第2話「碧との出会い」

 碧衣との出会いはちょうど一年前の春、あの浜辺だった。


 学校帰りに寄った普段人気の無いはずの浜辺に、先客がいた。

 灰色の制服の暗さと背景の真っ青な海の明るさは正反対のはずなのに、なぜか最初からそうと計算されているかのように、ぴったりと当て嵌まって見えた。


 波打ち際に佇み水平線へ視線を投げていた彼女は、湊斗の足音に気づいたらしく振り返った。


「あなた、確か同じクラスの」


 彼女は記憶を探るように首を傾げた。潮風が切り揃えられた黒髪と赤いスカーフを揺らしていた。


 自分の顔を覚えているのか、と湊斗は驚いた。高校に入って一ヶ月弱、もともと人付き合いが苦手なこともあってクラスに慣れず一人で過ごしてばかりいた。おかげで湊斗に話しかけてくるクラスメートはいなかった。なんとなくでも顔を覚えている者がいるなど、想像もしたことがなかった。


「私、水無月 碧衣よ。知ってた?」


 碧衣のことは知っていた。碧衣も一人でいる子だった。碧衣の席は窓際にあるのだが、いつも顔を窓に向けて遠くに見える海を眺めていた。


 向こうが名乗ったので、湊斗も自分の名前を教えた。


「湊斗くんは海が好きなの?」

「嫌いではない。特別好きってわけでもないけど」

「私は特別好きよ! 海がすぐ近くにある町に生まれて良かったって、ここに来るといつも思うの」


 その日はそのまま別れた。翌日再び浜辺に向かうと、碧衣は昨日と同じ場所に立っていた。「また会ったね」と笑いかけてきた碧衣は、湊斗の主観でなければ嬉しそうにしていた。


 湊斗は碧衣とあの浜辺で会うようになった。碧衣はほぼ毎日来ている。会いたくなったときは連絡を取るより浜辺に行けば、必ずと言っていいほどそこにいた。


 何年か前に父親が再婚し、増えた新しい母と弟に未だ馴染めていない湊斗にとって、家より海のほうが落ち着く場所だった。

 

 最初は浜辺で過ごしていたが、何度目かに会ったとき、碧衣は秘密基地に案内してあげると歩き出した。


 向かった先は、岬の先端に立つ白い灯台だった。長いこと使われておらず、入り口には立ち入り禁止のロープが張られている。碧衣はロープをさっと跨ぎ、外階段を上っていった。勝手知ったる様子で、碧衣がここの常連なのだとわかった。


 灯台から見る海は、砂浜から見る海と違って見えた。高さや角度が変わるだけで大きく印象が異なる。地上で見るよりも広く遠くまで海が見渡せすぎて、逆に怖くなった。


「こういう立ち入り禁止の場所に行くとか、なんか青春の醍醐味って感じだよね!」


 微かな恐れは、悪戯っぽい碧衣の声のもと吹き飛んだ。


 碧衣は明るかったが、ふいに海の彼方まで消えてしまうような危うさをどこか纏っていた。けれど時々、こういう茶目っ気を見せた。碧衣は確かに人間なのだと感じられて、勝手にほっとした。


 浜辺で、または灯台で、碧衣とは色々な話をした。


 時々持ってきたお菓子を食べて過ごした。碧衣はコーラやソーダなどの炭酸系の味が好きで、中でもサイダー味を好んでいた。海っぽいからというのが理由だった。本当に海っぽい味は塩味ではないかと言ったら、イメージだと即返された。怒っていた。


 こんな風に意味があるのかどうかわからない、なんてことない話ばかりしていた。しょっちゅう会っていたが、特別距離が近かったかと聞かれたらそうでもなかっただろう。しかし碧衣と過ごしていると、どんな時間も心地よかった。


 碧衣がこちらを呼び捨てにするようになってすぐの頃、彼女は中学時代ずっといじめられていたことを打ち明けてきた。直前まで焼きそばの青のりのかけ方について話していたのだが、その延長線上のように、自然に。


 ものを隠される、死ねと毎日言われる、物置に閉じ込められる、階段からつき落とされるなど。聞くに堪えない悲惨な内容ばかりだった。碧衣が片親なのが、いじめのきっかけだったのだという。


「高校に入ってあいつらと別れてからも、人と接するのが怖くて一人でいることを選んでた。けど湊斗と出会って一緒に過ごすようになって、この時間がとても心地良いんだ。本当に、いつもありがとう」


 塩辛い風が吹き抜けていくと同時に、碧衣は笑った。ウミネコの鳴き声を聞きながら、湊斗ははっきりと、この笑顔を守りたいと思ったのだった。

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