灰色ががった空が印象的だった。雨雲のような悲壮感はなく雷雲ほどの激烈さもない、濁った灰色の薄雲が林立する煙突から絶え間なく吐き出され、空を覆っている。

 町の背後には赤茶色の肌が剥き出しになった山があった。あれがランベルの暮らしを支える鉱山である。どこか寂し気な雰囲気を持つ山に、リシェルは町に着くまでの間、目が離せずにいた。

 ランベルの町はあの鉱山をぐるりと囲んで作られているという。仰ぐほどに大きい鉱山の裏にも町並みが続いているとは想像できない。グラネラも規模の大きい町だったが、それを凌駕するほどに大きな町らしい。町の入り口に降り立っても実感はなく、聳える鉱山の壮大さを感じるだけだった。

 呆然としているリシェルをドライスが急かし、ランベルの通りを行く。凹凸なく舗装された幅の広い道は人が歩いて通るためというよりも、馬車のためにあるといっていい。重そうな積荷を乗せた馬車が絶え間なく行き交い、人が通るのを気にしない速さで町の中へ、外へと走っていく。

 馬車に轢かれないように道の端を歩きながら、リシェルは建物を見ていく。両脇にある建物は今まで見てきた町や村とさほど変わりはない、木造のものだった。通りの奥へと目を遣ると、煙突の付いた建物が多く見える。そのどれもが、此方側にある建物よりも大きく、煙突から吐き出されている煙と同じ灰色の壁で作られている。

「あれは工場。鉱山から採れた鉱石を製錬したり加工したりしている場所だ」

 ドライスがリシェルの見ているものを察して答えてくれた。

「ここの鉱山は多様な鉱石が採れるらしく、鉄や銅に始まり、宝石になるようなものまである。ランベルはそういうもんを買い付けに来る連中が多いんだ」

 町を出入りしている馬車はそれが目的らしい。ランベルはファルーナの最南東にある町だ。此処より南はマシティアの国境、東にはソルヴァと呼ばれる無法の山林地帯が広がっているだけなので、旅人や巡礼者などはランベルに用はない。鉱石や加工した金属品を手に入れようと国内外の至る所から商人たちが集まってくるという。

「種類の豊富さだけでなく、質も良いと評判でな。王や教皇への献上品なんかも此処で採掘されたもので作られているそうだ」

「ファルーナの教皇冠は有名ですね。黄金の冠に煌びやかな宝石が贅沢に散りばめられて、正に豪奢と呼ぶべきものらしいです」

 ロコロタは黄金の冠を想像しているのか、うっとりとした表情をしている。

「教皇冠は三百年前に贈られてから今も輝きが褪せらずにいるそうです。それほどに上質な金と宝石ということですね。ですが、その金……」

 ロコロタの言葉が怒号によって遮られた。リシェルたちは足を止めて、道の真ん中で組み合う二人の男を見た。

「おめおめと俺らの縄張りに入ってくる面の皮の厚さは大したもんだな。今度は何を掠め取ろうってんだ?」

「いちゃもんの付け方だけは立派だな。そんな口先の技術ばっか鍛えてるから、屑みてえな石しか取れねえんだろ、赤鷹さんよお」

 リシェルたちにも両者の声が聞こえてきていた。互いに体を掴み合ってはいたが、まだ手を出してはいない。次々と挑発するような言葉を吐き合い、声は更に大きくなり、こめかみと腕に青筋が浮かんでいく。道の真ん中を陣取る男たちのせいで立往生する馬車の御者たちは静観を決め込んでいる。迷惑そうにしているくせに止めようとはせず、道を横断する羊の群れが通り過ぎるのを待つかのように、じれったそうに見ていた。

 通行人や傍にある露店の人たちも仲裁に入ろうとはせず、見て見ぬふりをしている。リシェルはぞわぞわとした寒気を感じた。おかしな空気が漂っている。工場から排出される煙のせいではない。人間の意地汚い性質がそこにいる人たち全員から滲み出ていた。

 リシェルは腰帯越しに剣の鞘を握りしめながら、組み合う男たちに向かっていこうとする。二歩歩いたところで、ドライスに肩を掴まれた。

「お前が首を突っ込むことではない。放っておけ」

 冷めた口調でドライスは言った。リシェルはドライスに厳しい視線を向ける。

「誰も止めないのに、放っておける訳ありません」

「だからってなんでお前が止めに入る必要があるんだ。時期に憲兵なりなんなりが来るだろ」

「そんなの待ってる間に、喧嘩が始まっちゃうかもしれないじゃないですか」

 これ以上何を言っても無駄だと思い、ドライスの手を振り払って男たちに駆け寄っていった。片方の男が怒りが頂点に達したのか腕を振り上げて殴りかかろうとしたので、声を上げてそれを制した。

「待ってください!」

 その声で男たちは固まり、顔だけをリシェルに向けた。

「事情は分かりませんが、喧嘩はよくありません。それに通行の妨げにもなってしまっています。一度、落ち着いて話し合いをなさったらどうでしょうか」

 二人の眉がぴくぴくと動くのが見える。顔は煮え滾っているかのように赤く、見開いた目は怒りを宿している。怒りの矛先が変わっていることにリシェルは気付いた。男は互いを放し、拳を握り固めてリシェルににじり寄ってくる。

 リシェルの脳裏に熊の魔獣が過った。あれと同じような歪な迫力が彼らからも感じたような気がした。鞘を握る手に自然と力が込められる。心の拠り所として、聖なる剣は充分に機能していた。迫る男たちを前に、リシェルは怖気づかずに立っていられている。

「出しゃばりのガキが。調子に乗ってんじゃねえよ」

 男の一人はそう言い放つと、固めた拳を振りかぶってリシェルに殴りかかってきた。そうしてくる予感はあったため、即座に反応することができ、後方へ飛び退いて拳を躱すことができた。

 ランベルまでの旅の間、リシェルはドライスから身を守る術を学んでいた。熊の魔獣は運良く倒すことが出来たが、リシェルの剣術と身のこなしは素人そのものだった。神器を扱う者として最低限の戦い方は覚えていた方がいいと言われ、リシェルも次に魔獣が現れた時に足手まといにはなりたくなかったので、ドライスの訓練を受けることにした。

 まだ剣さばきはぎこちないが、体の動かし方はある程度形になっていた。相手の動きをよく見て、無駄のない動きでそれに対応する。ドライスの意地の悪い攻め方に比べれば、男の拳は素直で躱すのも楽だった。

 訓練の成果に安堵するのも束の間、男はリシェルを捕まえようと、殴ってきた手とは逆の手で掴みかかろうとしてきた。伸びてきた手をいなし、空振って置き去りのままの手首を掴み返した。男は驚いた顔を見せて固まる。

「乱暴なことはやめましょう。どうか、落ち着いて……」

 リシェルは言おうとした言葉を飲み込んで、注意を逸らした。掴んでいる男ばかりに気を向けていた。もう一人の男が棍棒のようなものを持って、襲い掛かろうと向かってきていた。考えを巡らせられる距離ではない。男の手首を放せず、リシェルは迫り来る暴漢を見ていることしか出来なかった。

「馬鹿野郎」

 ドライスの声が間近に聞こえた。次いで、その姿が目の前に現れたかと思うと、棍棒を持った暴漢をドライスが迎え、拳一つで打ち倒した。

 呆気に取られながらそれを見ていると、不意に体が強く引っ張られた。男を掴んでいた腕が滑り、つんのめるような体勢になってしまった。強引に振り解かれた、と認識する最中に、男がリシェルに殴りかかろうとしてきていた。

 よろめいて躱そうとする動きに移れないリシェルはまた何かに引っ張られた。腰帯を引かれて体が浮き上がり、誰かに抱き止められると、その人はリシェルを抱いたまま、リシェルに殴りかかった男の腹を力強く蹴った。男は短い呻き声を上げて倒れると、苦しそうにしながら動かなくなった。

「言いたいことは山ほどあるが、後でたらふく説教を食わせてやる」

 リシェルを放しながら、ドライスは溜め息を吐いた。リシェルはドライスを見上げたまま、その視線を徐々に厳しくしていく。

 二人の喧嘩を止めたのは、話し合いを提案したリシェルではなく、力に訴えたドライスだった。リシェルは自分が止められなかった不甲斐なさと、力尽くで解決させたドライスへの怨嗟を抱いた。

「私は彼らが納得する形で喧嘩を終わらせたいと思っていました。ドライスさんのやり方は強引すぎます」

「知るか。お前を守るのが俺の仕事だ。助けてやったんだから、礼くらい言え」

「それは……ありがとうございます」

 リシェルは萎れた花のように項垂れて感謝を伝えた。そうすると、ドライスへの不満も萎えてしまい、言ってやろうと思っていたことも頭の中から消えてしまった。

 ざわざわと声が聞こえ始める。不意に辺りを見回すと、人々の視線が自分たちに向けられていることに気付いた。彼らが何を話しているのかは分からないが、良く思ってくれてはいなさそうに感じた。まだ、自分たちが道の真ん中で立ち尽くしているからだろうか。

 どういう結果であれ、騒動は収まった。気絶する男二人を連れて退散すべきだ。ドライスにそれを進言しようとすると、ドライスの後ろの方から誰かが近付いてきていた。ドライスも気付いたのか振り向いて、自分たちに接近する者の正体を確かめる。

 肩まで伸びた金色の髪と線の細い姿形から一見すると女性に見えたが、体つきが男性だと示している。背には弓が負われているのが分かる。青白いその弓は光沢を帯びていて、ちらちらと光を放っている。

 優男と呼ぶべきその男性は、切れ長の細い目でリシェルを見据えたまま、口元に笑みを少々浮かべて、悠然と向かってきていた。

「新入りですか?」

 優男は不躾にそう聞いてきた。言葉の意味が分からず、リシェルはただ首を傾げた。

「あれ、違いますか。だってその剣、アルテナでしょう? アルテナの適合者はまだいなかったはずですが」

 リシェルの体が強張った。どうして、この剣がアルテナの剣であると分かったのだろうか。得体の知れない怖さを感じ、血の気が引いていく。リシェルが怯えているのに気付いたのか、優男はぴくりと片眉を上げる。

「適合者じゃない、とか? だとしたら、神器を盗んだ大罪人? 身の潔白を証明してもらいましょう。剣を抜いてください」

 リシェルは彼が何者なのか分からないまま、アルテナの剣の柄を持つ。鞘から刃を僅かに見せた後、怯えるようにして鞘の中に刃を納めた。

「適合者ではあるか。それにしては後ろめたそうにして、怪しいですね」

「お前、聖絶士せいぜつしだな」

 ドライスがリシェルを庇うように優男の前に立った。優男の視線が遮られたので、リシェルは少しだけ落ち着くことが出来た。そして、安易に優男の求めに応じてアルテナの剣を抜いてしまったことを後悔した。

「如何にも。私はハッド。エルカトリの弓に選ばれた聖絶士です。此処で長話をしても迷惑にしかなりません。場所を変えましょう」

「断ると言ったら?」

 ドライスから緊張感が伝わってくる。明らかに、この優男ハッドを警戒していた。リシェルもハッドを底の知れない男だと感じていたが、ドライスはそれよりも鋭利な感情を持っているように思えた。

「事を荒立てたくないのは貴方がたの方でしょうに。話をするだけです。宿を取っていますから、そこでお話しましょう」

 そう言うと、ハッドは振り返って、来た道を戻っていった。此方を見遣る様子はなく、先導するのについてくる者を考慮していない速さで歩いていく。ドライスは不服を重たい鼻息として吐き出し、リシェルに目配せをしてからハッドを追った。

 ハッドという聖絶士が何を考えているのか、リシェルには分からない。だが、自分以外に神器を持つ者と出会えたことが少しだけありがたいと思えた。それに他にも聞きたいことがある。先程の男たちの喧嘩。彼らと、その周りにいる人たちの反応。ランベルという町が持つ尋常でない雰囲気を、ハッドなら説明してくれるかもしれないと思った。

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