包まれ燃えているように映る。


「僕の心はこの山のように炎と化している……!」

「燃えているわけじゃないけどな、山」

「さて、ツムギとろくでなしはどこにいるのか探さないとだな!」


 辺りをくるりと見回す。休みの日だからか多くの人がおり、特に家族連れの客が目立つ。


「……僕とツムギを繋ぐ運命が、ツムギはあっちにいると言っている!!」

「つまり勘ってことか」

「ただの勘じゃないからな! 行くぞ、シェダル!!」


 人にぶつからないように気を付けながら、アルニラは突き進んでいった。

 絶対にこっちの方向にツムギがいる。確信できるのは、ツムギが自分を呼んでいるに違いないからだ。絶対にそうなのだ。


「あ!」


 そうやって走っていったときだ。アルニラの目に、目当ての人影が飛び込んで来た。


 行列の並ぶ店から、ツムギと、妙にがっかりした顔をした男性が出てきたのだ。


 男性のほうは、温和そうな顔立ちをしているが、正直それ以外に特筆すべき点が見当たらなかった。少なくとも絶世の美男子では決してない。本当にあいつなのか、と疑ってしまった程だ。


 追いついたシェダルと近くの建物の影から覗き込み、耳を澄ませる。ミラク星人は、集中すると聴覚が鋭くなるのだ。


「ああ……。スイートポテト売り切れなんて……」男性が言った。

「しょうがないよ、優陽。霜月山一番の人気メニューなんだから」

「予約しておくべきだったな……。ごめん、あんなに力入れてプレゼンしたのにこんなオチで」

「まあお取り寄せしてもいいし、何ならまた来てもいいじゃない。気にすることないって」


 一連のやり取りを盗み聞きしたアルニラは、勢いよくシェダルのほうを向いた。


「なんだよ、嬉しそうな顔して」

「だって! シェダル、今の見たか?! お勧めのお菓子をプレゼンしておいて手に入らなかった詰めの甘さ! スマートさに欠ける行動! あのユウヒとかいうやつ、僕が思っていたよりずっと格好悪いぞ!」

「アルニラもスマートな行動とるの苦手だろう」

「それは置いといてだ! しかもユウヒ、自分の失敗をツムギに慰められている! 情けない! これが示す意味はただ一つ! ツムギとユウヒは釣り合わないということだ! 勝った! 何かのきっかけがあれば、二人はすぐ別れる!!」

「あ、移動するぞ」


 ツムギとユウヒが歩き始めた。急いでアルニラも、ばれないように少し距離を保ちつつ、後を追った。

 すると、少ししてまた二人は立ち止まった。


「見てよ、焼き芋だよ」ツムギが指さす先には、確かに焼き芋を売る店があった。

「いいさつまいも使ってるみたいよ。同じ芋だし、これでリベンジするってのは?」

「いいね、いい! 凄くいい案だ!」


 二人は焼き芋を買うと、軒先に置かれてあるベンチに座って食べ始めた。


「わっ、凄く甘い! 黄色も凄く濃いし!」

「本当、砂糖がかかってるみたいだ! とてもねっとりしてる!」

「あの日食べた焼き芋とは全然違うねえ」

「あ、あのときね。でもあれはあれで、別の美味しさがあったよ」

「あの日の……優陽の……転がり落ちていった姿……。ふ、ふふふっ……!」

「恥ずかしいから思い出さないでって!」


 口を片手で押さえて前屈みになり、小刻みに震えるツムギ。人がいなかったら声を立てて笑えるものを、懸命に堪えているときのリアクションだ。


 それを物影から見ながら、アルニラは呟いた。


「あの日って、なんだろうな……」

「わからないけど、その日に何かあったっぽいな」


 アルニラがチキュウに来たのは数日前。それよりも前に、ツムギとユウヒとの間で何かがあったららしい。その“何か”は、ツムギが思い出す度に笑顔になれるものだったらしい。


「……」


 視線が、静かに下がっていく。


 そのときだった。


「駄目だ、喉が渇く! 少し待っててくれるかな、ちょっと水買ってきたいんだ!」

「じゃあ私も、お茶お願い」

「了解!」


 はっと我に返った。ユウヒだけ移動するらしい。これは、とアルニラは前のめりになった。


「チャンスだ!! 奴にトドメを刺すぞ!」

「トドメ?」


 急いでユウヒを追いかける。ユウヒは少し行ったところにある自販機の前で立ち止まると、水とお茶を買った。水、水、とその場でふたを開けて飲み始める。


 今だ、とアルニラはユウヒに向かって走っていった。その痩せ気味の体に、間違ってぶつかってしまったというていで、体当たりした。


「うわあっ!!」


 ばしゃばしゃ、とユウヒの服に水がかかる。アルニラのフードも少し濡れる。


 大成功だ、とアルニラはほくそ笑んだ。


 アルニラの中で、自分とツムギを引き裂いたユウヒが情けなくて格好悪いろくでなしなのは決定事項だった。そういう奴は、間違いなく器が小さい。お子様用の取り皿よりもずっと小さい器だ。なのでこの場面では間違いなく、ぶつかってきたアルニラに怒り倒すだろうと踏んだ。


 アルニラのほうが明らかに年下だから、自分の力を誇示しようとして、恥も外聞もなく感情的になるだろう。その姿をツムギに報告すれば、ツムギは幻滅。婚約を解消し、アルニラを選んでくれる。


 アルニラはこの計算式が、穴一つない完璧な形をしていると心から思った。


 さあ怒鳴り散らかせと、アルニラはユウヒの顔を期待の眼差しで見つめた。


「だっ、大丈夫かい君!!!」

「……え?」


 ところが。真っ赤に染まると思っていた顔は、実際には真っ青になっていた。


「ごめん、本当に大丈夫?! あっ、濡れてるじゃないか! えーとハンカチ……はさっき使ったな、じゃあこっちか!」


 ユウヒは慌ただしくポケットティッシュを鞄から取り出し数枚抜き取ると、アルニラの濡れた箇所を拭きだした。その間ずっと謝っていた。


 あれ、とアルニラの頭に疑問符が浮かぶ。計算式は?


「チャンス、失敗したみたいだな」

「わ!」


 後ろから突然、シェダルに話しかけられた。


「あっ、君はお友達かな?」

「はい。お騒がせしてすみませんでした。もう大丈夫です」


 良かった、とここでユウヒはにっこり笑った。穏やかそのものを体現しているような笑顔だった。


「でも僕のほうこそ本当にごめん。少しぼーっとしてたものだから……」

「……何か、あったんですか?」


 気がついたらアルニラは聞いていた。ツムギと来ておきながら、なぜぼーっとすることができるのかと思ったのだ。


 すると、ユウヒは「うーん……」と少し渋った様子を見せた後、声を潜めて言った。


「実は僕、この前告白した人と一緒に来ているんだよ。告白と言っても、保留されているから、返事を待っている状態なんだけど。だからつい、考えてしまうんだよね。OKなのかNGなのかって、どうしても」


 え? アルニラの頭に、疑問符がもう一つ浮かぶ。どういうことだ? “婚約者”ではなかったのか?


「返事を……待っているのか? 聞き出しはしないんですか?」

「それは、うん。急かして相手の負担になってしまったらって思うと、どうしてもね。でも気になってしまうのは止められないっていう。ジレンマってやつだ」

「そうやって迷っている間に、もし別の男に取られたらっていう不安は起きないんですか? 頭も良くて運動神経も良くて人付き合いも上手くて顔も良くて性格も良くて金持ちで、何から何までハイスペックな完璧超人が、相手の人を好きになる可能性だってあると思うんだけど」

「え゛っ、そこまで完璧な人が現れたら……。あ、諦める、かな、うん……」

「顔、引きつってますよ?」

「声も震えてますね」


 うっとユウヒは声を詰まらせた。


「ほ、本音を言うなら、辛い、かな。凄く辛い。……けど、自分が完璧から程遠いのは、自分でよくわかっていることでもあるから。こういう場面で強気に行かないから駄目なんだろうけど……。それでもやっぱり、あの人が幸せになる確率が高いほうを、あの人に勧めると思うな」


 無理に耐えているような顔で、それでもユウヒは微笑んだ。


「その人とは、15年くらいの付き合いなんだよ。15年の間、その人が辛い思いを味わったところを、何度も見てきた。この先の人生、あの人が泣いてきた以上に、笑顔でいることが増えてほしいんだって、心から願ってるんだよ」


 どくん、とアルニラの心臓が大きく跳ねる。


 なんか恥ずかしいな、とユウヒは顔を赤くして笑った。照れ隠しのためか、「じゃあ、僕はこのへんで」とそそくさしながら去って行った。


「……追わなくていいのか?」

「なあ、シェダル。僕は、正しいことをしていると思うか?」


 シェダルは困惑を表情に浮かべた。戸惑うとわかった上で言ったことだったが、黙ったままでいられなかった。


「さっき、たとえ話で僕は、なんでもできる完璧超人の例を出した。けど、僕がそういうハイスペックだって……。ユウヒより絶対スペックが高いって、言い切れるか?」

「ど、どうしたんだ、アルニラ」

「……いや」


 ツムギに笑顔になってほしい。ユウヒの願いは、アルニラと同じだった。


 が、願うことは誰にでもできる。重要なのは、実行できるかだ。


 片方は、15年間、チキュウでツムギの傍にいた。もう片方は、チキュウでツムギが泣いていることなど知らないで、ただ自分の願いを叶えるためだけに動いていた。


 それでどうして、「勝てる」と言えるのだろうか。


「……僕は、一番大事なことを、見落としているんじゃないか?」


 ユウヒはツムギの婚約者ではなかった。保留されていると言った。ではなぜ、ツムギはあのとき、「婚約者がいる」と断ったのか。


 ツムギの心が不明で、何も見えない。それは、自分がまだ、ツムギがどう思っているか、一切聞いていないからだ。


 山はまだ、燃えている。真っ赤だ。しかしアルニラの心の炎は、いつの間にかどこかに消え去っていた。


 それでも一応、二人のあとは追いかけた。だが明らかに、最初のときより必死さは薄れていた。黙々と追いかけるだけだ。自分がどうしたいのか、ぶれないと思っていた部分が揺れているのがわかった。


 途中、ツムギがトイレのため、ユウヒから離れた。ユウヒは道の端で立って待っている。水がかかったせいで濡れた上着は脱いで手に持っていた。下はベストを着ていた。


 その姿をぼんやり眺めていたときだった。


「あれ、優陽じゃないのー!」


 突然、人の波の中から女が現れ、ユウヒに近づいてきたのだった。

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